俳優・片桐はいりさん「ひとりでも絶対平気という気持ちがあればもっと柔軟になれる」コロナの自粛期間に気づいた、休むということ

目の前にやってきた電車に乗って、終着駅まで読書をする。かつてTV番組で、そんな趣味を披露していた俳優・片桐はいりさん。不要不急の外出を避けるように言われていた日々では、どのように過ごし、どんな楽しみを見出していたのでしょうか? 「新しい暮らし」を模索しなければならない今、片桐さんの生活スタイルはひとつの手がかりになるかも知れません。

「演劇とか映画をもっと大切に扱おうと思った」ステイホーム期間

――この春には、演劇の公演や映画の公開がいくつも中止になりました。その様子をどんな思いで見ていましたか?

片桐はいりさん(以下、片桐):それはもう、悔しさが半端じゃないっていうか。私たちの6月に上演予定だった舞台はまだお稽古に入る前に中止が決まりましたけど、ゲネプロ(舞台での通し稽古)までやっていてとか、公演があと2回だけなのに中止になった舞台もあって。その人たちの気持ちを考えたら、私だったら絶対に壁を蹴ってるわ! って思いました。

でも、大変なのは映画、演劇に限らない。みんな等分につらいわけで。だけどこの禍 の中で自分なりに感じたのは、もうそんなにたくさん新しいものはいらないということです。「もういらない」というわけではないけれど、次から次へ新しいものをつくっていこうとか、どんどんキャッチアップしていこうということは、私の人生には必要ないと思いました。

――どういうことでしょうか?

片桐:自分のなかで何が余計だったか、何が自分を疲れさせていたかっていうと、そういう「新しいもの攻撃」だったなという気がしました。

特に(自粛期間の)最初のころは「止まる」とか「休む」っていうことに恐怖があったので、何かしなきゃいけないと思って、10年分の映画のチケットと演劇のチケット、それをパネルに貼っていこうと思った。でも、あまりの多さに自分でもぐったり。「こんなに観てたのか」って。でも、全部おぼえているかって言ったら、それほどおぼえているわけでもないんです。だから、ひとつひとつの演劇とか映画を、もっと大切に扱おうと思ったんです。

――家にいても「何かをしなければならない」という思いがあった。

片桐:なんだったらチケットを展示できないかなと思って。映画館でチケットの「もぎり」をやっているんですけど、もぎりっていう職業がなくなるのは確実なわけだから。そういう意味も含めてこの機会にやっておこうと思ってやり始めたんですけど、半分くらいやったらぐったりしちゃって。この期間は「休んだらいいんだよ」って気づいて、休みました。

――俳優業のかたわら続けられてきた「もぎり」がコロナで無くなっていきつつあることについては?

片桐:寂しいですよ。映画館だって、ずっと前から危機に瀕していたことは瀕していたわけだから。今回の騒ぎで「大変なんだ」って注目してくださることがありがたいくらいで。だけど、その時代に必要がなくなってしまったら、それはしょうがないと思います。もちろん寂しいですよ。でも私たちは本当にたくさんのものを見送ってきたわけじゃないですか。映画館にしても、本屋さんにしても。好きだったものをたくさん手放してきたわけだから。これも「またか……」とあきらめるしかないと思っています。

「悪い面の裏には絶対に良いこともあるはず」

――先ほど話に出た劇『未練の幽霊と怪物』は公演の中止が発表されたあと、オンラインで「リーディング上映」というかたちで配信されました。これは、稽古もオンラインで行われたそうですね。

片桐:それまで誰もやったことのないことですから、私たちも何が大変でどこが違うっていうのがわからなかったんですけど、通常の稽古とは違うということはもちろんわかっている。私は家でクリエイション(創造)するっていう発想がないというか、おもしろい発想が浮かぶの? っていうのがあったので、着替えたりとか段取りを踏んだりしていたんですけど、だんだんそういうことじゃないなって思い始めて。これまでと同じように、ということにこだわる必要ないと思いました。

――改めてわかったことはありますか?

片桐:リモートでお稽古する場合、画面に全員が等分に映ってギャラリーみたいになることで、ふだんだったら見ることができない人たちの顔を見られる。あとは雑談がない。雑談しにくいから。ふつうの会社の人たちも「オンライン会議になったら早く済んで逆にいいよ」って話をしてるじゃないですか。その雑談がないことにも良いところと悪いところがあって。雑談のなかから何かが生まれるとか、関係ができるとかっていうこともあるんですけども。

通勤時間もないので「今日はこれで終わります」ってなったら、もう全部が自分の時間って思うと、すごくラッキーだなって。家で稽古しているときなんて、自分の出番がないときは、ご飯の支度をしながら、里芋の皮をむきながら「うんうん」って話を聞くぐらいのこともできて。終わったら、それをすぐに炒めることもできる。

一方で、終わったあとの余韻というか、帰りの電車の中で稽古の発想がうまくまとまったり、あそこはこうすればよかったんだってことが生まれる時間が必要だったり。

何ごとも一対というか、良いことも悪いことも両方あるということが今回、よくわかりました。悪い面しか見てなかったら悪いことしかついてこないけど、絶対その裏には良いこともあるはずなんだよねって。

「なにかのため」って考えないと「どんなに素晴らしいか」

――これからは、これまでと異なる暮らし方が求められそうです。ひとりの時間を楽しむコツのようなものはありますか?

片桐:そもそも昔から想像して遊ぶみたいなことは好きで。あまり物とかに頼らないというんですかね。小さいころから、そこにある物で何とかするのが好きだったんだと思います。

電車に乗って本を読むのもそうなんですけど、来た電車に乗る、来たバスに乗る。どこいくかわからない。それで1日楽しく遊べるんですね。最近は、自転車を買って乗っていました。買い物用の、電動のやつです。私の住んでいる町は坂が多いので。

まったく何も考えないで出かけるんですけど、人がいたら反対側に曲がる。そうやっていくうちに「今日はこんなところに来た!」とかって、それだけで楽しいんです。そこで何も起きなくても。

――走る距離とか目的地を定めないんですね。

片桐:なんにもないですね。最近どんどん喜びのハードルが低くなっていくんです。その前に流行っていたのは、羽田空港までバスで行って、その時間に一番早く出るリムジンバスに乗る。富士山のほうとか、千葉県の東金とかまで行っちゃって、「なんだここ?」って。そういうことだけでも楽しかった。

旅行でも同じなんですけど、そこでいろんなことが起きるんですよね。私の場合は。それが楽しかったんですけど、最近の自転車に関しては何が起きなくても満足している。

だから「なんでひとりで楽しめるんですか?」って言われたら、「楽しい」のハードルを下げたらいいんじゃないですかと答える。私は全然満足しちゃうんで。

――着いた先で写真を撮ったり、記録に残したりもしない。

片桐:しないです。これも今回学んだことで、「なんかのため」って考えないことがどんなに素晴らしいかってことです。これを観たら何かのときに役立つとか、そういうことじゃないんですよね。本当の喜びは。

外に出られない期間、なぜかものすごく針仕事がしたくなったんです。でもミシンは壊れていたんで、古くなった洋服、生地だけかわいい洋服があるじゃないですか。それをただ、ほどく。そういうのが楽しくなっちゃって。ずーっとほどいて。あと、古いシーツとかバスタオルを捨てられないままとってあったのを、とにかく雑巾にする。そういうことをやってたら、たまたまテレビで、そういう意味のない細かい作業が健康にいいんですって言ってた。脳がリラックスするって。「なんだよ、何かのタメになってたのか!」ってがっかりしちゃって。

――もっと自分の求めるがままに行動したいということでしょうか。片桐さんは「ひとり」という言葉をどんな風にとらえていますか?

片桐:今回のお休みで、みんなといることが大切だって感じた人もいるし、人といることが苦手だったんだと気づいた人もいるし、いろんな気づきがあると思うんですけど、私の場合は、旅行でもなんでもかんでも、ひとりでやることで満足してたんだけど、映画と一緒で、人といるときはその瞬間を大切にしないといけないなって気づきました。

誰でも彼でもお付き合いで「はいはいはい」って会ってるから疲れるんであって、「お付き合いはもうやだー」となると、ひとりがいいってなっちゃうんだけど、本当に会いたい人にだけ会うとか、参加したい飲み会にだけ行くっていう風にできれば、そうならないで済みますよね。

そういうひとりの強度というか、ひとりでも平気というところをまず押さえておいて……たとえばケーキのスポンジ。このスポンジは「ひとりでも絶対平気」という部分。ここにクリームとかトッピングしていくのは、自分の好きなものだけ。それを足していく。そうすれば最高に自分が好きなケーキができあがる。まだどうなるかわからないですし、自分のなかで掘り下げたら違うものが出てくるのかもしれないですけど、外出自粛の2カ月という期間で気づいたのはそういうことでした。

――ひとりでも大丈夫というベースがあれば、あとは好きなことができる。

片桐:好きな人と旅行しても、今までは「この人のこういうとこがめんどくさいんだよな」とか「趣味が違うね」ってこともあったんですけど、必要なければやめればいい。強い気持ちでいろんなことに向かっていけますよ。絶対的にひとりで平気っていうのがあれば。

だから、今からでも「茶飲み友達になりませんか?」って話があったら、それはそれでいいねってなるかもしれない。これまでだったら「悪いけど私の生活にめんどくさい人は入ってこないでください」って結婚しないタイプの人間として、そんな風に思ってましたけど、逆に柔軟になれそうな気がしています。

●片桐はいり(かたぎり・はいり)さんのプロフィール
1963年、東京都出身。大学在学中から“もぎり”のアルバイトをしながら俳優デビュー。出演映画に「かもめ食堂」(06)「小野寺の弟、小野寺の姉」(14)「勝手にふるえてろ」(17)「蜜蜂と遠雷」(19)、キネカ大森先付ショートムービー「もぎりさん」(18)「もぎりさんsession2」(19)など。著書に、映画愛にあふれたエッセイ「もぎりよ今夜も有難う」などがある。ドラマ&ドキュメント「不要不急の銀河」が7月23日(木)19:30〜N H K総合にて放送。

ライター。フリーター、出版社を経てゲームメーカーに入社。7年後、これといった成果を出せないまま「会社づとめは肌に合わない」と言いわけして退社し、フリーランスに。趣味は古ぼけた居酒屋で飲むこと。
1989年東京生まれ、神奈川育ち。写真学校卒業後、出版社カメラマンとして勤務。現在フリーランス。
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