「私たちが変われば世界が変わる。この感覚をすべての女性に持ってほしい」ネットイヤーグループ株式会社代表取締役社長CEO/石黒 不二代
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家業の工場から見えるサラリーマンの姿を、不思議な思いでながめていた
実家は繊維を輸出するための木箱をつくる、いわゆる製函業を営んでいました。家の横に工場があって、父と祖父は従業員の人と共に朝から晩までずっと工場で仕事。友達のところもみんな家業を持っていましたから、私にはサラリーマンがどういうものか、イメージがつきませんでした。窓から外を覗き、駅に向かうスーツの大群を見ては、「あの人たちは何をしている人なんだろう。なぜ駅に向かって歩いているんだろう」なんて考えていましたね。
ところが大学卒業後、すぐにサラリーマンにはなれなかった。じつは1年間のブランクがあります。というのも私が卒業した当時は、女性の4大卒は就職できない時代。そのため卒業後1年間、編集関係のアルバイトをしながら、これからどうしようかと機会を伺っていました。
翌年、進歩的な会社が女性の4大卒を正社員で採り始めました。ブラザー工業に中途社員として採用され、ようやくサラリーマン生活がスタート。海外で仕事がしてみたくて、「得意科目は英語です」って履歴書に盛って書いたら、見事に海外営業の担当になりました(笑)。
仕事と子育てを両立できる環境を求めて渡米
当時はマーケティング部なんてありませんから、海外の営業部が何でもやるわけです。海外のお客さんと話して、商品の仕様やスペックを決めて、エンジニアの人とスペックが可能かどうか話して、次に生産ラインと交渉してと、全部1人でやっていました。今考えればよくやらせてくれたと思います(笑)。そこでエンジニアの人たちと出会えたことは、私の人生の最大の力になったと思いますし、チャレンジに寛容な社風の会社で働けたのは、本当にラッキーでした。
そんな居心地のいいブラザーを退社したのは、結婚を機に東京に行くためでした。会社は、東京支社で働くことを提案してくれたのですが、新しいことをやりたい気持ちが芽生えていたのでお断りしたんです。当時の専務に「何をやりたいんだ?」と聞かれ、とっさに「M&A(合併・買収)」と答えたところ、専務は「わかった」と一言。そして紹介されたのは、私以外は全員MBA(経営学修士)を取得しているような会社。私は、MBAは持っていないものの、面接でのしつこい性格を買われ(笑)、その投資銀行から採用のオファーをいただきました。しかし、同時期にスワロフスキージャパンがマネジャー職で採用してくれたので、会社規模は小さいけれど責任あるポジションに就けるスワロフスキーへ入社することに決めました。
息子を出産したのはその2年後。母に子育てを手伝ってもらうつもりだったのですが、その母がすい臓がんでこの世を去ってしまいました。今でも母が亡くなったことが人生で一番悲しい出来事なのですが、悲しんでばかりもいられません。なにせ子育てプランが全滅してしまったわけですから。区役所に相談しても、「保育園は午後6時に閉まります」とけんもほろろ。仕事は午後6時に帰れるような状況ではありませんでしたし、「もう日本では無理!」と判断。アメリカは仕事と子育てが両立しやすいだろうし、MBAも取得したい。タクシーに乗るような軽い感覚でアメリカに渡りました。
自分一人では何もできないことをスタンフォードで教わった
スタンフォード大学はすごくいい学校でした。私は英語が苦手だったのですが、「授業が分からない」というと、「それは大変だ」とメンターや先輩が寄ってきて助けてくれるのです。とにかく面倒見が良く、自分一人では何もできないことを徹底的に教えてくれました。
授業と並行してサマージョブという夏休みの間に企業でインターンをするプログラムがあり、私はソフトウェアの開発会社に就職。勤めてみて日本と違うと思ったのは、午後6時になるとどの会社も、子供をもっている人は帰宅するのです。みんな帰って子どもを迎えにいくのですが、もちろん男女は関係ありません。仕事終わりに保育園に行くと、聴診器を下げたままのお医者さんや有名なノーベル賞受賞者が、当たり前のこととして子どもを迎えにきていました。
会社が大きくなれば、世の中を変える力も大きくなる
違和感をもってサラリーマンをながめていた幼少期、実際にサラリーマンとして充実していた時期を経て、私が大学院修了後に選んだのは起業でした。
日本とアメリカの企業間の技術移転コンサルティングが主な業務で、幸いなことに順調に業績を伸ばしましたが、仕事を通じて日本企業の「商品化力」の弱さを痛感。プロデュースやマーケティングの能力に欠ける日本を何とかしたいと考えていた矢先に、ネットイヤーグループのMBO(経営陣による自主買収)の話がきたため、参画を決めました。
今の最大の課題は会社を大きくすること。大きくするためにはどうすればいいのか、ずっと考えています。ゼロから新しいものを作り出す産業なので、なかなか予算がつかない。ついても予算感が小さいという傾向がありますし、自分たちに足りていない部分もあるのでしょう。
ただ、特に女性経営者を見ていて思うのですが、みなさんスケール(拡大)しなさすぎ!もちろん大きければ良いわけではありませんし、そもそも大きい会社をつくろうと思って起業する人ばかりではないでしょう。しかしスケールした分だけたくさんのお客さまにサービスが提供できますから、世の中を変える力も大きくなるじゃないですか。「私たちが変われば世界が変わる」という感覚を、もっと多くの女性に持って欲しいなと思います。
●石黒 不二代さんプロフィール
1994 年アメリカ・シリコンバレーでテクノロジーに特化したコンサルティング会社Alphametrics Inc.を創業、社長に就任。1999年Netyear Group,Inc. 取締役、ネットイヤーグループ株式会社取締役を経て、2000年5月より現職。2008年には東証マザーズに上場させた。内閣官房 「高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部」 本部員、経済産業省「産業構造審議会」の委員などの公職も務める。著書や寄稿多数。フジTVの「新報道2001」やNHKの「Bizスポ」などでコメンテーターを務める。スタンフォード大学経営学修士(MBA)、名古屋大学経済学部卒。
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