小林さやかさん、再び「ビリギャルに」 米コロンビア大留学で夫と見つけた新たな価値観
大っ嫌いだった「学校」を見つめ直した
小林さやかさんは、慶応大を卒業後、ウェディングプランナーとして就職しました。2014年には、結婚を機に退職、フリーランスに転身後は、ビリギャルとして講演や執筆活動を手掛ける中で教育に関心を持つようになりました。2018年に離婚後、札幌の高校でインターンを経験したことがきっかけで、「教育を学び直したい」と大学院への進学を決意します。
――30歳を過ぎて聖心女子大の大学院へ進学、いまは米国ニューヨークのコロンビア大に留学しています。改めて学ぼうと思ったきっかけを教えてください。
小林さやかさん(以下、小林): 講演会でいろいろな悩みを抱える子に出会いました。子どもは実に狭い世界で生きている。もしその子の身近に視野の広い〝自分の好きな大人″がいれば、救われる子が増えるんじゃないか、と感じるようになりました。
そのことを交流のあった校長先生に相談したことがきっかけで、2018年、札幌の高校でインターンをさせていただくことになりました。そこで、教育に対する価値観が大きく変わりましたね。それまで私にとって大っ嫌いだった「先生」が、そこでは「子どもの未来を考えている大人」だったことに衝撃を受けました。
今の子どもたちに必要なのは、信頼できる大人との出会いなのではないか。そのためには子どもに一番近い学校の先生に〝おもろい大人″でいてほしい。先生が子どもの能力ややる気を引き出せるようになるにはどうすればいいのか、と考えるようになりました。私が高校時代の塾で出会った坪田信貴先生のような存在が学校にいると、子どもたちは心強いと思うんです。坪田先生は、〝ビリギャル″だった私を信じてくれ、ワクワクする生き方を教えてくれた人。大人になってからもずっと学び続けていて、しかもそれを楽しんでいる「かっこいい」と思える大人だった。私は坪田先生と出会えたからラッキーだったけど、多くの子どもたちは今もそんな存在を探しているのではないでしょうか。
そして、先生でも生徒でもない立場でもう1回、「学校」というものを見つめ直してみたいと思うようになったんです。
――そこから、留学へとつながったのは?
小林: 2018年の冬、久しぶりに会った坪田先生に、「日本の教育をもっとよくしたいんです」と相談したら、「それなら一度、日本から出ないと。日本の教育しか知らないでどうやって教育を語るの?」と言われたんです。実は、「私、日本の教育のことすらあんまり知らないな」と思っていたので、ドキッとしたのと同時に、「留学行くのがずっと夢だったけど諦めてたな」という気持ちに気づかされました。
――それからすぐに留学の準備を始めたのですか?
小林: いや、すぐに「じゃあ、行こう!」とはなりませんでした。仕事や家族との時間、いつか母になるという夢など、その時描いていた人生設計を手放さなければならない気がして……。
でも、学びを通して人をエンパワーメントしたいという想いは強まるばかり。そこで、日本で数少ない「学習科学」の研究者、益川弘如(ますかわひろゆき)教授の元で学ぶため、2019年4月、聖心女子大大学院へ進学しました。都内の公立中学校にも協力していただき、研究者として2年、現場の先生方の学びをサポートする研究を進めました。
――留学を決めたのはいつ?
小林: 大学院在学中です。その時はまだ付き合っていた今の夫に、「留学挑戦しようかな……」と何気なく話をすると、「留学、いいと思う! 俺も行く!」と(笑)。そこから英語の猛勉強と出願書類の準備を始めました。海外で、自分がやってみたい教育プログラムがある7つの教育大学院に出願し、コロンビア教育大学院と、UCLA教育大学院に合格。プログラムの充実度や、在籍期間の長さなどからコロンビア教育大学院への進学を決めました。夫は仕事を辞めて、一緒にNYに住むことになりました。
間違えてもOK、発言しないのはNG
2022年11月、小林さんは『ビリギャルが、またビリになった日 勉強が大嫌いだった私が、34歳で米国名門大学院に行くまで』(講談社)を出版。自身がビリギャルだった時代の坪田先生との出会いから、慶応義塾大学合格、就職、結婚、離婚、再婚を経てコロンビア教育大学院へ留学するまでを綴りました。
――最新の著作内で「大学院で再びビリ」と書かれています。
小林: 覚悟はしていましたが、言葉の壁が高くて。留学して最初の頃は、講義の内容はもちろん、次回までの課題が何かすら分かりませんでした。議論のテーマや相手の質問を誤って解釈して、とんちんかんな発言をしてしまうことも。クラスで英語ができないのは私だけ。「大学院で再びビリ」というわけです。
――高い言葉の壁をどうやって乗り越えているのでしょうか。
小林: まだまだ楽にならないですね。特にスピーキングはきついです(笑)。リーディングも他のみんなが2、3時間で終わる課題も、私は2日かかるので、必死で勉強しています。ネイティブの友達に、テストや論文の添削をしてもらったり、授業の前に質問内容を聞いてもらったりしています。人の10倍は準備に時間をかけているのではないでしょうか。そして、間違えてもいいから、授業では勇気を出して最初に発言するようにしています。
――YouTube「ビリギャルチャンネル」で、「目標」を宣言していらっしゃいますね。
小林: 「2023年は、今までで一番つらかったけど一番楽しかった!と言える一年にする!!」と宣言しました。英語力もまだ不十分で授業に付いていくのに必死だし、恥をかくことも情けなくなることも多々ありますが、その分、成長感覚も大きい。友人たちが、「さやか、どんどん英語うまくなってるよ!!」と励ましてくれるので、モチベーションを高く保って頑張りたいと思います。
――日本を離れて気づいたことを教えてください。
小林: 日本人は(私を含めて)、誰かに間違いを指摘されるのを恐れて発言するのが怖いと思う人が多いのですが、アメリカ人は、たとえ先生に意見を否定されても、「だから何? あなたの意見が正しいとは限らないでしょ?」と、最後まで堂々と自分の意見を主張するくらい、芯が強いと感じます。アメリカでは、「間違えても全然OK。でも発言しないのはNG」なんです。聞くと、彼らは子どもの頃から自分の意見をしっかり伝えるように教育されているそう。例えば、幼稚園からみんなの前で「今日、あなたが選んだ洋服のポイントは?」と聞かれ、「お気に入りのリボンです」と自分の意見や判断について説明する。アメリカ人の友だちは、「私たちは意見を言うのが当たり前っていう環境で育ってるのよ」と言います。これは日本の教育にも必要なことだなと思いました。
結婚にコンサバな価値観をあてはめていた
――大学を卒業後、ウェディングプランナーとなった後、結婚、フリーランス、離婚など、いくつものライフステージの変化がありましたね。
小林: そうですね。いつもその時に一番良いと思える道を選んできたつもりですが、人生にはいろいろな事情でうまくいかなくなることがありますよね。特に離婚したときの心の傷は深く、「もう結婚はいい」と心底思いました。家族だった人と家族でなくなるということは、思っていた以上につらい経験でかなりこたえました。
今から思えば、私は結婚というものに対して、コンサバティブな価値観を自分にあてはめようとしていた気がします。「妻が夫を支えなきゃ」と思い過ぎて、苦しくなった部分があったんだなと思います。
――その後、インターンや大学院生などの日々を過ごす中で今のパートナーと出会い、再婚されたのですね。
小林: 今の夫とは、2019年の夏、友人との食事会で知り合いました。彼といることで結婚がかけ算になるかもと思えたんです。結婚のために何かをあきらめる必要はないんだと、思えました。彼との結婚は「チーム結成!」という感覚。結婚に対する価値観そのものが、今の夫と出会って変わりました。夫は、お互いの人生を尊重できるパートナー。今は私が頑張る番でかなり支えてもらっていますが、いずれ夫が何かに挑戦するときは私がサポートする側に回ります。
――現在、ご夫婦でどのような生活をされていますか?
小林: コロンビア大学の寮で一緒に暮らしています。日本でITエンジニアだった夫が仕事を辞めたのは、私に合わせてくれたのではなく、彼もずっと海外で生活してみたかったらしく、そのタイミングに〝今″を選んだそうです。私は学生、夫は主夫としてそれぞれの生活を楽しんでいます。
――人生の再出発に留学を選んで、考え方はどのように変化しましたか?
小林: 人生のスケールが広がりましたね。世界中に友だちがいるって最高にエキサイティングじゃないですか。海を越えていろいろな人から刺激をもらっています。そして何より、「自由に生きるとはどういうことか」が分かったような気がします。
それは、誰の目も気にせず生きるっていうことかな。みんな、何かやりたいことがあっても、周りはどう思うかな、家族に反対されるかなとかって気になりますよね。私もそうだったから、その気持ちはよくわかります。でも、私は勇気を出して留学をして本当によかった。不安よりも、コンフォートゾーン(快適な空間)を抜け出すことのワクワクの方が強かったです。夫が「絶対できるよ!」と信じてくれたことが一番の力になりました。大事な選択だったと心から思います。
――telling,読者の中にも、「失敗するのがこわい」という人も多いかと思います。
小林: 私なんて、失敗だらけですよ(笑)。ビリギャルで話題にしていただいた大学入試も、第一志望の慶応大文学部には落ちていますし、今回の留学先も、第一志望のハーバード大には届きませんでした。でも、大丈夫。失敗には慣れますから(笑)。その時はどん底だと悩んでいたことも、時間が経ってみると、「実はそこまででもなかったんじゃない?」と振り返ることもしょっちゅうです。そして次第に、失敗を失敗とはとらえないようになる。成功するために必要な通過点だと思えるようになるのです。「だめだったらその時に考えよう」と、挑戦することに対するハードルも低くなるので、失敗への不安より、挑戦することのワクワクのほうが強くなりますよ。
学びのきっかけは日々のなかにある
――もう一度学びたい人は、何から始めるとよいでしょうか?
小林: 小さなことから始めると、そのうち好きなことやそれに関連するものに出会えるのではないでしょうか。新しいレシピに挑戦する、子育てを工夫するなど、何でもいいんです。そのためにまず、自分と向き合ってみることが必要なのかも知れません。その中で自分がどういうことに興味があるのかが分かってくるのではないでしょうか。
言ってしまえば、生きている事すべてが学びなんです。みなさんも私も、気づかないうちに学んでいることがたくさんあります。大学院や留学にこだわる必要はありませんし、年齢も関係ありません。
――年齢も気にしなくて良い?
小林: それは全然! 私の母はもうすぐ還暦を迎えますが、先日京都芸術大学で学芸員の資格を取得して卒業しました。コロンビア大学院にも私より年上の人はたくさんいます。学ぶのに遅すぎることはありません。日本では大学受験が学びのゴールととらえる人が多いですが、学びは生涯続くものです。読者のみなさんの中にも、社会に出て、そう気づいた人がいるのでは? そう思った時が学び直しのチャンスです!
――今後、取り組んでいきたいことを教えてください。
小林: 大学院を修了したら、人の学びに関することをコンセプトに起業したいと思っています。実はこれまでも起業の話はあったのですが、自分だけならまだしも人を巻き込む勇気がなかなか持てなくて決断できないでいました。それこそ「失敗」するのが怖かったんですね。
ただニューヨークでという全く違う文化を持った広い世界に出て、色んな背景を持った人たちに出会うようになって、「よし、次に登る山は起業だ」って腹が決まったという感じです。まだ具体的なお話ができる段階にはありませんが、少しずつ準備を始めています。
目標って、達成してしばらくすると、挑戦の場だったはずの場所が、気づけばコンフォートゾーンになってしまう。すると、私はそこから抜け出して成長したくなるんです。NYでのいろいろな経験を経て、またコンフォートゾーンを抜け出す時がそこまで来ているのかも知れません。
※写真はすべて、小林さやかさん提供
●小林さやか(こばやし・さやか)さんのプロフィール
1988年、名古屋市生まれ。高校2年の時に出会った恩師、坪田信貴氏の著書『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(通称:ビリギャル)の主人公。慶應大卒業後、ウェディングプランナーを経て、ビリギャル本人としての講演や執筆活動などを展開。2019年4月より、聖心女子大学大学院へ進学、21年3月修了。22年9月から、米国コロンビア大学教育大学院の認知科学プログラムに留学中。最新著書は『ビリギャルが、またビリになった日 勉強が大嫌いだった私が、34歳で米国名門大学院に行くまで』(講談社)。