グラデセダイ

【グラデセダイ33 / Hiraku】 #BLACKLIVESMATTER

「こうあるべき」という押しつけを軽やかにはねのけて、性別も選択肢も自由に選ぼうとしている「グラデ世代」。今回は、中村キース・ヘリング美術館プログラム&マーケティングディレクターのHirakuさんのコラムをお届けします。5月25日、アメリカ・ミネソタ州ミネアポリス市で白人警官による黒人男性の圧迫死事件が起きました。それによりアメリカ各地で人種差別に対する抗議活動が活発化しています。今回はNYで育ったHirakuさんがご自身の体験をもとに、今すべきことを教えてくれました。

●グラデセダイ33

NYで育った私が知る限りのブラックコミュニティーの日常

現在アメリカのすべての州で、あるひとつの問題に対する大規模なデモが起こっています。その問題とは、黒人差別。何世紀にも渡って白人社会に抑圧されてきたブラックコミュニティーが痺れを切らし、声を上げているのです。黒人に対する迫害や暴力はアメリカの白人社会だけではなく、グローバル社会においても、有色人種とされるアジア人がマジョリティーである日本や中国などの東アジア国家で起こるエスノセントリズム(自民族・自文化中心主義)下で現実として存在します。

今回は私が知る限りのブラックコミュニティーの日常をお話ししたいと思います。

前回のコラムでもお話ししたように、私はニューヨークのブラック・ラティーノコミュニティーで育ちました。言葉も、服装も、食べ物も、好きな音楽も、遊ぶところも、つるむ仲間もすべて周りと同じでした。

前回のコラムはこちら:あなたが私を「オカマ」と呼べない理由

朝、学校に着くとまず金属探知機をくぐり抜け、学校が終わるとブロンクス区のフォーダムというチェーンのファストフードレストランやショップが集まる中心地へ行ったり、たまに盛り上がって地下鉄に乗りマンハッタン区のミッドタウンへ用もなく行ってみたり、違う地区に住む友だちの親戚の家に遊びに行ったりしました。
友だちのおばさんの家を出るとき、おばさんは毎回「警察がいたら絶対フードを脱いで、ポケットからは手を出してね!」と言いました。それは、ブラックやブラウンの子どもたちに対する「怪しい存在でもないし武器を持っていないということを見せなさい」という彼女なりの助言でした。

そんな日常のなか、近所では道端で黒人の男性が警察官に押さえつけられていたり、銃を向けられていたり、追いかけ回されたりするのを目にしたり、「だれだれのお兄ちゃんが警察官に撃たれて死んだ」などと聞くのは日常茶飯事。私たちはいつも、警察を見ると、被っていたフードを脱ぎ、ポケットからは手を出し、身をすくめていました。すれ違う警察官は私たちが目を逸らすまでにらめつけました。「少しでも怪しまれたら終わりだ。殺されるかもしれない」と胸がどきどきしました。マンハッタンに行っても警察の態度は同じでした。ショップに入ると必ずスタッフがつけてきて、私たちが万引きをしないか見張りました。それは白人だけではなく、アジア人たちも同じ目で私たちを監視しました。

大学時代、友だち構成が変わって気づいたこと

高校を卒業し、大学へ入り、休学中に私の友だちの構成に変化がありました。徐々に周りには白人やアジア系の友だちが増え、他州から引っ越してきた人たちとの関わりが多くなりました。彼らの生きる現実は私が生きてきたものとは全く違いました。子どもの頃の話をすると、学校に金属探知機はなかったというのです。彼らにとって警察は危ないときに助けてくれる人たちで、正義の味方なのです。彼らと街を歩いていても、警察ににらみつけられることはなく、堂々と歩くのです。ショップに入っても、誰もつけてきませんし、誰か来たとすれば「お買い物手伝いましょうか?」と親切に聞いてくれます。
時が過ぎると私は周りに影響され、しゃべり方も格好も変わっていきました。ひとりで街を歩いていても警察ににらまれたり、ショップに入っただけでつけまわされたりはしませんでした。それは、大人になったからだと思っていました。
しかし、周りを見てみると、警察もショップスタッフもみんな黒人やラティーノを「あの目」で見ていました。友だちになった白人の中には、私が黒人やラティーノの中で育ち、危ないことをされた経験はないのかと気づかって聞いてきた人たちもたくさんいました。

私はそのとき、「自分があの視線を感じないのは、黒人じゃないからだ」と気づきました。今思えば、「あの目」で見られていたとき、私はブラックやブラウンの友だちと一緒にいたからだったのです。あれは見た目がアジア系である私に向けられたものではなく、ブラックやブラウンの友だちに向けられた視線だったのです。私の幼なじみや親友たちは常に「危険人物」として世間から見られているのです。

私に向けた視線ではなかったとしても、にらみつける警察官を目の前に「なにかあったら殺されるかもしれない」という感覚は本物でした。あの冷や汗が頭のてっぺんから出ているようなゾクッとする感じや、熱い飲み物をゴクッと飲んでしまい、ノドからお腹までカーッと熱くなるような恐怖感。私は黒人たちが日々、あの恐怖感を抱いているのは、大袈裟などではなく、現実であることを知っています。

沈黙は差別を許し、手を貸してしまうことに

今、世の中には差別が「現実」として存在することを認めない人たちがたくさんいます。「ほかの有色人種だって差別を受けている」というのも事実、しかし黒人差別によって黒人たちが殺されているのも事実であり現実です。それは日本における人種マイノリティーやLGBTQの自殺や彼らに対するいじめ、女性や未成年に対する性的暴行が現実であり、それに対する人権保護が「特別扱い」として払いのけられるのと同じなのです。

“Black lives matter(黒人の命が大切)”なのは、彼らの命が人の命として扱われていないからです。同じ人間なのに、同じ街や国に住んでいるのに、なぜ、彼らの命が常に危険にさらされているのでしょうか。それは、彼らを人間として認めず、「危険人物」や「犯罪者」とする社会構造があるからです。
日本人の中にもブラックやブラウンの人たちはたくさんいます。彼らが「怖い」とか「汚い」とか「日本人じゃない」という扱いをされているのが現実であることに気づいている人たちも多くいるのではないでしょうか。黒人ではない私たちがしなければいけないことは、自分たちも沈黙によってその差別に拍車をかけている現実を認めることだと思います。黒人が差別を受けているところを見て「かわいそうだな」とか「早く平等になればいいのに」と心の中で思っているだけではもう足りないのです。あなたの「沈黙」は事実上、差別を許し、手を貸していることにつながってしまっているかもしれません。
インスタやツイッターなどのソーシャルメディア上で何を言っていいかわからなかったり、間違ったことを言いたくないという気持ちはわかります。それならば、ただ単に「#blacklivesmatter」と書くだけだったり、本人たちの声をリグラムやリツイートすればいいのです。

最後に、私には恩師、幼なじみ、親友、元彼、あこがれの人、好きな芸能人、ヒーローがいます。その人たちはそれぞれみんな黒人男性です。彼らが警察官にあの視線でにらみつけられ、ミネソタ州のジョージ・フロイドのように、首を膝で押さえつけられ窒息死することを想像すると、目の前が真っ暗になります。
参考:https://www.asahi.com/articles/ASN5Y34FFN5YUHBI00B.html

暗い現実や非を認めるのは、とても居心地が悪いことです。ですが、それを乗り越えれば、黒人差別による誹謗中傷や暴行、殺害の軽減に少しだけでも手を貸すことができるのです。

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ニューヨーク育ち。2014年まで米国人コスチュームデザイナー・スタイリスト、パトリシア・フィールドの元でクリエイティブ・ディレクターを務め、ナイトライフ・パーソナリティーやモデルとしても活動。現在では中村キース・ヘリング美術館でプログラム&マーケティングディレクターとして、自身が人種・性的マイノリティーとして米国で送った人生経験を生かし、LGBTQの可視化や権利獲得活動に積極的に取り組んでいる。
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