グラデセダイ

【グラデセダイ36 / でこ彦】グラデーションな感覚#3「好きな人と同じものを食べたら」

「こうあるべき」という押しつけを軽やかにはねのけて、性別も選択肢も自由に選ぼうとしている「グラデ世代」。今回は会社員のでこ彦さんと「味覚」の思い出について

●グラデセダイ36

僕の係長はすごいので、僕がぐったりしているとどこからともなく現れて、「目が死んでるぞ」と昼食に誘い出してくれる。
狭い定食屋で向かいあって座り、「大丈夫? 仕事つらい?」と声をかけられると全て大丈夫になった気がしてくる。
係長が本日のメニューから「牛しぐれ定食」を選択したので僕も「同じの」と注文した。そのあと係長は「ごはん大盛りで」と付け足した。たくさん食べる人は気持ちがいい。なので「気持ちがいいですね」と伝えた。
副菜のポテトサラダを食べながらニヤニヤしていると「何だよ」と指摘されたので「一緒に居酒屋に行くと係長はポテトサラダを頼みがち」とあるあるを伝えた。すると声をひそめて「でもこれはあんまり好きなやつじゃない」と教えてくれた。芋がゴロゴロ入っているものは好みではないらしい。
朝食の話になった。「最近、フルーツグラノーラにしています」と話すと係長は「えー!」と嫌そうな声を上げた。
「まじで?俺も最近食べてる。やめようかな」
思いがけない共通点に嬉しくなる。調子に乗って「パパイヤが歯に挟まりがち」と伝えると「それは知らん」と鼻で笑われた。
定食屋に設置されたテレビをぼんやり見て、報道されている事故の話をして、職場に戻った。別れ際、よっぽど僕がつらそうだったのか「夜もどっか行くか、焼き鳥とか」と誘ってもらえた。

人の食べ物の好みは部屋に似ている。
飲み会などで人がトマトを皿のへりに残しているのを見ると、その人が子どものときから使っている学習机を見たようで楽しい。
好き嫌いは育ってきた環境や地域によっても異なり、気取って飾り付けた部屋もあれば素朴な状態のときもある。トマトソースは良いけどケチャップはだめ、焼きトマトもだめ、煮トマトは大丈夫、と傍目には乱雑でもその人なりには整理整頓されている話のを聞くのもよい。
何でも食べるという係長はそれはそれで魅力的だが、目の前でカーテンを閉められたようにも感じてしまう。
という僕も嫌いなものが特にない。特別好きなものもないが歯ごたえのあるもの、ゴボウや板チョコはよく食べている。ミスタードーナツでもチュロスが一番好きだが、最も記憶に残っているのはふわふわのフレンチクルーラーである。

大学の学部棟1階の共有ロビーには自販機やパンフレットラックの他にベンチがいくつか置いてあった。授業の合間の休憩や友だちとの待ち合わせでいつも人がいた。友だちのいない僕がそこを使うことは滅多になかった。その日は珍しくだれもいなかった。硬いベンチに座るとジーパンの留め具がカチャカチャぶつかる音が聞こえた。大学から人がまるっと消えたのかと錯覚するほど静かだった。
壁際には本棚があり、就職活動情報誌と漫画が数冊立ててあった。普段ここを使う彼らの私物だ。初めて聞くタイトルの漫画の5巻から8巻だった。パラパラめくっていると、背後からかすかに笑い声が聞こえてきた。振り返る一瞬のうちにロビーは彼らで埋め尽くされ、ベンチを全て取られてしまった。
彼らはまるで僕が見えていないようだった。鞄やマフラーやミスドのドーナツの入った箱でベンチの場所取りをしたまま「べーちゃん探しに行こうぜ」と突風のように消え去った。ロビーは静けさを取り戻したが、空間に笑い声が残っていた。ベンチに置かれた色とりどりの荷物が目にもうるさい。
僕がこれらの荷物を盗むかもしれない、毒を盛るかもしれないと気にかけてもらえないことがさびしかった。
本当に僕は存在しているのだろうか。怒りか悲しみかイタズラ心か、放置されたドーナツの箱を開けた。一番上に詰め込まれたフレンチクルーラーをひとつ掴み、ロビーをあとにした。
駐輪場で隠れるように食べたフレンチクルーラーは歯ごたえがなく、くにゅくにゅと口の中で潰れた。

係長とビールグラスを交わし、焼き鳥を串から外して分け合いながら、僕は気付いた。「今日1日は朝昼夜、全く同じものを係長と食べたことになる」フルーツグラノーラ、牛しぐれ、焼き鳥。係長の肉体と僕とが同じ成分で構成されている! その発見は画期的だった。

それからは、係長が「あれを食べた」「これおいしい」と言及したものを積極的に口にするようにしている。中には僕の好みではないものもあったが、その馴染まない風味こそを「おいしい」と呼ぶと定義しなおしている。
係長と毎日同じものを食べたら係長になれるだろうか。それには何日かかるだろうか。と書きながら、もしかすると家族になるとはこういうことなのだろうか、と思い至った。

1987年生まれ。会社員。好きな食べ物はいちじくと麻婆豆腐。
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