Beyond Gender#15

映画字幕「~だわ」「~だぜ」過剰なジェンダー表現のわけ LAで学び考えた 

#MeToo後の社会の多様性やジェンダー平等について2021年から約1年、米ロサンゼルスで研究した朝日新聞の伊藤恵里奈記者による連載・Beyond Gender。今回のテーマは映画の字幕について。何げなく眺めているけれど、作品理解には欠かせない字幕。そこでのジェンダー表現について考えてみました。AIという「黒船」も到来し、映像翻訳の世界も新たな局面を迎えているようです。
今も昔も分断される女性たち 上映企画「日本の女性映画人」から考える

私は2021年から22年にかけて、「スター・ウォーズ」のジョージ・ルーカスや、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「フォレスト・ガンプ 一期一会」のロバート・ゼメキスなど多くの名監督を輩出した南カリフォルニア大学(USC)映画芸術学部で学ぶ傍ら、実は新たな挑戦をしました。

映像翻訳、つまり外国映画やドラマにつく日本語字幕の制作について学んだのです。

ジェンダーの観点から、かつての映画やドラマにあった「~だわ」「~だぜ」といった、話し言葉では使われないような字幕特有の表現が生み出された背景について知りたい。そして「楽しみながら英語力も高めたい」と考え、「あわよくば将来、副業にできたら」とも目論んでいました。そんな好奇心で始めたのですが、翻訳の奥深さや難しさを思い知ることになりました。

JVTA(日本映像翻訳アカデミー)のロサンゼルス校に2021年秋、入校しました。1996年に創立され、海外の映画やドラマ、ドキュメンタリーなどの映像専門の翻訳者を数多く育成しています。受講したのは、映像翻訳の基礎コース(半年間)。

授業は全てオンラインなので、フロリダやバンクーバーなど北米各地から受講者が集まりました。年齢層の中心は、私と同世代の3、40代で、子どもが小学校に入学するなどした女性たちが多かったです。映像翻訳の仕事はパソコンさえあればどこでも、かつ都合のいい時間にできます。決して安くない授業料を払って、学びの場に再びついた同級生たちは、メディアや商社などで働いたなど経歴が多様で、外国で暮らすに至った経緯も様々です。学習への意欲がとても高く、20代の若者中心のUSCとは異なるいい刺激を受けました。米国人パートナーがいるなど、生きた英語に触れる機会が多いのも、ロサンゼルス校の受講生の特長でした。

JVTAの公式サイトから

女性像の変化と字幕の関係

「翻訳の仕事はいずれ消える」
AI(人工知能)を使った機械翻訳であらゆる言語が即座に訳せる時代になり、「今後のなくなる仕事」の一つに、翻訳がよく挙げられます。
ですが、半年間学んだ今となっては、強く「NO」といえます。

『映画の字幕はセリフの直訳ではない。映像をみながら読める字幕には限りがある。目安は1秒につき4文字。会話や長いセリフをどう区切るのか。言葉遊びやギャグ、専門用語をどう表現するか。漢字やひらがな、カタカナの割合をどうするのか、翻訳者の腕にかかる』(2017年7月、朝日新聞朝刊「文化の扉 映画、字幕で味わう」)

これは、私が6年前に字幕について取材した記事です。当時分かった気になっていましたが、実際に挑戦してみると、簡単な言葉でもいかに難しいか……。セリフが1.5秒の場合は、日本語6文字で意味を伝えます。さらに一行あたり12~16文字で、最大2行までにおさめる必要があります。

たとえばGeneration gapを「ジェネレーションギャップ」として、カタカナ表現をそのまま使うと字数オーバーになる可能性が高い一方、「世代間格差」と漢字を羅列する表現だとパッとみて読みにくい字幕になる。日本語字幕特有の細かいルールには、本当に頭を悩ませられました。

たとえば「Yes」という簡単な単語でも、どんな場面でどんな表情で誰に向かって語ったのか、前後の文脈によって意味合いが異なってきます。訳す必要があるのか、省略すべきかも含めて、文脈によって判断しなくてはなりません。

学び始めて、ジェンダーを強調した語尾「~ね」「~よ」「~なの」などについても、完全な排除を目指すのではなく、話者の世代や場面によっては必要だと思うようになりました。

幼い子に対して優しく語りかけるのと、会社などで部下や同僚に対するのでは、同じ人物でも当然話し方が異なります。上品な老婦人のセリフに、「~だ」という文末は違和感があります。複数の人が話す場面でも、ジェンダーの区別を感じさせる表現を上手につかってメリハリをつける方が親切でしょう。一方、スーパーヒーローや社長などのリーダー的役割のある女性に対しては、簡潔な語尾の方が合っているでしょう。要は誰がどんなシチュエーションで喋るのかによって、うまく使い分ける必要があると思うのです。

ロサンゼルスのアカデミー映画博物館では映画界のジェンダー差別に関する展示が充実していた

かつて映画やドラマで女性に与えられる役は、特に年代が上がるほど、誰かの母親や妻という役が多く、男たちを気遣ったりケアしたりと受け身でした。ですが、今では政治家や時には大統領、弁護士、医師、刑事、社長などあらゆる分野の物語で、女性が主体的に振る舞う姿が描かれています。必ずしも模範的な人間ではない場合もあります。

ペンシルベニア州の小さな町を舞台にした米ドラマシリーズ「メア・オブ・イーストタウン/ある殺人事件の真実」で、「タイタニック」のケイト・ウィンスレット(47)が演じた刑事のメアなどはまさにそうでしょう。アルコール依存症でタバコもやめられず、思春期の娘や年老いた母親、さらに元夫との関係で葛藤を抱えながら事件の解決に挑むメアを、ウィンスレットはリアリティーをもって感じました。このドラマは2021年の米エミー賞の主演女優を獲得しました。

私も含めて多くの人が、特に過去の映画やドラマでの字幕や吹き替えでジェンダー表現の過剰さが気になり始めた背景には、このように今、世の中で支持されるドラマや映画における女性像が多様化したことも少なからず影響しているのでしょう。

映像翻訳者はあらゆる分野の訳を手がけることから、課題として、野生動物の生態からサッカー、凶悪犯罪事件、改造車など様々な分野のものが与えられました。日本語でもなじみのない専門用語を字数制限の中でどう伝えるのか、逆にどこまで省略するのか、苦労しました。字幕翻訳者の世界は圧倒的に女性が多いので、男性ファンが多いとされる分野が強いと重宝されるそう。ちなみにホラー系は怖い映像でみせる場面が多く、セリフといっても叫ぶばかりなので量が少なく、あまり人気がないそうです。私はホラー系が好きなので、コースを続けてプロになれていたら利点になっていたのかもしれません……。

翻訳者に向いているのは、机にむかってコツコツと作業するのが苦にならない人。元来、原稿を書くより、外に出て人と会って話すことが好きな私は、半年の基礎コースを終えたところで「自分には向いていない」と悟りました。同級生たちの大半は、無事に基礎コースを終えて、実践コースに進級し、プロになるトライアル試験に何度目かの挑戦をしている人もいれば、試験を突破して翻訳者の卵としてキャリアを歩み始めた人もいます。

「建物の面積を表す単位で、なじみがあるのは平米?それとも坪?」「ゲストルームって客間でいいのかな?」「プロトコルって意味が通じる? フットボールのクオーターバックのプロトコルという表現なんだけど」などと、米国にいる同級生からは、今でもラインで質問が送られてきます。ロサンゼルスで映画三昧の日々を送っていた頃の甘酸っぱい気持ちを思い出しながら、やりとりを楽しんでいます。

朝晩歩いたロサンゼルス・ベニスビーチ、課題に行き詰まったとき歩いて気分転換した

AI翻訳は身近な相談相手?

JVTAが映像翻訳に特化したAIを開発したニュースも、ロサンゼルスの友人から教えてもらいました。SNSでは「翻訳者を育てる学校がAIを開発するなんて、裏切り行為」とか、「我々の仕事を奪う気なのか」などの声があがったそうです。
一体どういう理由があるのか。今年4月、JVTAに話を聞きに行きました。

応じてくれたのは、JVTA代表の新楽直樹さん。「AIの潮流には逆らえない、だったら人間に役立てる字幕翻訳のAIを作れないか」と考え、国立奈良先端科学技術大学院大学と共同で、映像に特化した日本語字幕を自動生成するAI「Subit!(サビット)」の開発を始めたそうです。
Subit!は、JVTAが蓄積してきた映画やドラマ、ドキュメンタリー、ニュースなどの、約7700時間相当の字幕と英語の原文のデータを、1年かけて徹底的に精査して整えた上で、読み込ませています。
世の中には、グーグル翻訳やDeepLなど、無料で使える便利な翻訳アプリがあります。それらとSubit!の違いは何か。それは「何を訳さないか」を考えられることだそう 。

試しに、Subit!で「What's the matter ?  Is everything okay?」というセリフを訳してもらいました。
グーグル翻訳では「どうしたの? 大丈夫ですか」と一語一句訳していましたが、Subit!では「どうかした?」「どうしたの?」「大丈夫?」と要約した複数の案が提示されました。

Subit!は字幕のルールにそった訳を提案してくれる

ちなみに、Subit!が提案する字幕は、ジェンダーを強調した訳ではないそうです。なぜならSubit!が学習素材として読み込んでいるのは、ジェンダーを強調する翻訳がされがちだったドラマや映画だけではなく、ニュースやビジネス番組、ドキュメンタリーなど、話者のジェンダーに影響されにくい中立的な字幕がつく映像のデータも多く読み込んでいるからだそうです。そもそもSubitはあくまでも案を出すAIでしかありません。AIが提案する訳も参考にしつつ、最終的にどんな字幕にするかを決めるのは翻訳者。翻訳者の人生経験や専門知識、そしてジェンダー問題への感度の高さがますます重要な時代になってきます。

ちなみに日本の著作権法では、個別の著作権者の許諾なく、AIに著作物を読み込ませて学習させることができます。AIなど新技術の活用を促し産業競争力を強化する観点から、2018年の法改正で整備されたのです。ですが、翻訳者の間では「苦労して訳した字幕のデータが無断で使われて、あげくAIに仕事を奪われる」という不信感が強いです。その懸念はもっともです。

新楽さんは「将来的にSubit!で得られた利益を、業界になんらかの形で還元する仕組みを作りたい」と強調します。「翻訳の仕事は一人で向き合う。自分だけでは考えられなかった、きらりと光るフレーズにつながるヒントを得られれば」

字幕に特化した翻訳AI「Subit!」を開発したJVTAの新楽代表(右)

確かに私自身、オンライン授業で、かつ課題を解くのも当然1人きり。相談相手が身近にいないなか、日本語字幕の細かいルールと向き合っていると精神的に行き詰まりました。同級生も「暗闇の中でパズルを解いている気分になる」とも吐露しました。もしSubit!があれば……。身近な「相談相手」を得て心強かったはず。

プロの字幕翻訳者になるコースを脱落こそしたものの、「いつかまた」という思いを抱きつづけている私。今も字幕に注目して映画やドラマを楽しんでいます。素晴らしい訳に出合ったときには、思わず膝を打ってしまいます。
JVTAでは段階的にSubit!を導入するそうで、よき「伴走者」を得られたなら、私もコースを完走できるかもしれない……再受講に向けて心が揺れ動いています。

AIと著作権を巡る問題が注目されているなか、今後どのように業界に還元されるか、そしてAIと翻訳者がどう共存していくか、私は記者として注視していきたいとも思っています。

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朝日新聞記者。#MeToo運動の最中に、各国の映画祭を取材し、映画業界のジェンダー問題への関心を高める。

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