離婚、シンママ、再婚を経て確立した体づくり 米Google社トレーナー・Sayaさん
結婚したら幸せになれると思い込んでいた
――Sayaさんは海外生活が長いのですね。
Sayaさん(以下、Saya): 生まれはセネガルで、12歳まで米マサチューセッツ州で過ごし、物心がついた時には英語を話していました。通っていた小学校の生徒のほとんどが白人で、アジア系は2人くらい。外では英語、家では日本語を話し、白人社会の中で生活をしている自分を部外者のように感じる面がありました。
日本語学校は週に1度通っていたのですが、私と違って短期滞在の生徒が多く、彼らは日本語は完璧。当時、私は英語の方が話しやすかったこともあり、余計にアイディンティティの確立が難しい環境でした。自分自身に対しての自信は全くありませんでした。
――「自信のなさ」は、その後どう影響していきましたか?
Saya: 20代で就職や結婚を選択しましたが、振り返って思うのは、自分の軸があったのではなく、やりたくないものから逃げた消去法であったり、失敗しない無難な道を選んだりしていたのだと感じています。
当時、結婚したら安定し、子どもができたら幸せになれると思い込んでいました。最初の結婚相手は日本人でしたが、お互い相手のことをよく知らないまま、価値観のすり合わせをせず、焦って結婚してしまったと感じています。
結婚後、少しずつ価値観の違いが生まれ、子どもが生まれてからその溝はさらに大きくなっていきました。
自分のために生きることが大事
――37歳の時、当時6歳と8歳のお子さんがいる中で離婚を決断しました。その理由を教えてください。
Saya: 離婚を考え始めたのは、フィットネストレーナーとして新しいキャリアをスタートさせる時でした。「私はこれでやっていく」との気持ちが芽生え、生きる上での目標ができたことで生まれた自信が後押しとなりました。
駆け出しのトレーナーで経済面は安定しておらず、子どもも幼かったですが、離婚を先送りにする選択肢はありませんでした。当時、お世話になっていたカウンセラーの方から「子どものためじゃなくて、自分のために生きなさい」と言われたことが大きく影響しています。
子どもが幸せになるためには、ママもパパも幸せでいることが大事という気持ちが強くなり、子どもが新しい生活に慣れるためにも、1日でも早く離婚した方がいいと思いました。
――離婚後も「共同監護」という形で、子どもを育てていらっしゃいます。
Saya: 私たちが住んでいたカリフォルニア州では、子どもと一緒に過ごす時間や養育費を折半し、双方が親権を持てる制度があります。周囲にも、離婚をし、共同監護で子育てをしながら働いている人が結構いました。その存在が刺激になり、「私にもできるかも」と思えたことは大きかったです。
働き方は、会社員になって組織に所属をするか、フリーランスで活動するか迷いました。安定面で言ったら前者ですが、子どもと過ごす時間をもっと作りたい気持ちの方が強く、結果的にフリーとして柔軟に仕事をすることにしました。
16歳の息子が著書を買ってくれた
――お子さんたちにとっては引き続き両親に会えるものの、生活が2拠点になるなど環境が変わることになりますね。
Saya: 子どもたちなりの、言葉では表現できない悲しみやつらさはあったと思います。共同監護下では、父親もしくは母親と過ごす時間が細かくスケジュールとして組まれています。私が仕事で手一杯になっていた際、娘に「今週末はパパの家で過ごすんだよね?」と言われたことがありました。その時、子どもに気を使わせてはダメだと思いました。
子どもたちは、自分たちのスケジュールがわかると安心するようだったので、「今度は◯◯に行くよ」「次は◯◯をするね」などと細かく伝えることを心がけはじめ、なるべくコミュニケーションの時間を多く取るよう意識しました。
――今では、生き生きと仕事をしている母親の姿に、お子さんたちは良い刺激を受けているのではないでしょうか?
Saya: そうですね、私が好きなことを仕事にしているポジティブなエネルギーを子どもたちも吸収してくれているようです。現在カリフォルニア州在住の16歳の息子は、この夏に日本に来て、自分のお小遣いで今回の私の本を買ってくれました。さらっと「よかったね」と感想を言う程度なのですが(笑)。
子どもたちには「自分のやりたいことを見つけてね」と常に言っています。それは、私の実体験に基づいた言葉なので、自然に伝わっているのではと感じています。
結婚はお互いを高め合うパートナーシップ
――2年前、45歳で再婚され、現在は日本とカナダの遠距離結婚生活を送っているそうですね。寂しさを感じることはありませんか?
Saya: それはあります。会えない時間の方が多いですが、気持ちはつながっていると感じています。彼もバツイチで、今は子どもがいるカナダで暮らす選択をしています。私も似た経験をしているので、夫のことを完全に理解できますし、むしろ、子どものそばにいてあげてほしいと思います。そこは価値観が合うなと。反対に、もし私に子どもがいなかったら、「なんで!?」と理解できなかったと思います。
私たちが結婚という選択を選んだのは、「将来は必ず一緒に住む」という安心感を持てると思ったからです。お互いルーツが違いますし、子どもたちのそばで暮らしたい思いもあるので、どこに住むかは未定です。もしかしたら1カ所には住まないかもしれません。
――離婚、再婚、そして遠距離結婚を経験し、Sayaさんにとって「結婚」とは何でしょう?。
Saya: 20代は結婚をすれば幸せになれると思っていました。今は、結婚はお互いを高め合うためのパートナーシップだと感じていて、「相手から何かをして欲しい」より「相手に何かをしてあげたい」と思っています。
結婚の形も「こうでないと」という強いこだわりを手放すようにしています。ただコミュニケーションはとても大切にしています。遠距離結婚をうまく続けられているのも、毎日コミュニケーションを取っているから。どんなに忙しくても必ず2人の会話の時間を作ることで信頼と愛が深まりました。
普段のやりとりはメッセージのやり取りを1日20〜30往復したり、時間がある時はテレビ電話をつないでいっしょに食事やお茶をしたり、エクササイズをしたり。映画や動画もいっしょに見ることもあるのですが、同じタイミングで再生ボタンを押そうとしても、1、2秒ずれてしまうので、笑うタイミングも1、2秒ずれてしまいます(笑)
そうしたオンラインデートもすることで、お互いのことがより理解できるようになったと思います。会えない分、言葉で伝え合うことを大切にしています。
「失敗してラッキー!」と思えるように
――Sayaさんが大きく一歩を踏み出した30代、女性は仕事か結婚か出産か、などの選択で迷ったり、好きなことが見つからずに悩んだりする年代でもあります。そんな女性たちにメッセージをお願いします。
Saya: まずは「焦らないで」と伝えたいですね。焦ってしまうと、本当はやりたくないものを選んでしまうこともあるので。
好きなことが見つからないのは、これから好きなことが出てくるということ。色々なものに興味を持ち、自分が何に惹かれるかと常にアンテナを立ててみてください。私の場合、それがフィットネスでした。自分の感覚に敏感になると、何に関心があるのかもわかってくると思います。
それに、20、30代は何度でもやり直しがきくと思うので、失敗を恐れずに、むしろ、「失敗してラッキー!」って思えるくらいになってもらいたいですね。恐れずに、興味をもったことに挑戦していってください。
●Saya(さや)さんのプロフィール
1976年、セネガル生まれ。2児の母。米国で幼少期を過ごし、13歳で日本に帰国。青山学院大学を卒業後、単身渡米。38歳でフィットネストレーナーに転身。アメリカ・シリコンバレーを拠点に、Google本社のエグゼクティブトレーナーとして活動。その他、Apple、テスラなどの企業の幹部などをクライアントに持つ。独自のフィットネスプログラム「globody(グローボディ)」を考案し、現在は日本で企業や一般の人向けに指導をしている。
『シリコンバレー式 globodyフィットネス』
出版社:講談社
著者:Saya
発売日 :2022年07月28日
定価:1540円