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【グラデセダイ68 / でこ彦】グラデーションな季節#05「無駄だったかもしれない季節」

「こうあるべき」という押しつけを軽やかにはねのけて、性別も選択肢も自由に選ぼうとしている「グラデ世代」。今回は会社員のでこ彦さんのエッセイ。自分の性自認や性欲と折り合いをつけられなかった学生のころの感情を描きます。

●グラデセダイ64

僕の住むアパートは山の上にあり、急勾配の坂道の上に建っている。家の前は歩行者同士がすれ違うのも気をつかうような狭い道である。にもかかわらず、近くに住む大学生が自転車で猛スピードで駆け下りる。

なので平日は毎日轢き殺されそうになっている。大げさな表現ではなく文字通り毎日である。ついさっきも突進してきて、買い物袋を持っていかれそうになった。

人前で自転車を絶対に降りてはいけない、必ず複数人で並走すべしと大学で教えられているのかと疑うほど誰も遠慮をしない。最近では、「自転車で人を殺そうとする若者」の総称が「大学生」なのだと思って諦めている。

中学生のとき、「小学生は良かったな」と昔を思い返して3年間が過ぎていった。高校に上がると「中学は良かったな」になり、大学に進むと「高校は良かったな」になった。社会人になったとき、特に「大学は良かった」と懐かしむことはなかった。

大学生活は楽しめなかった。
学問に励むわけでもなく、アルバイトやサークルをするわけでもなく、夜な夜な遊ぶ友達もおらず、本当に何もしてこなかった。夜9時に寝て朝5時に起きる生活を送った。何もせず4年間が過ぎるはずないのに、本当に何もしていないのだから不思議だ。

ちなみに僕が自転車に乗れるようになったのは22歳からなので、大学時代に自転車に乗ったことがない。

大学とスーパーとの往復だけで、頭の中は献立のことばかり。大学時代「自分はゲイだろうか」と悩むことがほとんどなかった。それは同性愛者である自分を受け入れたからではなく、「同性も異性も好きではない」「ア・セクシャルに違いない」と判断していたからだ。

中高時代に比べて男女の集団を見かけるようになったのに、中高時代とは比べものにならないほど彼らから生々しい「性」の匂いがした。お互いを性的な対象として評価し合っている感じ。常に性的接触の機会を窺っている感じ。性的であればあるほど「なのに普通につるんでるうちらマジ狂ってんね」みたいな感じ。

僕の幻覚だったのかもしれないが、臭気を勝手に嗅ぎとって敬遠してしまった。
なるべく性的なものから距離を置きたかった。自分にも性欲が備わっていることを認められなかった。

大学2年の後期に「ジェンダー学」の授業を受けた。「世の中に男女しかいない」という窮屈さをほぐしてくれるような爽快感があり楽しかった。なので授業中に多く発言をしていたら、明るい人と勘違いされたのか友達もできた。授業終わりに「学部どこ?」だったか「あの先生、オノ・ヨーコに似てない」だったか覚えてないが話しかけてくれたのは、学部の異なる同学年の男子だった。彼は周りからザビエルと呼ばれていた。

大学では名前とは関係のないあだ名で呼び合い、本名を使うことがほぼなかった。だからザビエルの本名を僕は知らないし、あだ名の由来も知らない。

初めて会話を交わして3回目くらいの授業後「今からでこ彦の家に遊びに行ってもいい?」と聞かれた。初めてできた友達に浮かれていたのですぐ招き入れた。冷蔵庫に入っている食材を見て「オムライスを作ろう」と提案された。ザビエルが食べる分を僕が作り、僕が食べる分をザビエルが作ることになった。

狭いはずの台所にふたりで並んで立つと不思議と快適に感じられた。今まで自分しか存在したことのない部屋だったので、視界に他人が入るのがおかしい。

玉ねぎのヘタを排水口に捨てるのではなく、直接ゴミ袋に捨てるよう注意したら「でこ彦って頑固だよね」と言われた。「ザビエルこそ頑固だよ」思わず言い返すと「頑固ではない!」と認めようとしなかった。

ライスペーパーのようにゴワゴワになってしまった玉子をケチャップライスの上に乗せ、「ザビ」とケチャップで書いた。ザビエルが作ったオムライスの上には顔文字を描こうとして失敗したケチャップの固まりが乗っていた。

食べ終わるとザビエルは「じゃあね」とあっさり帰っていった。スクーターだったので、アパートの駐輪場まで見送りに行った。姿が見えなくなるとガソリンの香りがあたりに漂った。

ジェンダー学では授業の一環でアダルトビデオを見た。「欠席扱いにしないので苦手な人は来なくてよい」とアナウンスされていたが、普段より出席者が多いくらいだった。授業で見たそれが僕の人生初AVだった。

ペニスの模型を持った男性に追いかけられる女性の映像や、兄妹同士のストーリー仕立てのビデオをかいつまんで見終わると、先生による解説が行われた。その合間には学生の感想も求められた。

男子学生のひとりが「オナニーは本当はしたくない。今までのオカズ選びの時間をそのまま勉強に費やせたらどんなに有意義だっただろうと後悔している。しかしやめられない」と語るのが印象的だった。彼ともっと話をしてみたい、と興味深かったが、彼の仲間がにやにやと小突いているのを見て白けた気持ちになった。

授業後、ザビエルも普段はAVを見るのか尋ねようと近寄ると「なんかムラムラするね」と言われた。「ジェンダー学はみんなでAVを見るから毎年人気授業なのだ」と教わった。
「でこ彦もこの回が目当てだったんじゃないの?」というようなことも言われた。裏切られたような気持ちになった。

それから授業で会っても何となく避けるようになってしまった。そもそもAV鑑賞が終わったあと、ザビエルは欠席することが多くなった。
共通点がジェンダー学しかなかったので、後期テストが終わるともう見かけることもなくなった。3年生になってから僕はまた友達がいない生活に戻った。

僕ひとりだけ清廉潔白なふうに装うことで、性的なものから解放されていると錯覚していた。興味ないと言いつつAV鑑賞の授業を休まず出席する僕は卑怯だ、矛盾だ、不潔だ、と今なら反省できる。

同級生の女子と仲良くなることもできたはずなのに男子とばかり親しくなろうとしていたのも、僕に下心があったからではないだろうか。

大学時代に後悔することがあるとすれば、サークルに参加せず友達も作らず何もしなかったことではなく、自分がゲイであることを無視したことだ。

去年の10月に友達と会ってから約8カ月、人と会えていない。仕事関係で顔を合わせる人はいても、彼らの前で僕はゲイでないふりをしなくてはいけない。実際はしなくてもよいのかもしれないが、しなくてはいけないと感じている。

友達と会っても別に「ゲイならではの話題」を持ち出すわけでもなく、ドラマの話とか最近覚えた流行語の話をするだけなのに、ゲイであるかどうかを隠さなくてもよいというのは強い安心感を覚える。

大学時代、自分自身に対しても嘘をついていたことは、なんと無意味な窮屈さだったろう。
「とはいえ、何ひとつ満たされなかったあの4年間は決して無駄ではなかった。男子学生のオナニーのためのオカズ選びの時間も何かしら役に立っていたに違いない」と思おうとしてきた。

はっきりとあれは無駄だった。
しかし、無駄でもいいはずだ。生産性ばかりが価値基準ではない。

近所の大学生たちにも、意味もなく急ぐ必要はないのだ、坂はゆっくり降りなさいと伝えてやりたい。

◆「グラデセダイ」でこ彦さんのコラムは、今回で最終回となります。今までご愛読いただき、ありがとうございました。

1987年生まれ。会社員。好きな食べ物はいちじくと麻婆豆腐。
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