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ビートたけしさんが顧問「江戸まち たいとう芸楽祭」は今週末!

2018年8月4日から、台東区浅草と上野を中心とした『江戸まち たいとう芸楽祭』が半年に渡ってスタート。野外上映、芸能パフォーマンス、歌舞伎舞踊、浅草芸者の舞い踊りなど、プログラムは多彩です。名誉顧問には、浅草で修行を積み、世界へと進出したビートたけしが就任。その記者会見で、浅草に対する熱い想いを聞きました。

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最先端の芸能×昔ながらの人情の復活

 5月30日、浅草寺雷門の前は修学旅行生や外国人観光客で賑わっています。平成に変わる少し前に生まれた筆者にとってみれば、これが見慣れた光景。

 しかし、浅草には浅草公会堂の歌舞伎、木馬亭での浪曲、浅草演芸ホールでの寄席や漫才など、様々な芸能の中心地でもあります。かつての芸能・芸術文化の熱気をもう一度復活させたい。そんな想いから『江戸まち たいとう芸楽祭』の取り組みが台東区発信でスタートします。

 「粋、豊かな人情、進取の気性、心を感じる「江戸まち たいとう」で、先人たちが守り、育み、現代へ継承されてきた多彩な芸能・芸術文化を、肩の力を抜いて楽しめるお祭り」

たいとう芸楽祭ホームページより

 芸楽祭実行委員会の名誉顧問には、浅草で修行を重ね、今や芸人として日本を代表するビートたけしが。顧問には笑いの殿堂、浅草演芸ホール東洋館の松倉久幸会長が就任。二人は木馬亭での記者会見で登壇し、浅草に対する想いを語られました。

「おかえりなさい、たけしさん」

 「今年は明治維新、江戸から東京へ移ってちょうど150周年。江戸文化の中心である台東区は、2018年を江戸ルネサンス元年と位置付け、様々な事業を展開します。そのひとつ、『江戸まち たいとう芸楽祭』は台東区の伝統芸能・文化の継承、発展のために始まりました」(服部征夫)

 コーディネーターの河井卓治(台東区文化産業観光部長)に促され、このように話した台東区長の服部征夫(ゆきお)。そしてビートたけしを「どうぞおかえりなさい、たけしさん!」と歓迎しました。

 「まぁ、帰ってきたというか、暇さえあれば浅草で飲んでいることが多いんですけれども(笑)。浅草は自分が学校をクビになってたどり着いた町で、ここで妙な拍子に芸人になってしまった。自分の人生の半分以上は浅草の人情と人間関係でもってきたようなものなので、時間の許す限り、恩返しをしたいと思います」(ビートたけし)

 芸楽祭は区役所主催と、少しカタいイメージ。立ち上げのときには、“たけしさんをぜひ名誉顧問に”という声が挙がりましたが、職員の中では“なかなかOKしてくれないんだろうな”という不安の声も上がっていたと河合さんが話します。そんな不安にたけしさんは…… 

 「私もこの間驚いたのが、足立区の乾麺とうどんの名誉会長になっていたこと。俺いつそんなの返事したんだろうと、笑ったんだけど。うどんも乾麺も食ったことがないし(笑)色々ものを送ってくれたらしいんだけど、うちのマネージャーがぜんぶ持って帰っちゃってね」(ビートたけし) 

 これまでの想いを吹き飛ばすような“たけし節”で会場を賑わせました。

 かつての浅草を想い、ビートたけしが描く今後の浅草像

  現在は多くの外国人も含めて一大観光地として賑わいますが、ビートたけしさんの修業時代、浅草はまだ閑古鳥が鳴いていたようです。

  「たけしさんが浅草に来たころは、いわば浅草のどん底の時代でございました。オリンピックを境に、テレビが進出してきて、映画館や演芸場がなくなっていく……というどん底の時代にたけしさんがきた」(松倉久幸)

 ビートたけしは当時エレベーターボーイとして働いていたフランス座で芸人・深見千三郎と出会い、弟子になりたいと申し出ます。松倉会長曰く、深見千三郎に憧れ、彼を目指して浅草に集まった芸人が大勢いました。

 「深見千三郎の薫陶を受けて、立派に成長されていったたけしさんは、やっぱり私からみれば素晴らしい芸人だと思いますし。どこかその当時からぴかっと光るものがあって、これはきっと大成するだろうと期待した次第でございます」(松倉久幸)

 浅草で芸を磨いたビートたけし。しかし幼い頃から東武伊勢崎線に乗って浅草松屋直結の終点で降り、かつての浅草を見て来たようです。

 「僕は子供時代から浅草に来ていて、自分にとっては遠足みたいなものだった。中学生、高校生になると、映画から演劇からなんでもあった街という印象。今でいう下北沢みたいな感じ。

 いつの間にか……やっぱり浅草は山手線を通さなかったのがまずかったのかなって思うんですけれども(笑)演劇場もなくなったり、若者の演芸とかエンターテインメントの基盤がじゃんじゃん下北沢を中心とする向こうのほうに行ってしまって。

 でも浅草にはやっぱり、お笑いとかそういうのが基本的に残っているので、自分はもうちょっとライブハウス的なものを気軽にできる……つねにロックバンドから、落語から、漫才から、ぜんぶできるフリーな劇場をつくって頂いて。そこで若い奴らがそこからチャレンジできる受け皿を率先して(浅草が)つくれば、若い奴が目立つようになると思うので、その助けをどうにかしたいと思っております」(ビートたけし)

 そして若手芸人の人々へのアドバイスとして、次のようなことも語られました。

 「考え方は色々ありますけれども、我々の時代とは違って。

 テレビや劇場のお笑い芸人になることが、昔はちょっと格好悪かった。芸人というのはランク下の……ちょっと差別的なことが起きていまして。当然、テレビの時代に、NHKのアナウンサーがいて、番組が(だんだんと)できてきて、バラエティー番組とかの司会が(各番組に)いて、それを打ち破ったのが萩本欣一さん、それ(萩本さんが築いたの)を継いだのが我々だと思うのですが。今テレビを見るとバラエティーがお笑い芸人以外の司会者を見たことがないという。

 すっかり(テレビを)乗っ取ってしまいまして。我々がデビューしたころは、劇場の看板は五木ひろしさんとか素晴らしい歌手の方が飾っていたんですけど、(今は)そういった歌手の方々の出番もなくなってきている。テレビの弱肉強食の世界である中で、芸人というのはたくましくて、いつのまにかテレビをまた席巻してしまっている。

 テレビをつければ芸人しか出てこないような時代がきましたけれども、インターネットやパソコン世代、iphone世代が登場して、また今度は(芸人の活躍する場が)ライブになる。ライブの時代になって、それで多くの学生が集まる下北沢のほうにライブハウスがいっぱいできて、そこに文化がぜんぶ流れていくような状態。

 こと浅草に関しては歴史があって、お笑いや映画の文化はほとんど浅草発信というのが多くて、技術とか食べ物とか浅草は江戸時代からの年季がありますから、そこで育つ人たちのほうが、味があるんじゃないかと思っておりまして。伝統と歴史の裏付けを背負った素晴らしい、新しいアイディアをもつ芸人さんが出てきてくれたら非常に嬉しいです。職人さんも後を継いで頂いて、浅草がひとつの文化の中心地にまたなればいいなと思っています」(ビートたけし)

浅草芸人が主人公の小説も登場。映画化にはあの監督が…?

 記者会見は浅草を中心に話していますが、たいとう芸楽祭は浅草だけでなく上野も舞台の一部です。どうやらビートたけしが初めて映画を見たのは上野だといいます。 

 「上野で最初に見たのはピエトロ・ジェルミ監督の『鉄道員』という、鉄道機関士の労働組合の悲しい映画でございまして。兄貴と二人で、なんで初めて外国の映画を見るのにこんなに悲しい映画を見なきゃいけないんだと、とぼとぼ歩いて帰ってきた(笑)上野駅の偶然入ってコーヒー屋さんで悪い奴に金をとられて、電車賃もとられて、とぼとぼ、とぼとぼ足立区まで歩いて帰った、暗い思い出しかない(笑)」(ビートたけし)

 

 明るい話を聞けるかと思っていただけに、語られた暗いエピソードに会場も湧き、コーディネーターも「メディアの方はカットでお願いします(笑)」なんて言う一幕も。

 そして会見の終盤、他の記者からは浅草、芸楽祭にまつわる質問が登壇者たちに向けられます。

――ビートたけしさんの中で、浅草を中心とした映画や物語の構想はあるのでしょうか?

 「こないだ、『フランス座』というタイトルの小説がやっと書きあがって、今校閲中で年代やらの考証をしている最中。それが今年の秋には出ると思う。浅草の芸人の話なんで。

 そういう関係の映画化は、俺は下手なんで…だから脚本はあげるけど……ちょうど是枝がカンヌで賞をとったから、あの人にやらせようかと(笑)そんで脚本代をいっぱいもらおうかなと(笑)」(ビートたけし)

――たいとう芸楽祭では、どんな人を呼んでどんなことをやりたいですか?

 「色んな芸能の人たちに月一万円ずつもらいまして、それをため込んで持って逃げようと思っている。バレたら橋の上から飛び込もうって」(ビートたけし)

――誰か一万円払ってくれる人はいますか

 「いや、最近は借りに来る人ばっかりで、払えるやつはいないと思う。もう台東区に頼むしかないですね」(ビートたけし)

――いつか浅草にビートたけしさんの冠がついた演芸施設が登場する日はくるのでしょうか。

 「浅草は、浅草寺を中心とした街(ロック座などもいってみれば、実質的には浅草寺のモノ)。お寺さんにも協力してもらって、土地とか建物の契約を安くしてもらってやりたいなと。お寺は街の象徴だし、文化の中心として盛り上げる役目があるわけで、三社祭とか色々イベントはありますけれど、もうちょっと芸能とかかつて一世風靡した浅草の演芸の施設をもっと増やしてほしいと思います」(ビートたけし)

 最後、区長、顧問ふたりから芸楽祭に向けた熱いメッセージで括られました。

 「今回芸楽祭が始まって様々な企画を立てている中で、(存在が)大きいなと思ったのがボランティアのみなさん。芸楽祭を盛り上げようと、区民の方から盛り上がったことは嬉しく思っております。この芸楽祭を区民のみなさんと共に、若手の芸能人が育てるように、芸能が育つように継承するように芸楽祭をしたい」(台東区長 服部征夫)

 「(本祭を)立ち上げた服部区長、ありがたいことだと思う。ひとつの歴史だと思う。なんとか大切にして後世につなげていきたいと思う気持ちなので宜しくお願い致します」(松倉久幸会長)

 「企画はいっぱいつくってやろうとしていて……結果的には面白い企画はいっぱいあるんだけどね。

 下北沢でいうとすずなりという芝居小屋が基点となって芸人が集まりだしてお笑いをやりだしてフランチャイズみたいなところがある。浅草もロック座、フランス座、松竹演芸場があって、まずはフランス座で修行して、演芸場に出て……またダメならフランス座に帰ってくる、なんて私みたいなのもいますけれども。浅草を中心とした芸能活動がありました。

 木馬亭にも出させてもらいましたし。お客さんが全然入っていないけれども、我々が出番なので(お客さんが)いなくても出てって言われて(笑)誰もいないから漫才の練習をしていたら、一人(お客さんが)入ってきたの。入ってきたから普通の漫才に戻したら、途中でトイレにでていっちゃって、それで終わっちゃったなんてよくありますけど(笑)

 それでもどうにか苦しいながらギャラを出していただいて……浅草の人は面白い人ばかりで、お金がなくとも“おい一杯飲ませてやる”なんて飲ませていただいて。そういう感じがちょっと忘れられなくて。

 そんな芸能としては最前線なんだけれども、人情的には昔通りのちょっと支え合うような浅草的なのがもう一回復活したら……。お年寄りから若いこまでみんな集まるようなかつての浅草のような雰囲気を作り直したいと思っております」(ビートたけし)

「江戸まち たいとう芸楽祭」は夏・冬開催

 たいとう芸楽祭は夏の陣、冬の陣と二部に分かれて開催されます。

野外上映『まちかど映画会』(8/4,5予定)

 第一弾・夏の陣のオープニングは、8月4、5日。芸術の都・上野の森で、浅草安来節などの芸能パフォーマンスや、二夜連続で世界の北野作品『菊次郎の夏』と『HANA-BI』を野外でリスペクト上映します。ほかには、隅田川に浮かぶ屋形船を舞台に、江戸から続く伝統芸を鑑賞し、川風に当たりながら昔ながらの風流を体験できる企画など様々なプログラムを10月まで実施。

 第二弾・冬の陣は、1月から2月にかけて初芝居、江戸町遊びの新年会をテーマに、区民参加型の公演や、本区ゆかりの劇団や作品の公演、演芸場、文化施設などを活用した演劇のお祭りを開催する予定。そして2月15、16日にはきらびやかな纏振り、講談、歌舞伎舞踊、浅草芸者の舞い踊りなど台東区ならではの芸能、芸術文化を堪能できる豪華絢爛なプログラムで閉幕します。

屋形船でお座敷芸、日本舞踊、太神楽など実演芸能を堪能(10/4,11,25予定)

 江戸から現代まで、歴史の中で発展し、もしくはそのまま受け継がれてきた多彩な文化に触れるのはなかなか贅沢な体験かもしれません。もしかしたら将来、お茶の間を笑いで満たしてくれる芸人にも会えるかも、なんて浮ついた考えも新しい才能を発掘して応援する力添えできそうです。

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