ジェンダーバイアスを持たせない母親たち
女の子だって虫好きに
メーカー勤務のTさん(41)。小学校受験を終えたばかりの幼稚園に通う6歳の娘が1人いる。Tさんは日頃から、様々な場面でなるべくジェンダーバイアスをかけない子育てを心掛けているという。
Tさんは娘と接する中で、男の子は生き物好き、女の子は苦手(特に虫)という一般的なバイアスがあると気づいた。「女の子は今の日本の環境では、何もしないと『プリンセスと虹とハートが好きで、虫はきらい。チョウチョはあり』。動物もウサギかネコくらいしか、絵を描かないとなってしまう」と感じた。
一方、小学校の受験に際し、様々な教養を娘に身に付けせる必要が出てきたので、バイアスを除く意味でも生き物について学んだり触れたりする経験をさせたいと考えた。そこで、家では親(特に母親)が“生き物好き・自然遊び好き感”を出すように気を付けるようになった。「例えば、外を歩いていてセミがいたら、『わ!セミがいるよ』みたいな感じで喜んでいる感じを子供に表していました」とTさんは笑う。
そして潮干狩りに娘を連れて行ったり、一緒にウミガメを保護するボランティア活動を行ったり。こうして、娘はウミガメを好きになっていった。さらに、水族館に行ってウミガメに関して飼育員さんに一緒に質問したり、博物館に行って亀と海のゴミ問題をTさんが説明して、「亀の卵やわらかいね」「亀かわいいね」「亀のためになにができるかな」と話しかけたりして、体験を積む状況を作り、かくして娘は「亀は好き」に。いま娘は、虫は苦手だけど、亀を通して生き物は何とか好き、という境界線に立っているそう。「私自身を含め、母親も実は虫嫌いでも、その感じは出さない。つまり親が一般的に言われているジェンダーバイアスの負の遺産を後世に残さないということに、気を付けています」
Tさんは続ける。
「有名な絵本・物語って、ほーんとに男子(もしくは雄の動物)が主人公のものが多くて、女の子が主役でも大抵は『妹の面倒をみた』とか、『プリンセスになる準備をする』とか、そういうのが多いんですよ……」
娘の学校である映画をテーマにした演劇会を行うことになった際も、キャラクター設定が男役ばかりで、女の子でメインのキャラクターを担当しようとする子は少なかった。学校側は「男のキャラクターに、女の子がなってもいいよ」と促したそうだが、結局は男のキャラクターはすべて男の子が担当した。
Tさんは、子供の周囲の環境が固定概念を生まないよう、家でできる工夫を考えている。例えば「女の子はなんでもできる!」「世界を変えた100人の女の子の物語」といった海外絵本の翻訳版や、日本の絵本でも、女の子が冒険するものをあえて選んだり、生き物や自然に関する絵本を多めに買ったりしている。
「普通という基準はない」
情報通信業に勤めるFさん(37)。9歳の息子がいる。Fさんは長女として生まれ、両親にはかなり過保護に育てられた経験がある。今から思うと、第一子として強い期待と、子供にはこうであってほしいという理想が自身に強く押しつけられていた。両親に勧められ小学校から女子校に通い、ハンカチはレースやお花柄と決まっていた。学校でも、「女性としての一般的な理想像」を押し付けられていた感覚がある。
「よき母になるためには、どうすべきかが大事であったり、『女の子なんだから○○しないの』といった表現が当たり前に使われていました。また、その女子校に通っていると知った周囲の大人達からは『だからおしとやかなのね』もしくは『その割に活発ね』と言われ、女の子のイメージは面倒だなと思っていました」
自分の意志とは関係なく、押しつけられる理想像に、いつしか自分が1人の人間としてではなく親の所有物のように扱われているように感じていた。そこから、Fさんには「自分は人それぞれの考え方を尊重したい」という気持ちが根付いていき、自然とジェンダーによる決めつけや、押しつけも避けるようになった。
Fさんは、そうした「“普通”という基準はない」という考えから、息子にはジェンダーバイアスをかけない工夫を心がけている。息子と一緒に友達の家に遊びに行った時のこと。友達親子とFさん親子で好きなキャラクターの話になり、友達の母は「息子はアナと雪の女王のアナが大好きで、ディズニーランドに行くときもアナのコスプレをしていったことがあったのよ」と話してくれた。その時、Fさんの息子さんは一瞬「え?!」という反応を示したが、Fさんは「アナいいよね。私もアナとエルサだったらアナが好きだなあ」と話を続けた。その後、特段の違和感が生じることもなく、すんなりと別の話題に移っていった。
その帰り道、息子さんとFさんは「楽しかったねー」とその日のことを振り返りながら、Fさんはあえて、「そういえば、○○君はアナが好きだって言ってたね」と息子に振ってみた。案の定、息子はびっくりしたことを伝えてきた。「なぜ驚いたの?」とFさんが聞くと、息子は「○○君は普段ズボンを履いているのに、スカートも履くんだ」と驚いていた。
さらにFさんは「○○君がズボンじゃないと、驚いたり友達じゃなくなったりするの?」と続けてみた。すると息子は「それは絶対にない!嫌いにならない!」と言った。
Fさんは息子が「友達がどんな格好でも好き」と言ったことで、それ以上深くは聞かなかった。「ジェンダーという言葉を使って説明すると、逆に意識し過ぎるかもしれないとも思いました。相手が男だろうが女だろうが、その人の好きなことに対して性別はもちろん、自分の尺度だけで判断しない感覚を息子が自然に培えるように、私たち大人も子供たちと話しているときの反応の仕方に気をつけるべきだなと思いました」
普段から性別によるバイアスはもちろん、他者の尊重や多様性にも配慮を心がけているという。子供を1人の人間として尊重し、彼の意見を聞くことや、息子の友達に対する態度にも意識を向け、「息子が友達とけんかして帰ってくることがありますが、その時に言っているのは自分が思う嫌だという基準と、友達の思う基準は違うんだよ、ということです」と話す。
サッカーチームで女子は娘ひとり
広告会社に勤めるOさん(42)。5歳の娘と生後9カ月の娘がいる。Oさんは両親の仕事の都合で、中学、高校はイタリアで過ごし、インターナショナルスクールに通っていた。様々な人種の生徒が集まっており、人種に対しての偏見を持たず生きるようになった。ジェンダーバイアスに関しても「人はみな平等に生きている」という感覚の延長線上にあり、自然とバイアスから比較的フリーになったのではないかと自分では考えている。
Oさんは娘もインターナショナル幼稚園に通わせている。様々な人種の子がおり、ジェンダーに関しても、例えば男の子はブルー、女の子はピンクで色分けするような教えは行われていない。学校外のクラブ活動として娘はサッカークラブに入っているが、メンバーは娘以外、全員男の子。「クラブに入る段階で、もちろん女子が少ないことを理由に止めることはないですし、その後、本人がプレー中の男の子の勢いに驚いてやめたがったことがありましたが、勢いがすごいのは決して性別による話ではないと伝え、自分なりにどうすると彼らに勝てるかまずは考えてみたら?と言いました」
差別的な表現の入ったコンテンツも見せる
Oさんの家におけるバイアスをかけない工夫も面白い。
有料テレビチャンネルのコンテンツでは、子供の年齢を設定することで、その年齢に見合わない差別的な表現や暴力シーンなどの入った映画などは、見られないようになるシステムが導入されている。しかし、Oさんはそこでの差別的な表現とはどんなものか、まずOさん自身で見てみて、問題なさそうであれば、あえて娘と一緒に見たりしている。
「そういう差別的表現の入ったコンテンツを見ていると、自然と娘から『なんで男の子だと○○してよくて、女の子だと○○しちゃいけないの?』などという疑問が出てきます。その時に娘の意見を聞いてみて、その上で私の意見を伝え、最後は娘が自分で考えるようにしています」。
触れた情報をそのまま何も考えず真に受けるのでなく、なぜダメなのか?それは本当にダメなことなのか?その視点はおかしくないのか?を自分で考え、判断し、行動できる子供に育てていきたいとOさんは考えている。
博報堂キャリジョ研は2024年2月、20-59才の女性150人を対象に「子育てに関する調査」を行った。子育てに関してジェンダーバイアスに配慮したり、考えたりしているかアンケートしたところ、「ある」「少しある」と回答した人は合わせて19%となった。
グラフ1で「ある」「少しある」と答えた人(29人)を対象に、表1、2のアンケートを行った。ジェンダーバイアスをかけない子育てに関して、工夫をしていることとして「個性を大事にして本人の好みを尊重する」「洋服は好きな色を選ばせる」「男女関係なく、様々なおもちゃを与える」「男女平等に学業、スポーツ両方の機会を与える」といった回答が挙がった。
また、ジェンダーバイアスをかけない子育てに関して、困っていることとしては「友達やママ友と話が合わない」「学校では制服など男女の区別がある」「世間の理解が足りない」といった回答が挙がった。
調査結果から、まだまだジェンダーバイアスをかけない子育てを意識している母親は少ないものの、2割ほどは問題意識を持った母親がいることがわかった。課題としては、周囲の意識を挙げた人が目立った。
今回取材をしたのは、小学生以下の子供がいる母親たち。こうした年齢の子供は吸収力が高く、いいものも悪いものもどんどん身につけていく。そして、吸収した情報をもとにいつの間にか自分の中の「当たり前=バイアス」を醸成していってしまう。取材を通じ、子供たちがフラットで多様な価値観を身につけていくには、周囲の大人がまず自身のバイアスに気付き、そこからフリーになって、子供と接する必要があることを感じた。また、子供の教育となると、つい上から「教える」立場になりがちだが、子供自身に考える力を養わせることが、子供がバイアスの問題の本質を理解するためにも大切なのだと考えた。