【ふかわりょう】音を食べる男
●ふかわりょうの連載エッセイ「プリズム」16
音を食べる男
子供の頃からその傾向はありました。クーピー・ペンシル。色鉛筆でもなく、クレヨンでもない。柔らかな色合いで、当時はみんなのロッカーの中にいました。12色入りや18色入り。平らな缶ケースの中で並ぶグラデーションを見ると、私は、もっとたくさん欲しくなります。36色入り。数が多いということはその分、繊細な色の表現ができるわけですが、違うのです。ただ、欲しい。絵なんて描けませんでしたから。これがあれば素敵な絵が描けるという気分が欲しかったのです。
自転車もそうでした。5段変速のギアが主流という中で、6段のギアに向ける羨望の眼差し。やがて、前傾姿勢で乗るスポーツタイプの自転車が世に登場すると、まるでフェラーリでも眺めるように指を咥えていました。36段変速。でも、ツール・ド・フランスみたいなサイクリングをしたいのではありません。ただ、欲しいだけ。十二単のように、ギアの数が人の位を表しているわけでもないのに。そんな幼少期を過ごした子供は、大人になるとどうなるのでしょう。
「あぁ、これも欲しい……」
パソコン画面で眺めているのは、クーピーでも自転車でもありません。私の欲望を刺激するもの、それは、音。豊洲に買い付けに来た関係者のように、音を買いに行くのです。
クーピー・ペンシルのように、たくさんの音色を並べたい。場所をとるものではないから、あればあるだけ欲しくなってしまう。数にすると数十万色。形にしたら、マリー・アントワネット顔負けのカラフルなコレクションになるでしょう。買っても買っても、まだ欲しい。数十万色の音。こんなに必要ないし、ほとんど差異のない重複した音色だとわかっているのに。人生を数回やっても足りません。ただ、欲しいだけ。結局、大人の階段をのぼっても、人はそんなに変わらない。しかし、かつてと違う部分もあります。
「美味しい……」
それは、食べるようになったこと。毎日毎日、仕事が終わると、その日の気分で音を選び、味わっています。聴くのではなく、食べる。だから、お酒を片手に音をいじっている時間は至福のとき。まさに、おつまみ感覚で音を食べています。
それが、やがて一般に流通する曲として結実する場合もありますが、ほとんどは一人で食べて終了。途中で投げ出して、パソコンのハードディスクに保存される、排泄された音たち。こうやって、新陳代謝が保たれています。
人は何かに依存せずにはいられません。どこに比重が傾くかは人それぞれ。たまたま私は、音だった。音を食べる生活。誰にも迷惑かけていないから、問題ないですよね。
タイトル写真:坂脇卓也