29歳女性が毒親の呪縛から逃れることができた意外なきっかけとは

過干渉に暴言、暴力……。親から子どもへ向けられるキツイ仕打ちに幼い時から悩み、そして成人してもなお、「毒親」の呪縛に苦しむ人は少なくありません。何とか断ち切りたい、抜け出したいという人のヒントになればと、29歳女性が自身の体験を語ってくれました。彼女と母との関係に変化が訪れたきっかけは、意外なことでした。
「孫の顔を見せないと……」母親の期待に応えることが裏目に。40代女性が気づいたこととは

「毒親」、「親ガチャ」などの言葉が話題になっている。幼少期、自分の家では当たり前だと思っていたことが、後から社会の声を聞いてみて「普通ではなかったんだ」と気づく人は少なくないようだ。

今回話を聞いたのは、経済的には恵まれた家庭環境のもとで育った高橋美紀さん(仮名・29歳)。しかし、その一方で、母親からの暴力・束縛などを幼少期から受けてきたという。

酔っ払って殴る蹴るは当たり前。門限は18時までだったため、大学進学で上京するまで一度も夜遊びをしたことがなかったという。しかし、意外なきっかけでそこから抜け出すことができたという――そのきっかけとは?

ゲームや漫画をごっそり捨てられて

教育熱心な、専業主婦の母親のもとで育った高橋さん。子供の時から漫画が好きで、今も出版社で編集の仕事をしている。しかし、幼少期は自由に漫画を読める環境になく、その理由を「毒親だった母親のせい」だと振り返る。

「そもそも実家でのお小遣いはゼロ円で、ほしいものは申告制で買ってもらう決まりだったので、なかなか漫画を買ってもらえなかったんです。しかも、ちょっとでも成績が悪くなったり、学校を休んだりするとキレられて、勝手に漫画やゲームを捨てられ……。当時好きだった漫画を20冊、ごっそり捨てられたこともあります。ある日、なくなったことに気づいた私が泣きながら訴えると、『あなたが勉強しないのが悪いんでしょ!』と逆上されました。結局、大学で1人暮らしをするまで漫画はずっと隠れて読んでいました」

門限に関しても、厳しい制限があった。

「周りの友達たちは普通に地元のお祭りやイベントに行っているのに、私だけ18時までに帰らないといけない家のルールがあったんです。高卒を卒業するまで、それが続いたせいで、花火大会が毎年開かれていたのに、地元では1度も花火を見たことがなかった(苦笑)。とにかく母親は常に不機嫌で、酔っ払っているときに私や妹のすることが何か気に障ると、殴ったり、蹴ったりは当たり前でしたね。大人になっても続き、以前、体にあざができているのを当時の彼氏に不審がられて、『階段で転んだだけ』と必死でごまかしたのを覚えています」

愛人に夢中な父に、母の不満が

家業を継いだ父親は家を不在にすることが多く、高橋さんと妹は、張り詰めた空気の家のなかで、常に母親の目線に怯えながら暮らしていたという。

「父は会社を経営していて仕事が忙しいのはもちろんですが、ほかに愛人を何人も作っていたんです。『カネは家に入れるから何も文句言うな』という古い価値観の人間で、ほとんど家にも帰りませんでした。当時は私もよくわかりませんでしたが、母も愛人がいることに気づいていたのでしょう。その不満や怒りの矛先が私や妹に向かっていたのだと思います」

父の不貞に気づいていた母親だが、その怒りを本人にぶつけることはなく、今も一緒に暮らしているという。なぜそんな弱い立場にあるのか。

「実は、私の父は背中に和彫(刺青)が入っていて……カタギではない人とも付き合いがあるみたいで、おそらくそっち系の人間です。たまに父の仕事仲間と顔を合わせることもあったのですが、大人の男の人の体にはみんな和彫(刺青)が入っていると勘違いするほどでした」

こうしたことが母親を精神的に不安定にさせていたのだろう。

「感情の起伏が激しいので、人間関係を構築するのが下手なんです。周囲に友達もいなくて、親戚家族内でも孤立していました。ある日、家に帰ると、見たことのない化粧品や食料がダンボールでたくさん届いていたことがありました。どれもマルチ商法で買わされた物だったんです。占いをやたら信じやすく、今思うと精神的にかなり追い詰められていたのかもしれません」

両親の学歴コンプレックスに振り回される

なんとも特殊な家庭環境に育った高橋さんだが、経済的にはそれなりに恵まれていた。ただ父親は高卒で、母親は中卒だった影響で「親の学歴コンプレックス」に振り回されることも多かったという。

「中学生の頃から父親の会社経営が軌道に乗り始め、父は輸入車に乗り出すなどかなり裕福になりました。教育にもお金をかけるようになり、母親の勧めで塾やバレエ教室にも通わされたのですが、ちょっとでも練習を休んだり、嫌な顔をしたりすると、不機嫌になってバレエシューズやスカート衣装を捨てられたり、ビンタされたりしました。母親は何かあるごとに『あなたのためなのよ!』と怒りながら叫んでいて、お金をかけたぶんの見返りを求められている感じがしました」

それでも地元の進学校に進んだ高橋さん。しかし、あまりに自由を制限されるあまり、こっそりと、あるアルバイトを始めた。これがたま母親の逆鱗に触れることに……。

「もともと芸能界に興味があったので、地元で芸能関係のバイトをしていたんです。身元確認もそこまで厳しくされなかったので、すんなり加入できて、地元のデパートや商店街で歌ったり、ダンスしたりしました。ただ半年後、母親にバレて、無理やり脱退させられました。めちゃくちゃ怒られて、『ごくつぶし』『恩知らず』と罵られました」

そんな母親との関係だが、高橋さんが東京の大学に出てきてからは、徐々に改善が見られているようだ。

整形手術がバレた……

「母親と頻繁に顔を合わせることがなくなり、LINEでのやり取りが主になったことで、いい距離感ができました。ただ、この前、久しぶりに家族で温泉旅行に行ったのですが、そこでも母親が突然キレて、ふてくされだして、口論になりました(笑)。何が不満だったのかは具体的に教えてくれないのですが、旅先でくつろぐ私の気が抜けた姿がだらしなくうつったようです。忙しい仕事の合間に来ているので許してほしいです」
これからもあまり近づき過ぎず一定の距離は保って、関係を維持していこうと決めた。

最近、驚いたことがあった。それは東京に出た後、彼女がお金をためてコンプレックスだった自分の顔をこっそり整形したことへの母親の反応だった。周囲の友人で気づく人はいなかったのだが--。

「実家に帰ったらすぐに母親にバレました。まさか気づかれるとは思っていなかったので、驚きましたね! これに関しては、さすが母親だなと思いました。しかも怒られるのかと思ったら反応が意外だったんです」

高橋さんが整形のことを伝えると、母親は「『まあ好きにすればいいんじゃない」とすんなり受け止めてくれたのだ。まずは前歯数本のセラミック矯正と、涙袋にヒアルロン酸、輪郭にボトックスの注入から始まり、さらに韓国で「頬骨削り」「エラ削り」「口筋切除」と、大手術だったという。

自分の意志で、親からもらった自らの顔にメスを入れた高橋さん。これまで母親に監視されていた自分が、その束縛から逃れるための行為だったのかも……、と振り返る。この美容整形手術が、母親から自らを解放するきっかけとなるかもしれないと感じている。「さすがに費用が数百万円もかかったことは言えませんでしたが」と、苦笑い。

幼少期は身体的にも、精神的にも辛い日々が続いたが、時間の経過と、物理的な距離ができるとともに、母親との関係は改善されていったという高橋さん。しかし、最近も高橋さんの隠し事がバレてトラブルになるなど、今もその影響下からは完全には逃れられないようだ。「今までは家族とうまく付き合うために、過去に蓋をしてきました」と語る彼女。これからは自分の意思を大事にしたいとしている。

「孫の顔を見せないと……」母親の期待に応えることが裏目に。40代女性が気づいたこととは
1990年群馬県生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業後、扶桑社に入社。雑誌「週刊SPA!」の編集を経て「bizSPA!フレッシュ」編集長に。
毒親の呪縛