「麒麟がくる」全話レビュー32

【麒麟がくる】第32話。光秀「降りるに降りられず、思わず泣いてしまったことがございました」

新型コロナウイルスによる放送一時休止から3カ月弱、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が帰ってきました。本能寺の変を起こした明智光秀を通して戦国絵巻が描かれる壮大なドラマもいよいよ後半戦、人気ライター木俣冬さんが徹底解説し、ドラマの裏側を考察、紹介してくれます。32話は光秀の“戦のない世を作るための戦い”が本格化。一方で新たな戦いも。崖っぷちの信長、どうなる?

やんちゃな信長をうまく転がしているような

大河ドラマ「麒麟がくる」(NHK総合日曜夜8時〜)32回「反撃の二百挺」(脚本:池端俊策 演出:深川貴志)では光秀(長谷川博己)の“戦のない世を作るための戦い”が本格化。
朝倉攻めは信長(染谷将太)があえて引き、光秀的には引き分けに持ち込んだと思っているが、摂津(片岡鶴太郎)は信長の負けだとせせら笑う。

うっかりぽろっと摂津が漏らした言葉から、光秀ははかりごとを感じ取り、責め立てるが、とっとこ逃げる摂津。
摂津が率いる政所は信用ならない。公方を擁立して戦っているはずの光秀と信長は孤立無援である。

光秀は、子供のときに、高い木に登って「降りるに降りられず、思わず泣いてしまったことがございました」と公方(滝藤賢一)に昔話をすると「わしもあった」「泣いた」と公方が共感する。
公方に限らず以前もこうやってやんちゃな信長をうまく転がしていたような……。
お互いの体験を共感し合う光秀の作戦のようなものが、最近、多い気がする。
ただ、「降りるに降りられず、思わず泣いてしまったことがございました」という言葉には、光秀がこの大きな計画からもう降りられないと思っているようにも受け止められる。

戦とは、もとはいろんな大義名分や思想や理屈があったとしても、結果的にあとに引けなくなってしまう、濁流に飲まれてしまうようなものではないか。

制御しきれない混沌のなかで、光秀は必死に踏ん張りながら、信長のみならず、公方(滝藤賢一)にも穏やかに接していく。
今回、戦場にいなかった公方に、次の戦には参加してほしいと心をこめて頼む。
信長が来たとき、光秀の顔は映らない。
公方と信長が並んで廊下を歩いていくとき、信長はちらっと横目で公方を見る。その瞳のあやしさ。光秀と信長の思惑が気になる幕開けだ。

あんなに世話になった駒なのに

光秀は、妻・煕子(「七人の秘書」が絶好調の木村文乃)やふたりの娘たちとしばし和む。戦の傍ら、家族のあたたかさに癒やされていることが伝わってくる。これすら仮面のひとつだったらこわいけれど、光秀はそこまで闇落ちしてないと思いたい。

そして、藤吉郎(佐々木蔵之介)とふたり、堺の商人・今井宗久(陣内孝則)の元へ鉄砲を買いに向かう。
鉄砲、二百挺を頼むと、すでにある人に二百五〇挺を用立てすることにしたと言う宗久。商い相手の情報は秘密だが、代わりに光秀と藤吉郎は茶会に招かれる。
慌ててお点前を習う藤吉郎。

そこへ手紙が来て、茶会に集まる顔ぶれが書いてあり、そのなかの筒井順慶(駿河太郎)が鉄砲を買った者だろうと推理する光秀と藤吉郎は刑事ものの相棒のようだ。

筒井は松永久秀(吉田鋼太郎)の敵。「筒井順慶という」「筒井順慶という」と松永が苦い顔して言っている回想カットのリピートが現代劇のようだった。

「こまというのは女人でしょうかなあ」とぼんやり言う藤吉郎。あんなに世話になった駒(門脇麦)であろうとは気づかないのか。それともここではとぼけていたのだろうか。だが、あとで、筒井とも薬を通して繋がっていた駒が現れて、鉄砲売買に口添えしたとき、光秀に、駒はいま公方の寵愛を受けていて、摂津すら一目を置く存在になっているから、なんでも公方に筒抜けであろうと囁く藤吉郎。目下、完全に信長派だから、信長ファースト。となるとあんなに世話になった駒にも心を許さなくなったのかもしれない。戦とはこういうことなのだ、きっと。

一方、光秀は駒に対して何を思っているのか。駒と光秀が淡々と穏やかでいる様を見ると、駒は光秀のために公方と繋がりをもったのではないかとも思えてくる。

こうして筒井との交渉は成立。筒井は、駒に公方、光秀に信長を紹介してもらう約束と引き換えに鉄砲を百六〇挺、譲ることにする。

ぺちぺち叩いていたのは誰だったか

姉川の戦いがはじまると、家康(風間俊介)が大活躍。
家康は「公方さまはああみえて食えぬお方だ」と光秀に囁く。

それでも公方は、今度は、信長のいる海老江城にやって来て、ムカデが枕元に来たから吉兆だとエールを贈る。前進しかしないからムカデは縁起物。金運アップの象徴でもあるのだ。
いまも昔も人間は縁起を担ぐもの。公方は駒にトンボを贈る。これまた前進しかしないから「不退転」の縁起物で、兜の印にもよく用いられた。

ところが、ムカデのご利益はなく、信長はこの戦に苦杯をなめる。
織田が脆いと、裸になってぶつくさ言う公方の、肉体のひ弱さ。僧侶のときはあんなにも弱い者の味方であった公方が、祭り上げられて、見えるものが変わっていく。彼もまた、戦から降りられなくなった者のひとりだ。いまのところ、トンボを「生きておるのじゃ」と愛でる心をもっているようだが……。

前回の戦いは引き分けだったが、今回は完全に不利。
朝倉を比叡山延暦寺の僧たちが匿い、彼らは仏を背負うから敗けたことがないというと苛立つ信長は、「神仏を尊ぶ心はわしも同様」と仏を背負う。おいおい、仏を城の材料に使い、平気で割って、ぺちぺち叩いていたのは誰だったか……。

実際背負って、「重い!」と大声を出す信長にちょっと笑ってしまうが、ふと、この場面で、夏目漱石の『夢十夜』を思い出した。石地蔵が印象的に登場する第三夜。メイン脚本家の池端俊策は以前、長谷川博己と伊呂波役の尾野真千子の出演で「夏目漱石の妻」(16年)を書いていたことが、この短編を思い起こさせたのかもしれない。

家族や縁起物にどんなに頼っても、降りられない高い木や、背負きれない重いものは信長や光秀にのしかかってくる。
その心境を彼らにセリフで直截的に語らせず、身体的な体験を視る者にも共有させることで、混沌に絡め取られていく、言葉にならない崖っぷち感があとを引いて離さない。

〜登場人物〜
明智光秀(長谷川博己)…越前で牢人の身。

【将軍家】
足利義輝(向井理)…室町幕府13代将軍。三好一派に暗殺される。
足利義昭(滝藤賢一)…義輝の弟。僧になって庶民に施しをしているが、兄の死により政治の世界に担ぎ出される。

細川藤孝(眞島秀和)…室町幕府幕臣。義輝が心配。光秀の娘・たまになつかれる。
三淵藤英(谷原章介)…室町幕府幕臣。藤孝の兄。

【朝廷】
関白・近衛前久(本郷奏多)…帝を頂点とした朝廷のひと。

【大名たち】
三好長慶(山路和弘)…京都を牛耳っていたが病死。
松永久秀(吉田鋼太郎)…大和を支配する戦国大名。
朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)…越前の大名。光秀を越前に迎え入れる。
織田信長(染谷将太)…尾張の大名。次世代のエース。

木下藤吉郎(佐々木蔵之介)…織田に仕えている。

【商人】
今井宗久(陣内孝則)…堺の豪商。

【庶民たち】
伊呂波太夫(尾野真千子)…近衛家で育てられたが、いまは家を出て旅芸人をしている。
駒(門脇麦)…光秀の父に火事から救われ、その後、伊呂波に世話になり、今は東庵の助手。よく効く丸薬を作っている。
東庵(堺正章)…医師。敵味方関係なく、戦国大名から庶民まで誰でも治療する。

ドラマ、演劇、映画等を得意ジャンルとするライター。著書に『みんなの朝ドラ』『挑戦者たち トップアクターズルポルタージュ』など。
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