「年上の恋人と別れないと線路に飛び込む」20代男性を悩ませる母親のコンプレックス

「子どもにはいい人生を送ってほしい」と願う親と、親をがっかりさせないために、期待に応えたいと思う子。どちらも普遍的な思いでありながら、それが過剰になってしまうと、うまくいかなくなってしまうことも。今回お話をうかがったのは、自身のコンプレックスを穴埋めさせるため、子どもを過剰に管理する母親を持つ男性2人。なぜ母親や息子に理想を押しつけてしまうのでしょうか。

母と娘の関係は同性であるがゆえにこじれやすい。しかし母親との関係に悩む男性たちも少なくない。母親から理想を押し付けられ、追い詰められる男性たちを取材した。

 

「別れないと線路に飛び込む」

「母親は僕に恋人と別れてほしいと思っているんです」そう話すのは米原正人さん(20代・仮名)。母親が年上の恋人との交際に反対し続けているのだという。

「僕は15歳以上年上の女性と交際しています。自分のいろいろな側面を理解してくれる人がいいので、交際相手は年上になりがちです。
僕は法科大学院に進学し、卒業後も司法試験を受験し続けていたのですが、将来の見通しが立たないなかでも、彼女は『後悔しないようにやりなよ』と励ましてくれたんです。同年代と付き合って、結婚を視野にいれていたらこうはできなかったんじゃないかと思います。
ただ、母親は彼女と付き合うことに反対していて、付き合い始めてから数年経ったころでしょうか、『別れないと線路に飛び込む』と脅されたことがありました。そのときは『気が狂ったフリをして相手の職場に押しかけて「息子を返せ」と言う』とも言っていました。本当に困りましたね。仕方なく、僕と恋人が少し距離を置いたときも『まだ付き合っているんじゃないか』と疑って探偵に調査を依頼しようとしていたみたいです」 

母親が激高してから数年。いまでも交際は続けているが、母親にはそのことを黙っているという。

 「母は僕に同年代か、年下の女性と家庭を持ってほしいと言っていました。年上だとしても23歳が限界だと。もちろん大卒がいいようです。僕の姉は都内の国立大学を卒業して、大手企業に就職しましたが、姉の結婚相手は『それよりもランクが高い男性がいい』と言っていました」

親なら息子や娘の結婚相手にある程度期待してしまうのも仕方のないことなのかもしれない。しかし米原さんの母親が人並み以上に“条件”にこだわってしまうのには、ある事情があるようだ。

「僕は私立の進学校を卒業しているのですが、そういう学校に通う生徒の母親たち同士で話していると、一般の感覚からかけ離れてしまうというのもあると思います。例えば、代々医者の家系だと息子やその結婚相手への要求水準はかなり高いものになります。母からすれば自分はごく普通のことを言っているだけということになるのでしょう」

 

「女に学問はいらない」と考えていた祖母

だが、別れないと自殺をすると仄めかすのは尋常ではない。なぜそこまで不安定になってしまうのか。米原さんは、「抑圧されてきた部分を息子に託している部分はあるのかもしれない」と指摘する。

「祖母は『女に学問はいらない』というタイプの人でした。母は、いわゆるエスカレーターコースに乗せられて、外部受験が許されず、都内のある私立大学に進学したんです。『もっとレベルの高い大学を受けられた』と不満に思っていたでしょうね」

現在は、地理の教師として働いている米原さんの母親。実は、自らの学歴やキャリアに不満を抱いていたのだ。そんな彼女にとって、有名私立大学に進学し、司法試験に合格した米原さんは、自らのコンプレックスを埋め合わせてくれるような存在だったのかもしれない。そんな息子には、自分の“御眼鏡に適う”相手と結婚してほしかったのだろう。

「まだ交際していることを母親に明かしたらうまくいくのか、それとも状況が悪化するのか。今はそれを見極めているところです。正直、『母親が死ぬのを待っている』みたいなところもありますね。何も知らずに安らかに死んでほしいんです。その一方で、死ぬ前に『実は付き合っていた』と暴露してみたいという気持ちもあります」

「最低でも東大」を求める母

学歴に対するコンプレックスやキャリアを全うできなかったという思いが息子への過度な要求につながることは少なくないようだ。。東北地方出身で、現在は都内で自営業を営む高田康弘さん(30代・仮名)の母親も「コンプレックスが強かった」という。

「母が大学受験をしたのは1969年、東京大学の入学試験が中止になった年でした。母は『本当は東大に入れたはずなのに、仕方なく東北大に行った』とよく話していました。そのせいか子どもたちには最低でも東大に入学するよう求めていましたね。東大か海外の一流大学、ハーバード大学やオックスフォード大学しか認めないというわけです。 
私はとある地方の国立大学に進学しましたが、母の要求に応えられなかったので、経済的な援助は一切受けられませんでした。しかし父は外科医で世帯収入が高いため、奨学金を取ることもできず、自活するしかありませんでした。一方、兄は東大に合格したので、マンションを買ってもらい、毎月仕送りを20万円もらっていました。」

東大かそれ以上の大学しか認めないという非現実的な要求を子どもたちに押し付けた高田さんの母親。その背後には、やはり母親本人が抱える不満があったという。

「おそらく母は自己実現を我慢していると感じているからこそ、子どもに自らの理想を歩ませようとしたのだと思います。母はよく『あんたたちを育てているから私は好きなことができない』『家庭があるから好きなことができない』と言っていました。離婚をしなかったのも、子どもの意見を受け入れたからだと……。 
でも子どもが巣立った今、母が好きなことをしているかというとそうではありません。今度は体の痛みを口実にして、『好きなことができない』と言っています。結局、理想とかけ離れた現実を受け入れられないから、子どもや体の痛みを口実にしているように感じます。いつまで経っても『本当はできるのに』と思っていたいのではないでしょうか」

 

徹底した管理の下で

高田さんの母親は子どもたちへの要求水準が高かっただけではない。自らの理想に応えられるようにと子どもたちの生活を徹底して管理していた。

「小学校の友だちと遊んだことはほとんどありません。母に『こういう子とは遊ぶな』『こういう子もダメ』とあまりにも細かく交友関係を制限されたため、遊べる子がいなくなってしまったんです。そもそも登校拒否をして学校には全然行っていなかったのですが……。
中学校には通っていたのですが、大学受験に使う主要5教科の教科書以外は買ってもらえませんでした。教師に『親が教科書を買ってくれない』と言っても信じてもらえなかったですね。
部活動ももちろん禁止でした。学校が終わるのが何時だから、何時には家に着くという風に帰宅の時間を監視されていました。放課後に友だちと遊ぶこともできず、帰宅してからは、ひたすら勉強させられました。例えば、計算用紙の減りが遅いと『まじめに勉強していない』といって怒られるんですね。
それと『子供の科学』という雑誌しか読ませてもらえず、や親が見ているNHKしか見せてもらえませんでした。もちろんインターネットも使えませんでした」

中学に入って以降、東京大学に入れるようにと勉強を強要されていた高田さん。部活やインターネットを禁止され、友だちと遊んだり、息抜きにゲームをしたりすることもできなかった。さらに、生活の隅々まで管理される生活が続いた。

「中学を卒業するくらいまではずっと母と風呂に入っていましたし、髪も母が切っていました。下着や洋服も全て母が購入したものを着ていました。今振り返ると、かなり細かく生活を管理されていたんだなと思います。私を自分の代わりに生きさせようと思っていたのかもしれませんね」

高校に進学した後も帰宅する時間を監視される生活が続いた。当然、バイトをすることもできず、自由に使えるお金はなかった。この頃から拾ったものを換金したり、拾った電子機器類を直して使ったりするようになり、「現在の仕事につながった」という。 

高校卒業後、実家から離れた大学に進学したことで、やっと管理された生活から抜け出すことができた。しかし母親から離れたあとも「こういうことをすると母親にこう言われるんじゃないか」と想像してしまうことがよくあるという。
現在は自営業を営み、最近は家まで購入したという高田さん。生活は安定しているようだが、こうした親に育てられたことで「恋愛が苦手になった」と話していた。

千葉県生まれ。一橋大学社会学部卒業。編集者として働きながら、ライターとして活動している。関心のあるテーマは、シェアハウス、共同保育、コミューン
毒親の呪縛