●本という贅沢#159『毛布 - あなたをくるんでくれるもの』(安達茉莉子/玄光社)

さとゆみ#159 あなたが私の『毛布』になり、私もいつかあなたの『毛布』になる。

隔週水曜にお送りするコラム「本という贅沢」。今回は書籍ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんが、喪失と再生についてのエッセイを取り上げます。
さとゆみ#158 複雑なことを複雑なまま理解できる力がほしい。『現代思想入門』

●本という贅沢#159『毛布 - あなたをくるんでくれるもの』(安達茉莉子/玄光社)

いつもセンスの良い本ばかり紹介している書店さんのTwitter写真。そこに、國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』とベル・フックスさんの『フェミニズムはみんなのもの』に挟まれるようにして、お薦めされている本があった。

「いいなあ、このラインナップに並べるなんて。しかも、このお店にサイン本を置かせてもらえるのかあ、うらやましい」

と、思った本が、『毛布 - あなたをくるんでくれるもの』だった。内容も調べないまま検索してポチッとしたら届いた本は、エッセイだった。喪失と再生の物語。失った人、失った時間、失いそうになった夢……。肌身を切られるような話なのに、安達さんの語りにかかるとなぜか、温度があがる。あたたかい。

といっても、喪失を埋めてよしよし頭を撫でてくれるタイプの本ではなかったと思う。
むしろ、その喪失をちゃんと味わいつくして、そのすみずみに手を触れ形を確かめ、「それ、そこに、あってよいものなのだよ」と、語り掛けてくれるような本だった。「そう、そこにあったままで大丈夫。それごとすっぽりくるんでいればいいんだよ」って。

そして逆説的ではあるのだけれど、安達さんの物語に導かれて、自分から失われていったものを思い出して触れているうちに、いつしか、それが喪失ではなくなっていく。
半日のゆっくりと味わった読書の中で、種子が芽吹いたような、さなぎが蝶になったような、そんな解放を感じた。

安達さんは、本の中で、「自分の個展にくる人たちは、原画や展示を通して、自分の記憶や人生と再会している」と書いている。
私も、この本を読んでひとつ、思い出したことがあった。

それは、大切な人が死にかけている時、その人を病室に残して遊びに出かけた記憶だった。

学生時代の長きにわたって、その人は本当に大切な存在だったし、彼の家族が、私を危篤のベッドに呼んでくれたくらいの仲だった。闘病していることは知っていた。時折、訪ねていくこともあったけれど、意識のない彼を見るのは初めてだった。

病院がある街に宿をとり、2泊した。そして、あと半日は持たないだろうなと思った頃あいで、私は「仕事があるので、ごめんなさい」と言って、病室をあとにした。ご家族は「来てくれてありがとう」と、丁寧に頭を下げてくださった。これが最期になることは、わかっていた。わかっていたけれど、私は、前から約束していた男性とのデートに向かった。

ご飯を食べて、お酒を飲んで酔っ払って、その人の家でしばらく過ごして終電で帰ったら、深夜に着信があった。
愛人との情事の間に妻が死んでいたという映画を撮ったのは西川美和監督だけれど、本木雅弘さん演じる主人公が感じるような罪悪感は、そのときの私にはなかった。

だって、あなたはいなくなるけれど、私はまだ生きていかなくてはならない。
あなたがいなくなる瞬間に立ち合えないくらい、忙しい時間を生きていかなきゃ、やってられない。

彼のことだけではない。
そんなふうにして、私はいつも、喪失をうやむやにしてやり過ごしてきた。
そういう時は、いつも仕事が、私を救ってくれた。
うっかり思い出す暇がないほど、みちみちと仕事をしてきた。

食器を洗いながら、取材の音声を聴いている。
ラジオを収録しながら、洗濯物を畳んでいる。
ドライヤーで髪を乾かしながら、構成案を考え、
Kindleの読み上げ機能をオンにしたまま眠る。

渋滞の間をすり抜けるバイクのように、ハンドルを握り締め、きりきりとネジを、意識を締め上げ、忙しく生きていくことだけに、全集中する。
安達さんが、喪失にちゃんと向き合って、言葉を失ってしまったのとは真逆だ。喪の作業を先送りにすることで、私はぺらぺらと饒舌に語り、生き延びてきた。

そんな生き方が染みこんでいる自分にとって、自分を「ほどく」ことは、何より怖い。
なぜ怖いかというと、ふっと力を抜いた瞬間、底が抜けてどこまでも落ちるんじゃないかと思うからだ。
これまで、考えないようにしてきたぶん、一度考え始めたらどこまでも落ちそうな気がする。自分の薄情さにも目を向けることになるだろう。そうやって落ちたときに、誰が自分を抱きとめてくれるんだろう。

『毛布』には、その、抱きとめられ方が書かれていた。底が抜けたとき、ふわりそれを包んでくれる毛布のような存在が、きっと誰にでもあるのだということが書かれていた。
それは、家族かもしれない。友人かもしれない。音楽や映画や本かもしれない(この本かもしれない)。なにより、自分自身かもしれない。自分を諦めないことが、自分を救ってくれるかもしれない。
逆に、いつか自分が誰かの「毛布」になれるかもしれない。ひょっとしたら、自分の創作物が、誰かの「毛布」になって、誰かを抱きとめるかもしれない。

だから、迷ったり傷ついたりしてよいのです。

と、言われた気がしました。ありがとう。この本、すみからすみまで、毛布だった。

 

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さとゆみ#158 複雑なことを複雑なまま理解できる力がほしい。『現代思想入門』
ライター・コラムニストとして活動。ファッション、ビューティからビジネスまで幅広いジャンルを担当する。自著に『女の運命は髪で変わる』『髪のこと、これで、ぜんぶ。』『書く仕事がしたい』など。