結婚って「ズルい」こと? 「そこまでして結婚したいんだ」と言われて考えた
婚約報告に返ってきた言葉
「そこまでして結婚したいんだ」と言われたことがある。
婚約報告をSNSでしたところ、十数年会っていない人から連絡がきた。久しぶりに会おうと言う。お祝いをしてくれるのかな、とルンルンで出かけて行った。
夫との出会いを聞かれた私は、のろけに聞こえないようにマッチングアプリで出会ったことを面白おかしく話した。当時、彼女はシングルだったので、「マッチングアプリしたらいいよ! でもナルシストな自撮り上げてるやつは注意ね」などとお節介を焼きながら。すると彼女は、「ふ~ん、そこまでして結婚したいんだ。私にはその気持ち、わからないな」と言ったのだった。まあ、言い放った、と言ってもいいだろう。
突然のことに、その場ではうまく返せなかったけど、帰りの電車の中で、ムカムカと腹が立ってきた。彼女の発言は、まるで結婚出来れば誰でもよかったように聞こえて、私だけでなく彼まで馬鹿にされたように感じた。たしかに結婚したくて婚活したけれど、誰でもよかったわけではない。この人となら、と思う人と出会えたから私は結婚を決めたのだった。
しかし、同時に「自分の言葉が返ってきたんだな」とも思った。
同じ呪いを私もかけたことがある
それは20代後半のこと。
当時私は会社で毎日のように夜遅くまで働き、結婚どころか恋人もいない状態だった。それなのに地元では第一次結婚ブームが起き、2カ月にいっぺんくらいの頻度で結婚式に呼ばれ、貴重な休みに新幹線で帰ってはお祝儀3万円を包んでいた。正直、そのことにいら立ちや不満、妬みを感じていた。いざ出席すれば感動で涙、涙なのだけれど……。
そんなとき、一緒にバリバリ働いていた東京の友だちまで結婚すると言い出した。しかも相手は有名企業にお勤めの、確実に高給取りであろう人。体調に不安のあった彼女は結婚を機に会社を辞め、専業主婦になるという。
ズルい、と思った。働かなくていいなんて。人のお金で暮らせるなんて。そこまで彼女を愛してくれる人がいるなんて。
本当は妬んでいたのに、私は狡猾にも「へえ、私にはそういう考えないな~。ご飯だって割り勘じゃないと気持ち悪い」などと言って、友だちの選択をバカにした。その子はただ、好き合える人と出会って、二人が思う支え合える形に収まっただけだったのに。
その子から距離を置かれて、やっと自分の過ちに気づいたけれど、もう遅かった。
「そこまでして結婚したいんだ」と言った人と、「へえ、私にはそういう考えないな~」と言った私は、あのとき、結婚をなにかズルいものだと思っていた。思おうとしていた、と言うのが正しいのかもしれない。
では、本当の「結婚」とはなんだったのだろう。
「結婚したい」の奥にあるもの
「へえ、私にはそういう考えないな~」発言から数年後、私は結婚したくて婚活をした。専業主婦になろうとしたわけではない。だって仕事は好きだから。じゃあなんで、私は結婚したかったんだろう。
まずひとつには、子どもが欲しかった。私は無類の子ども好きだった。大学時代、学童保育の指導員のアルバイトをして、すっかり子どもというものに魅せられてしまったのだ。結婚せずとも子どもは育てられる、というのは百も承知だけれど、今の日本では、まだまだ結婚していたほうが、なにかとスムーズだ。出産にはタイムリミットがあり、結婚を急ぐ必要があった。
そしてもうひとつは、安心したかった。失敗しても帰れる場所がほしかった。みんなにそっぽを向かれても、「いいよ」と言ってくれる人が一人いてほしかった。紙切れ1枚のことだけど、暫定的にでも「あなたと一緒にいます」という約束をしてくれる人がほしかった。結婚は一人よりもずっと不自由だ。でもその不自由を、あなたとなら引き受けてみたい――そんなふうに、「自分」を超えて、愛し、愛されてみたかった。「自分」のことはもう十分楽しんで、ちょっと飽きがきていたのだ。
それはズルいことだろうか。
私はマッチングアプリを始め、途中、やたら会話に下ネタを織り交ぜてくる人や、本名を教えてくれない人、突然連絡がつかなくなる人などに遭遇しながらも、幸運なことに今の夫と出会った。私は33歳、彼は28歳だった。
「私は次付き合う人と結婚すると決めている。あなたにその覚悟があるなら付き合ってあげてもいい」と宣言して付き合いは始まった。この人なら、そんな宣言も受け止めてくれると思ったのだ。家族思いの彼は結婚願望があり、子どもも欲しいと言っていた。二人の目標は同じところにあって、結婚一直線に進むはずだった。
ところが、彼はマリッジブルーに陥った。
彼のマリッジブルーは私のせい?
付き合って半年だったかなんだったか、この日までにプロポーズしろと告げていた期限がきても決断できなかった彼は、「プロポーズはまだできない。でもしなかったら別れられてしまう」ということにパニックになり、泣きだした。そこまで追い込む私も私である。私だっていくらなんでも「じゃあ別れます」というほど薄情じゃない。
なぜ、彼はマリッジブルーになったのか。私の求める「結婚」にズルいものがあったからだろうか。「どうして今は結婚したくないの?」と優しい声で問うてみるに、「繭ちゃんを幸せにする自信がない……」と言うのである。
「はあ?」
私は言った。
「あのねー、私は誰かに幸せにしてもらおうと思ったことは一度もない。私は自分で自分を幸せにしてきた。自分で働いてそのお金で自分の暮らしを快適にしてきた。だって仕事が好きだからね。この先だってそうしようと思ってる。その私が、自分が幸せになるには、あなたと結婚するのがいいと思ったから、結婚したいって言ってんの。あなたも絶対私と結婚した方が楽しいよ。だって私は自分で幸せになれる人だから。そう思わない?」
その言葉が響いたのかどうか、無事、交際1年で式を挙げた。夫に時々幸せかどうか聞いてみるのだが、悔しそうな顔をしながらも「まあまあかな」と答えるので、私たちの結婚は騙し、騙されたものにはなっていないようだ。
結婚から5年、私は夢だった小説家を目指すため、会社を辞めて、フリーライターになった。そして今年、そんな日々をつづったエッセイ集『夢みるかかとにご飯つぶ』を出すことになった。石橋を叩くだけ叩いて渡らない私が挑戦できたのは、失敗しても家庭という帰る場所があったからだ。私を自由にしたのは、結婚だった。
結婚したくてもいいじゃないか
「そこまでして結婚したいんだ」
そう私に言った彼女はその数年後、SNSで結婚報告をし、出産報告をし、毎日のように幸せそうな家族写真をアップしている。彼女があの発言を覚えているかどうかはわからないけど、まあ、きっと今思い出したら、反省してくれるにちがいない。
私たちは努力して、あるいは、まったく意図せずして、とにかく伴侶と出会った。そのことはなかなかどうして、素敵なことじゃないか。
結婚のメリットとかデメリットとか、子どもは産むべきとか、この時代に産むのは無責任だとか、世間は色々言うけれど、一つ一つの結婚には、二人の人間が作ろうとする人生の理想形があるだけだ。
そんなことを伝えたくて、私は「わたしたちの大人婚物語」という連載を立ち上げた。結婚を一例として、何歳からでも素敵なことはやってくるし、それを起こす力はいつだって自分にあるんだと、あなたにワクワクしてほしいから。
著者:清繭子
発行:幻冬舎
価格:1,760円(税込)
母になっても、四十になっても、
まだ「何者か」になりたいんだ
私に期待していたいんだ
二児の母、会社をやめ、小説家を目指す。無謀かつ明るい生活。
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