「私以外の振付で輝いている彼女たちを見た時はつらかった」振付師・竹中夏海さんが年を重ねて見つけた使命感

長年にわたり、さまざまなアイドルグループに振り付けを提供してきた、振付師の竹中夏海さん。大学卒業後、自ら飛び込み、切りひらいてきたアイドル業界。「若さ」が時に武器となることもある世界で、20、30代と走り続けて来て、抱いた心境の変化とは。『アイドル保健体育』(CDジャーナル)を通じて発信していきたい、新しい目標についてお話を聞きました。

40代、50代で夢が叶えばいいと気長に考えていた

――2007年に体育大学を卒業し、フリーランスとして振付師のキャリアをスタートした竹中さん。当時は「大学を卒業したら企業に就職する」という価値観が今よりも強かったと思うのですが、なぜ今の道に進んだのですか?

竹中夏海さん(以下、竹中): 私が大学を出た年は、団塊世代が定年を迎えるタイミングで売り手市場でした。でも就職する気はまったくなくて……。「振付師になりたい!」というのは高校生の頃から決まっていたのに、「これ!」というジャンルが見つからないまま気付いたら大学を卒業していました。

ダンス学科での学生生活は、「アート系よりはエンタメ系がいいな」「テーマパークダンサーよりももっと、お客さんを巻き込んで一体化できるような仕事はないのかな」と模索する日々でした。

ダンスはどのジャンルも、とにかく上手に踊る、不揃いな部分をキレイに揃えることが重要視されるのですが、私は「不揃いな素材をいかすようなものを作りたい」と思っていました。でも、それが何かを掴めないまま卒業してしまって。そこから1年ぐらいは、学生時代のバイトを続けながら、ダンス講師の仕事を増やしていきました。

紅白をきっかけにBerryz工房にハマり、「アイドルのダンスって、踊り手のパーソナルな部分をいかすことができるんじゃない?」と思いついて。その時、自分の頭の中のふわっとしていたものがひとつになりました。「アイドルの振付師っておもしろそうじゃん!」と。

――夢が定まり、そこからどのようにプロの振付師になったのですか?

竹中: 有名な振付師のお弟子さんになるのが一般的ですが、私は師匠の振り付けを覚えて人に教えるという「アシスタント能力」が全くなかったんです(笑)。その方法は諦めて、もう少し長い目で見て、4050歳ぐらいになった時にアイドルの振り付けができたら儲けもん、くらいの気持ちで仕事を探すことにしました。

――そんなに気長に考えていたんですね!

竹中: 全く心配性ではなくて(笑)。それにツテもなかったですし。あの頃は、女性アイドル自体まだまだ少なくて、ハロプロやAKB48には有名な振り付けの先生がついていました。

そこで、これから立ち上がるアイドルグループの情報を探して、ダメ元で連絡していきました。PASSPO☆(結成時は「ぱすぽ☆」)は、「ファンから意見を募りながらグループを作っていく」という触れ込みだったので、振り付けをやらせてもらえませんかとメールをしました。それがご縁で仕事につながっていったという感じです。

――それはすごい行動力ですね。

竹中: よくそう言っていただけるんですが、実はこの方法はカメラマンの友人のマネなんです。彼女が好きなバンドのホームページで、「楽曲はいいのに公式サイトの写真がイマイチだな」と思ったところを狙って「撮らせてほしい」と交渉して、仕事を広げていったと聞いて、その方法はいいなぁと。

どこなら自分の入る隙があるかを考えて、ダメ元でアタックしていく。無視されたり、断られるのが当たり前だから落ち込むこともなかったです。

仕事の悔しさから抜け出せたのは「オタク気質」だったから

――PASSPOの振り付けを担当するようになってから順調にキャリアを歩まれているように感じます。苦しかった時期はありますか?

竹中: 振り付けを始めて45年はPASSO☆専属でやっていたのですが、なりたかった仕事に就けたこともあり「この子たちの振り付けは私じゃなきゃ!」という気持ちが強かったです。なので、私以外の振付師の先生のダンスで輝いている彼女たちを見た時はつらかったですね。

今でこそ、教え子たちの成長のためには、たくさんの方とお仕事をした方がいいと思えますが、その頃は自信を失って、「私は彼女たちの担当をしない方がいいんじゃないか」と気付いたら極端な考えになっていました。

――どのようにそういった気持ちと折り合いを付けたのでしょうか。

竹中: 突き詰めると、オタク気質をちゃんと持ち続けることが大事なのかなと思ったんですよね。「私よりあの人の作ったもののほうがよかった」と落ち込むより「やっぱあの人の作品、あそこがいいんだよなー!」みたいな、ファンだった頃のマインドでいた方が気持ちが楽になれるな、と。
自分の心の向かう先を自分でコントロールしていけるようになったら、一つひとつの作品を冷静にちゃんと見られるようになりました。

そうすると、「この先生は、私にはできないこういういい部分があるけれど、私の振り付けにはこういう個性がある」と分析ができるようになっていきました。

私はやっぱり根がアイドルオタクなので、歌詞を深読みして、プラスαのストーリーを乗っけるという、めんどくさい世界観を作るのが好きで、そういう振り付けが合う曲もちゃんとあるんです。 

年齢やキャリアを重ねたからこそ生まれる使命感がある

――振付師の仕事は身体の管理も大切な仕事ですが、30代に突入して、心身面で今までのようにいかない、といった焦りを感じることはありましたか?

竹中: 仕事を始めた時は245歳で「アイドルと近い年代の若い先生」として、彼女たちの気持ちを理解してあげられることが強みだと思ってやってきていた部分もあったので、自分より年下の振付師の子が出てくることには、ちょっとした焦りもありました。

ただ、仕事をしていくうちに、私は「体育会系の振付師」ではなく、「文化系の振付師」だなと自覚するようになって。

――文化系ですか?

竹中: 簡単に言うと、パッションでストイックにいい作品を作り続けていくよりも、ダンスやアイドルという文化を言語化したり、発信することの方にも興味がありました。意外と、同じように考えている同業の方が少なかったので、自分のやりたいこと、やるべきことが定まっていったというか、焦る気持ちが減っていって、自信に変わっていったように思います。

――具体的に、どんなことを今の目標に考えていますか?

竹中: 女性アイドルたちの健康への配慮や、アイドル業界の改善した方がいい構造を変えることですね。みんながなんとなく慣習としてきた未開の地を耕して、生きやすい業界にしていく感じです。

「下の世代に仕事をとられてしまうかも」と脅威に感じるよりも、下の世代が生きやすくなっていってほしいという思いが今は強いかな。
仕事を始めた時とは、目標は変わりました。今の年齢やキャリアだからこそできることに、夢も更新されています。 

――アイドルを応援する人が男女ともに増えていますが、現場で感じていることはありますか?

竹中: 女性アイドルたちが「私なんか」と引け目を感じる場面にたくさん出会います。「ニコニコしてるだけでお金もらえるなんていいね」などと、いまだに言われるとも聞きます。

でも、さまざまな年代、地域から応援してくれる方々がいることは励みになっていると思います。かつての女性アイドルは「男性の疑似恋愛の対象」という認識も強かったけれど、今は同性にとっても「自分たちのヒロイン」として存在しているという考えが浸透していますよね。ファンの人のそうした思いに、アイドルや私たち裏方も、心強さを感じています。

■竹中夏海(たけなか・なつみ)さんのプロフィール
1984年生まれ、埼玉県出身。2007年日本女子体育大学ダンス学科卒業。2009年よりコレオグラファーとして活動。国民的大型グループから、実力派ライブアイドルまで担当したアイドルは300人にも及ぶ。ほかにも藤井隆やテレビ東京『ゴッドタン』内「マジ歌選手権」ヒム子(バナナマン・日村勇紀)など、性別や年齢、ジャンルを問わず踊り手のアイドル性を引き出す“全方位型”振付師として定評がある。広告やTVMVの振付・ポージングも多く手掛ける。自身のアイドル愛にあふれる視点や女性の健康問題を扱う連載も数多く持つ。著書に『IDOL DANCE!!!〜歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい〜』(ポット出版)など。

振付師・竹中夏海さん「アイドルもひとりの人間。健康という観点でアイドルを知ることが大切」

『アイドル保健体育』

著者:竹中夏海
発行:CDジャーナル
価格:1,650円(税込)

現在肩書き無し。30歳の夏、港区での彼氏との同棲を解消、同時に8年マネージャーとして勤務した芸能事務所を退社する。ライター業ではお笑いやサブカルチャーに関するコラムをwebサイトに寄稿など。
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。 コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。