「チャンスは、絶対ものにしたい!」ダイヤ精機株式会社代表取締役/諏訪貴子
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私は兄の生まれ変わりだった
私の兄は6歳のときに白血病で亡くなっています。私が生まれる前のことです。だから両親にとって、私は兄の生まれ変わりだったんだと思います。
町工場を営む父からは、当然のように「大学は工学部じゃないと学費を出さない」と言われたのを覚えています。じつはその頃、本当はデザイナーになりたいという思いがあり、父に内緒で服飾科も受験して合格通知をもらっていました。だけど私自身も「兄が生きていたら工学部を選ぶだろう」と思っていたので、結局は工学部に進学しました。
この経験を話すと「かわいそう…」と言われることもあるのですが、私自身はかわいそうとはまったく思っていません。小さい頃から「お兄ちゃんが亡くなったから生まれた」と聞かされていたので、自分のなかではいたって普通のこと。むしろ兄とあわせて2つの命を持っているような心強さをいつも感じていました。
経営者になったからこそわかった亡き父の大切な教え
大学卒業後は、父の工場の取引先だった大手の自動車部品メーカーに就職しました。
ただ、辞めたくて仕方がありませんでした。
勉強では努力すれば男性に勝てるものの、いざ会社に入ってみると機械の扱いや力仕事など、女性の私の力ではどうしようもない壁がありました。男性ばかりのなかに作業着でいることも居心地が悪くて、「早く辞めたいな」とずっと思っていました。
そのメーカーを退職した後に出産。いざ憧れていた専業主婦になると、私の性格には合わなかったようで……。妊娠中から子どもが大きくなったらまた働こうとライフプランを立て、勉強していました。そして父の会社に入りました。そのときは社長になる気なんてこれっぽっちもありません。子どもが大きくなり父の会社の2代目になって私の役目は終わるとばかり思っていました。
実は私、父のもとで働いていたときに2回リストラされています。「不採算部門のカットを最優先にしましょう」と父に提案をしたら、私がリストラされました。これが2回(笑)。理由も聞きませんでした。なぜかというと父はいつも明確な答えをくれず、「お前も年齢を重ねたら理解できる」と言ってばかりでしたから。でも確かに、今になってみると父が何を考えていたのかわかります。リストラするならまずは身内からだと社員に示したのでしょう。社員との関係を一番に考えていたのだと思います。この父の考え方は、経営者になった今、大切な教えとなっています。
私の社長のスタンスは「社長をやらせていただいている」
2004年に父が倒れて状況は一変。会社を継ぐことになりました。そこからあたふたしっぱなしでした。ここまで15年、経営者としてやってこられたのはすべて社員のおかげです。私は社長をやらせていただいているだけの立場だと思っています。
先日、社員がクライアントからパワハラまがいの目にあったので、強い口調でクライアントに対して怒ってしまったことがあったんです。そうしたらみんなが「そこの仕事が無くなってもまた新しく取引先みつけるから大丈夫」と笑ってくれました。もう本当に社員がすべて。みんなが私の“宝物”です。
私は社員のみんなから、「笑い声でどこにいるかすぐに分かる」って言われているんです(笑)。でも笑って社内の雰囲気を明るくすることは、率先してやっていきたい。思えば父も、「トイレの100ワット」って呼ばれるくらい明るい人でした。経営哲学だなんて大それたことではありません。でも、社長が明るく、楽しくしていることが、本当に大切なことだと私は思っています。
新しいチャレンジ
2017年にIT関連の会社を立ち上げ、今年になり中小製造業向けのコミュニケーションツール「Lista(リスタ)」をリリースしました。これも私を育ててくれた中小企業や製造業の活性化につながると思ったから。経営的にははっきりいって赤字です(笑)。IT企業の立ち上げにはもうひとつ理由があって、それは創業者としての覚悟が欲しかったから。やっぱり創業者と事業を引き継ぐ2代目では、覚悟がまったく違います。「Lista」のためにほぼ全財産をかけて、腹をくくったからこそ、創業者のマインドがつかめたような気がします。この経験をしたからこそ、父への感謝の気持ちがより大きくなりました。
チャンスがあれば、絶対にものにしたい
私は縛られるのがイヤなので、これといった目標は持たないようにしているのですが、チャンスがきたらパッとつかめるように、つねにいろいろな勉強はしています。思いついたことはノートに書いて、後から見返したときに、それぞれ関連付ける作業をします。ビジュアルで見る効果はすごいですよ。何が足りないとか、何をしなくちゃいけないとか一目で分かりますから。
チャンスは絶対ものにしたいし、アイディアだって一つも無駄にしたくない。とにかく欲張りなんです(笑)。講演会で、ある男性から「家庭と仕事のどっちを取りますか?」と聞かれたときに、「両方とります。欲しいもの全部とります」と答えたくらい(笑)。両方を手にいれるためにはどうすればいいのかを、頭をフル回転させて、最善だと思ったものをすぐ実行に移しています。
そうそう、あと、学生の頃に描いていた「自分がデザインした服を世に出したい」という夢。実はここ数年でその夢が実現しました。通っていたバレエスクールの発表会で、プリンシパルの男性と踊る機会があったので、自分の衣装をつくったんです。デザインの夢をあきらめたつもりだったのですが、じつは心の奥底にまだあったんですね。誰にでも当てはまることだと思うのですが、「あきらめたこと」は心からなくなってしまったわけではなく、本当はしまってあるだけなんです。そう、夢は自分次第でいつでも取り出せるんですよね。
●諏訪貴子さんプロフィール
1971年東京都大田区生まれ。成蹊大学工学部卒業後、ユニシアジェックス(現・日立オートモティブシステムズ)でエンジニアとして働く。32歳(2004年)で父の逝去に伴い大田区の町工場であるダイヤ精機株式会社社長に就任。新しい社風を構築し、育児と経営を両立させる若手女性経営者。日経BP社Woman of year 2013 大賞を受賞。2017年には社長就任からの10年間をまとめた著書「町工場の娘」がNHKドラマ10でドラマ化。自身の経験をもとに事業継承問題に積極的に取り組んでいる。また、ニュースZEROや日曜討論等のメディアに多数出演し、中小企業の現状を伝えている。
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