熱烈鑑賞Netflix

Netflix『ザ・チェア ~私は学科長~』が描く、キャンセルカルチャー、世代間ギャップ、人種差別、性差別、稼げる大学、正義観の暴走

世界最大の動画配信サービス、Netflix。いつでもどこでも好きなときに好きなだけ見られる、毎日の生活に欠かせないサービスになりつつあります。そこで、自他共に認めるNetflix大好きライターが膨大な作品のなかから今すぐみるべき、ドラマ、映画、リアリティショーを厳選します。今回ご紹介するのは、『ザ・チェア』。アジア人女性として初めて、とある大学の英文学科の教授に就任したジユン・キム。あらわになる旧体制・差別・家庭問題……どんな試練が待ち構えている?

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「誤解を招く言動をしたことを……」
教授の謝罪をさえぎって、学生たちは声をあげる。
「謝罪じゃない」
「誤解させたなら……"残念"?」
「捉え方の問題にして俺たちに責任転嫁してる」
Netflix『ザ・チェア ~私は学科長~』3話の「対話集会」の場面だ。

『グレイズ・アナトミー』のクリスティーナ主演

「いつもこう。どう見ても不適切な言動でも指摘すると"誤解だ"と言われる」という学生の気持ちは、現実世界でも横行する「謝罪になってない謝罪」でたまったフラストレーションを解消し代弁してくれる正義の声だろう。

SNSに『ザ・チェア』のこの場面を切り取ったスクショが拡散し、「そうそう!」「スッキリした!」というリアクションが溢れている。
でも、『ザ・チェア』は、断罪してスッキリという単純な視点のドラマではないのだ。

舞台は、名門ペンブローク大学。終身在職権を持つ教授のほとんどが白人だ。
そのペンブローク大学の英文学科の学科長に就任したのが、主人公のジユン・キム。"一流大学の学科長に初めて有色人種の女性が就任"した。
演じるのは、サンドラ・オー。『グレイズ・アナトミー』のクリスティーナ役、『キリング・イヴ/Killing Eve』のイヴ・ポラストリ役で数々の賞を受賞。韓国人移民を両親にもつ女優だ。

その同僚のビル・ドブソン教授を演じるのは、ジェイ・デュプラス(「トランスペアレント」「不都合な自由」)。前述の「対話集会」で「誤解を招いたことを謝罪する」式の謝罪をしてしまった男だ。

他にも、ホーランド・テイラー(『ザ・プラクティス』『アリーmyラブ』『ミスター・メルセデス』『刑事コジャック』)、ボブ・バラバン、ナナ・メンサなど、実力派が勢ぞろい。
さらに、『X-ファイル』モルダー役のデイヴィッド・ドゥカヴニーが、本人役で登場して、ひっかきまわす。

製作総指揮は、『ゲームオブスローンズ』のデイヴィッド・ベニオフとD・B・ワイス。サンドラ・オーも製作総指揮に加わっている。ショーランナーは、アマンダ・ピート。
鉄板の布陣だ。

左からジユン・キム(サンドラ・オー)、マッケイ(ナナ・メンサー) ハンブリング(ホーランド・テイラー)Netflixシリーズ『ザ・チェア ~私は学科長~』独占配信中

誰かを悪にして問題を単純化しない

サンドラ・オーが演じるジユン・キムは学科長になる。だが、経営しか考えない学部長と現場の教授のあいだで板挟み、ザッツ中間管理職だ。
老教授3人をリストラするように言い渡されたジユン・キムは、それに抗って、新任のマッケイ教授(黒人女性)と老教授を組ませたりする。
老教授の古く地味な教授法と、マッケイ教授の学生に歌わせたりツイートをさせたりする教え方の対比。合同授業なのに、老教授は、悪気もなく(最悪だ!)マッケイ教授を助手扱いしてしまう。しかも、マッケイ教授の終身在職権の審査書を書くのは、その老教授だ。チクリチクリと、さまざまな問題をあぶりだす。

一方で、老いた教授が大学でどう扱われ、どう押し出されようとするのかをも描く。
誰かを悪にして問題を単純化しない。
パーティーでマッケイ先生が手に取る老教授の本には、若いころの著者近影と、「For my students」という献辞がある。
新旧双方の教授たちを、愛を持って描いている。

ナチス式の敬礼をしてしまう!

妻と死別し、娘が離れて行き、落ち込んで酒を呑んで授業に遅刻したビル・ドブソン教授は、あわててパソコンをセッティングしたために、間違って妊娠した妻の裸の動画を流してしまう。
ジョークを交えながら授業をやるタイプの教授だ。
また何かやらかすかもしれないと学生の何人かがスマホで撮影しはじめる。
気にもとめないビル教授は、

「人生は無意味であるという思想は、8500万人の死者をだした世界大戦の後に生まれた」
とファシズムの説明をするときに、ナチス式の敬礼の動作をする。

この場面が切り取られ、SNSで拡散されてしまう。
意図してない誤解で、ビルはネオナチの思想の持ち主だと糾弾される。
学生の正義観が暴走する。
正義と悪の二元論に陥らず複雑な問題を手渡そうとするドラマなので、このあたりも絶妙なテイストで描き切るのだが、まあ、ビル教授も(妻を失ったとはいえ)ダメっこで、迂闊な男なのだ。

「対話集会」の場面に至るまでも、ビルは迂闊だ。でも、悪人ではない(もちろんネオナチでもない)。
学部長は、問題になっているビルを呼ぶ。
危機管理担当と2人で謝罪文を書き発表しろと、ビルに命じる。
学部長は、ともかく何もなかったことにして、コトを収めたいのだ。
ビルは、これに反発する。

「大学は反対意見を積極的に認める場です。声を上げた学生たちを誇りに思うべきですよ」と言い、学生と対話しようとする。
その対話の結果が、さらなる怒りを買ってしまうわけだが……。

ビルは迂闊だ。たとえば、大炎上のさなかに彼が着ているのが、ジョイ・ディヴィジョンの有名なTシャツだ。
ジョイ・ディビジョンの名は、Wikipediaによると「ナチス・ドイツの強制収容所内に設けられた慰安所に由来する」のだ。
だが、あのTシャツを着ている人のほとんどは、そんなことは知らないし、もちろんそういった主張のもとに着ているのではないだろう。
われわれは、時に迂闊だし、間違う。

なぜ我々は物語に恋をするのか。そのことを痛切に訴えてくるラストシーンもすばらしい。 Netflixシリーズ『ザ・チェア ~私は学科長~』独占配信中

それでも人生は続く

『ザ・チェア』は、時に迂闊で、時に間違う我々を描く。愚かな我々が、あがき、苦悶し、這い上がろうとする姿を描く。
世界には課題が山積みだ。
キャンセルカルチャー、世代間ギャップの問題、人種差別、性差別、商業化する大学の問題(稼げる大学!!!)、正義観の暴走。
『ザ・チェア』は、現代的な課題を、戯画化はすれども単純化せず、なまなましく丸ごと手渡そうとする。
わかりやすいエンタテインメントみたいな解決に落ちない。スッキリするエンディングではない。
それでも人生は続く。

世界はドラマみたいに簡単には解決しないし、劇的に変わってはいかないかもしれない。
それでも少しずつ変わる。少しずつ変わっていく希望を描いてドラマは終わる。
それでも人生は続くのだ。

ドラマのラストで朗読されるエミリー・ディキンソンの詩のように、その多用されるダッシュの向こうを読むように、我々は物語から何かを受け取り、考えはじめる。

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ゲーム作家。代表作「ぷよぷよ」「BAROQUE」「はぁって言うゲーム」「記憶交換ノ儀式」等。デジタルハリウッド大学教授。池袋コミュニティ・カレッジ「表現道場」の道場主。
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