コロナショックはここまできたか。人間関係のヒビにも水際対策中。
今日も朝から「スーパー2軒まわってきました!棚の商品はまばらだし長蛇の列!」のレポートが専業主婦の友人から届く。
一週間前はトイレットペーパー、その前はマスク。テレビの報道と共に、彼女の行動報告を受ける。
仕事の合間にLINEを開くと、2件、3件と彼女からの長文のLINEが溜まっている。
「のんきでいいな……」
けして言えない、言ってはいけない言葉を心の中でつぶやく。
仕事を頑張りたい時なのに
ここ1,2週間で、フリーランスの私の仕事を取り巻く状況は一気に変わった。営業職なので対面でのアポイントに制限を受け、電話やスカイプでの打ち合わせでは本調子が出せないでいた。オンラインで打ち合わせができればまだよい。延期やキャンセルはざらで、それは営業成績に直で影響する。何より通常進めなくてはいけない業務もスムーズに進まず、ストレスもたまる。
「震災の時もこんな感じだったんですか?」と後輩から声をかけられ、9年前を振り返ってみる。そういえばあの頃も、はじめは全体状況がつかめず、ただがむしゃらに、とにかく仕事を遂行することだけを最優先に頑張っていた。そのうち、否応なしに入ってくる情報に次第に不安をあおられて、わけもわからないまま行動を制限するようになり、最後は情報の洪水に疲れきってしまった。
今回はウィルスという見えない敵との戦いだ。決定的な打開策が出てこない中、震災当時より使いこなす人が増えた分、より拡散力を持ってしまったSNSが時にネガティブな影響をもたらす。
2011年当時も、ちょうどこんな風に、どれだけ危険な状態に陥っているかの実感を持ち始めた頃に、「もう何も知りたくない」とTwitterをアンインストールしたこともあったっけ。
情報をシャットダウンし、自分ひとりが最低限生きていける程度の食料や日用品を用意し、こんな時こそ粛々とできる仕事から片付け、落ち着いて過ごせるよう努める……努めたいっていうのに!
LINEの通知が鳴り止まない。
「熱が出てちょっとダルい!あたしもコロナかなぁ!!」
――勘弁してくれと、思ってしまう。
環境が違うから、情報ニーズも違う
学生時代からの友人との“つながり”は、こうした有事の時こそ大切にすべきなのかもしれない。2011年3月11日、携帯電話も繋がらない中、私は職場近くの友人の彼氏の家に身を寄せ、電車が動くまで待たせてもらった経験がある。
でも今は、友人たちが目の色を変えてドラッグストアに並ぶことが理解できない。良かれと思って送ってくる情報をうっとうしいとさえ思っている。
友人の気持ちがわからないことが怖い。
そして、そんなことを思う自分のことも怖い。
30代になり、既婚か未婚か、子どもはいるか、いないかと、それぞれの環境が少しずつ変わってきた私たちは、有事への対応も、それぞれに異なる。
今の私にとって一番大事なことは、集中してリモートワークができる場所の確保だけれど、主婦の友人は家族が安心して暮らせることを第一に、朝からスーパーに並ばなくてはならない。そして私たちはお互い悪気なく、「これはあの子にとっても必要な情報だ!」と判断し、ニーズが合わない情報を交換しては、お互いちょっとだけ疲れてしまう。
守らなくてはいけないものが違う。ただそれだけのこと。
だけど今はなんとなく、穏やかではいられない。
情報疲れ、“つながり”疲れ。見えない敵の余波がここにも来ている。大事な人間関係までウィルスに侵されてたまるか!――落ち着け、私。
-
第172回【2周年を迎えて】telling,は“ウソをつかない女ともだち"
-
第173回アジア人差別、出国難航……。新型コロナウイルス混乱の裏にある在外邦人のジ
-
第174回コロナショックはここまできたか。人間関係のヒビにも水際対策中。
-
第175回在宅勤務のワナ。上司からの「リモート飲みハラスメント」をかわすには
-
第176回「今」の自分と向き合うのは難しくて楽しい【ひらりさ】