本という贅沢95『あやうく一生懸命生きるところだった』(ハ・ワン/ダイヤモンド社)

「捨てるもの」と「残すもの」。アフターコロナの世界で私たちは何を選択する?

毎週水曜日にお送りする、コラム「本という贅沢」。今月のテーマは「転換」。新型コロナウイルスの影響で、多くの人がこれまでにないライフスタイルを求められている昨今。戸惑いや不安に包まれている方も多いのではないでしょうか。今回は、そんな気分の時にこそ読みたい一冊をとりあげます。書籍ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんが紹介します。

●本という贅沢95『あやうく一生懸命生きるところだった』(ハ・ワン/ダイヤモンド社)

『あやうく一生懸命生きるところだった』(ハ・ワン/ダイヤモンド社)

「死のシミュレーション」というワークを受けたことがある。2011年7月19日。当時私は35歳で、子どもを生んだばかりだった。日にちまで覚えているのは、大事な人の命日に受けたワークだったから。

このワークでは、最初に自分にとって大切なものを十数枚のカードに書き出す。そして、私たちは全員死に至る病にかかったという前提で、その大切なものをゆっくり、ひとつずつ捨てていくことを求められる。
病状に気づいたとき、病院を予約したとき、検査をしたとき、病名宣告、手術、休職、そして体が動かなくなったとき……。
病気が進行するのと同時に、書き出した「大切なものカード」 のなかから1つ、2つと、何かを選んで捨てることを指示される。

この、1枚1枚、悩みながらカードを捨てていく感じが、今回のコロナウイルスによってもたらされている世界に近いな、と思った。

この状況を「いろんなものが剥がれていく感じ」と友人が言っていたけれど、まさにこの数週間で、私たちは意識的にも無意識的にも1枚ずつカードを切っている。切らされているといったほうが近いだろうか。
これまで"要"で"急"だと思っていたものさえ(それは例えば、学校教育であったり、自分の仕事であってさえ!)手放さなくてはいけなくなっている。

「死のシミュレーション」のワークを受けたとき、私はかなり早い段階で「仕事」のカードを捨てた。自分はワーカホリックだと思っていたので、我ながら意外だったし、衝撃だった。
その時と同じ感覚を、いま、感じている。制限される生活の中で、意外とすんなり手放せるもの、身を切られるくらい手放したくないもの。優先順位がいやでも見えてくる。

ほんとうに大切なものは、実はそんなに多くない。

私だけではなくて、きっと全世界の人たちがいまそれを、身体全部で感じているのではないだろうか。

このヒリヒリ研ぎ澄まされた感じを、いつかまた自由が戻ったときにも、私は忘れたくないと思っている。

今回読んだ『あやうく一生懸命生きるところだった』は、今年の1月に翻訳出版された書籍だ。韓国では25万部売れたという。日本でも話題だから、すでに読んだ人も多いかもしれない。

この本は、40代になって勢いで会社を辞めてしまった作者が、必死に生きることと楽しく生きることの狭間を考える人生エッセイだ。
テーマは深いけれど文章が軽快なので、読みやすい。ユーモアにあふれていて、くすっと笑えるところも多い。

この本、発売当時は「疲れた心と体にしみる癒しの本」などと言われていたが、ここにきて、ちょっと受け取り方も変わってくるように思う。
この本は、人生なかばにしてようやく、「捨てるもの」「残すもの」を決めることに向き合う話でもあるからだ。
なんだか、今の私たちみたいだ。

いろんなものが剥がれていった、アフターコロナの世界で、私たちに残るものは何だろう。
ゆずれないものと明け渡すことができるものは何だろう。

そんなことをふわふわ考えながら、痛みをともなった新年度を迎えます。
はやく世界中の人々が自由になれますように。
悲しみができるだけ少なくありますように。
私たちにとって、大切なものが際立つ、美しい一年になりますように。

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それではまた来週水曜日に。

佐藤友美さんのコラム「本という贅沢」のバックナンバーはこちらです。

・「モテ期」とは、これいかに。服も恋も、「とりあえず試着」が良い理由(尾形真理子/幻冬舎文庫/『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』)
恋愛で自分を見失うタイプの皆さん。救世の書がココにありましたよ!アミール・レイバン、レイチェル・ヘラー/プレジデント社/『異性の心を上手に透視する方法』

・人と比べないから楽になれる。自己肯定感クライシスに「髪型」でひとつの解を(佐藤友美/幻冬舎/『女は、髪と、生きていく』)

ライター・コラムニストとして活動。ファッション、ビューティからビジネスまで幅広いジャンルを担当する。自著に『女の運命は髪で変わる』『髪のこと、これで、ぜんぶ。』『書く仕事がしたい』など。