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傑作韓ドラがまた!Netflix『ナビレラ -それでも蝶は舞う-』70歳おじいちゃんバレエダンサーの「ケンチャナ」が胸に刺さる

世界最大の動画配信サービス、Netflix。いつでもどこでも好きなときに好きなだけ見られる、毎日の生活に欠かせないサービスになりつつあります。そこで、自他共に認めるNetflix大好きライターが膨大な作品のなかから今すぐみるべき、ドラマ、映画、リアリティショーを厳選します。今回ご紹介するのは、傑作韓国ドラマ『ナビレラ -それでも蝶は舞う-』。元郵便局員のおじいちゃんが、70歳にして初めてバレエに挑戦!才能あふれる23歳の青年とともに、バレリーノを目指すなかで、強いきずなが芽生え始めて……。

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「白鳥の湖を踊りたい」70歳バレエダンサーの誕生

韓国語を学んでいたことがある。韓国に留学して、最初に「ケンチャナ」という言葉を好きになった。日本語で「大丈夫」という意味だけど、ニュアンスの違いを感じた。日本語で「大丈夫」と言うときには、どこか我慢強さや耐えることの美徳が含まれていると思っていた。対して、韓国の友人たちが「ケンチャナ」と声をかけてくれるときには、あっけらかんとした口ぶりでありながらその奥に隠れた情が感じられる。耳慣れない外国語なのに、不思議とほっとする響きだった。

Netflixで配信中のドラマ『ナビレラ -それでも蝶は舞う-』(全12話)には、「ケンチャナ」というセリフが何度も何度も出てくる。元郵便局員のおじいちゃん、シム・ドクチュル(パク・イナン)が、70歳にして初めてバレエに挑戦する話だ。見ているほうですら、「大丈夫?」と言いたくなる。

友人の葬儀の帰り道、ドクチュルおじいちゃんは吸い寄せられるようにあるバレエスタジオを覗く。そこで踊っていたのは、23歳のバレエダンサー、イ・チェロク(ソン・ガン)だった。教会を改装したスタジオで、ステンドクラスから差し込む日の光に照らされた若く美しいチェロクが、力強くものびやかにバレエを踊っている。その姿にドクチュルは、幼い頃に諦めた「『白鳥の湖』を踊りたい」という強い気持ちを思い出さずにはいられなかった。

70歳のドクチュルを前に、チェロクやスタジオの先生・スンジュ(キム・テフン)は当然のように「老人には無理だ」と指導を断る。しかしスンジュは、脚の不調とスランプに陥っていたチェロクの刺激材料として、またマネージャーとして、ドクチュルをスタジオに迎え入れると決めた。いわゆるカンフル剤として利用されてしまうドクチュルだが、必ず舞台に立ちたいと目標を掲げて、チェロクからのテストや指導に食らいついていく。

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おじいちゃんの「ケンチャナ」が染み入る

はじめはバレエを習っていることを家族に隠していたドクチュル。しかし、当然隠しきれるはずもなく、妻のヘナム(ナ・ムニ)や3人のこどもたち、そして孫娘のウノ(ホン・スンヒ)にも知られていく。世間体にこだわる長男のソンサン(チョン・ヘギュン)が家族会議を開くまでの大問題となってしまった。ソンサンの妻・ソンスク(キム・スジン)や、末っ子で元医者のソングァン(ジョ・ボクレ)は理解を示してくれたものの、家族たちからの言葉は厳しい。

父さんが怪我をしたら母さんが苦労する。老人のレオタード姿なんてみっともない。70歳にもなって恥ずかしくないのか。趣味で運動がしたいなら登山でもしていればいい。欲張るな。家族を困らせるな。

ドクチュルはそんな心配と世間体が入り混じった言葉を受けて、一旦はバレエを諦めようと決意する。しかし、その心配のひとつひとつに「ケンチャナ」と笑って返せる自分になるために努力を重ねていく。

ドクチュルの「ケンチャナ」は自分のためだけではない。自分のバレエが踊れないことや、刑務所に入っていた父親との関係に悩むチェロクにも、「ケンチャナ」と声をかけ励ます。孫娘のウノは、父親の期待に応えるためにしていた就職活動に失敗してしまう。そんな孫娘にも、「ケンチャナ」と笑ってみせる。

人生経験を着実に積みながらも、新しい挑戦への努力をさらに重ねるドクチュルの「ケンチャナ」という笑顔。その癒しのちからに、韓国では「ドクミョドゥルダ」(ドクチュル〈役名〉+スミョドゥルダ〈染み入る〉)、「プチ・イナン」(わたしたちの小さくて大切なパク・イナン)という愛称も生まれたそうだ。

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人生につまづいたときに見たいドクチュルの笑顔

リスタートに挑戦しているのはドクチュルだけではない。チェロクやウノといった若者たちも、妻もこどもたちも本当は人生のリスタートのためにもがいている。「ナビレラ」はドクチュルの挑戦の物語でありながら、その挑戦は周囲の人びとや家族たちの人生のつまずきとも並走している。

たとえば、高い目標への挫折、信じていた師からの裏切りや誤解、仕事での取り返しのつかない失敗、壊れかけた夫婦関係、こどもを持てない悲しみ。思い描いていたものとは異なる未来は、「ナビレラ」の登場人物の誰にでも訪れている。

 「順風満帆な人生を送れたら もちろんいいだろう
 だがな つまずいたって構わん
 なんてことない 大丈夫
 十分がんばったのだから、そうだろう?」

そう言って、ドクチュルおじいちゃんは笑う。その笑顔がわたしたちの胸にまで刺さるのは、わたしたちもまた悩みながら人生を生きているから。リスタートをしなければいけないことに直面する機会があるから。ドクチュルや韓国の友人たちの「ケンチャナ」を思い出すと、前を向いてみてもいいかもな、と目線が上がるのだ。

チェロクとドクチュルは、それぞれに“高く舞う”ことを目指し続ける/Netflixオリジナルシリーズ『ナビレラ -それでも蝶は舞う-』独占配信中
ライター・編集者。エキレビ!などでドラマ・写真集レビュー、インタビュー記事、エッセイなどを執筆。性とおじさんと手ごねパンに興味があります。宮城県生まれ。
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