本という贅沢76『人間』(又吉直樹/毎日新聞出版)

憧れと嫉妬。そんな簡単な言葉で言えないから、この本、えぐられる

毎週水曜日にお送りする、コラム「本という贅沢」。11月のテーマは「ひとりの夜に」。 夜が長いこの季節にぴったりの書籍ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんが、秋におすすめの本を紹介します。

本という贅沢76『人間』(又吉直樹/毎日新聞出版)

天才と天才になれなかった人たちの話に、どうしようもなく惹かれてしまう。
この連載で紹介した
『天才はあきらめた』
『蜜蜂と遠雷』も 
『夢、死ね!』

やはり天才と天才になれなかった(天才を目指さないと決めた)人たちの物語だ。
そんな物語ばかり読んで、自分が自分とどう折り合いをつけて、残りの人生を生きていくかをよく考えている。

就職活動の時、つかこうへい劇団の脚本家&演出家の試験を受けた。
就職するというよりは、入団試験のようなものだったと思うのだけれど、とんとんで書類が通り、幹部の方々と面接までいったとき、「学生時代、どんなことをしてきましたか?」と聞かれた。

部活のこと、バイトのこと、ボランティア活動のこと……。意気揚々に語った私に、面接官だった演出家の方は、ちょっと口の端で笑うようなそぶりでこう言った。
「君みたいな忙しい人生を送っている人は、演劇なんか必要としないんだよ。脚本なんて、他にやることがなくて暇で暇で仕方なくて、それしかできない人が書くものなんだ」。
そう言われてはたと周りを見渡してみたら、健康優良児は私だけっぽかった。面接官も受験生も、みんななんだか影がある気がした。「お前は底が浅い」と言われている気がした。

私の小器用コンプレックスは、多分、ここに端を発している。

飢えていなければ創作してはいけないのか?
なにかが欠損していなければクリエイティブはできないのか?
どこかに狂気がない人はたいしたものが作れないのか?

そんな命題をいつもどこかで感じながら、だけど、そんなことないだろう、とも思う。幸せで充実した健康な人生から生みだされる作品だってあっていいだろう。

欠落や絶望を経験してなければ、人に優しくなれないわけじゃない。人はそんなに単純じゃない。
欠落を羨ましがることはない。絶望に憧れる必要もない。
病んでる人だけが繊細なわけじゃない。健康で朗らかだからといって、鈍感なわけじゃない。

大きな声で叫びたくなる気持ちをおさえながら、日々、にこにこと、ことさらご機嫌で仕事をしてきた。

そんな私みたいな人には、この本、どきつくえぐられるよー。古傷をかき開いて、そこに塩塗り込んだ上に、メンソレータム塗ったりするくらいのえぐられかたするよ。

なにせ、本書で(いったんは)完膚無きまで叩きのめされる「普通の人間が普通の感覚で表現することにも価値があるだろう」と主張する登場人物。だって、どう考えたって、一番自分に近い。その卑近さと俗物ぶりに親近感しか感じない。
その彼をものすごい紙幅を割いて全否定されると(物語の中の話ですよ)、これもう、読みながら、息もたえだえなわけです。

彼がかぼそく反論した言葉を「そ、そうだ、そうだ!」と、小さく応援するものの、これまたぼろくそに滅多打ちにされて、「はい、すみません、こんな私が生きててすみません(完全に彼に同調してる)。書いててすみません」って気持ちになる。
正直、ここを読んでる時は、「この本を題材にコラム書こうなんて、飛んで火に入る夏の虫すぎる」と思ったな……。

ただ、全編を読んだあとは、この才能あふれる作家による滅多斬りにも、悲哀が漂う。才能を持ち続けるにも条件があるという信仰は呪いに変わる。
そして、一見、才能とは何の関係もなさそうなアル中のおやじが、一番生き生きと生きているじゃないかと思ったら、なんだか、人間ってなんだっけ?ってなる。

途中読むのやめようかと思ったけれど、最後まで読んでよかった。途中でやめたら多分、真逆の読後感を持っただろう。
登場人物のうち、誰かの立場をとるとういわけじゃないけれど、どれも少しずつ自分で、どれも少しずつ他人だ。

相変わらず才能には憧れる。
そして、才能があるからこその苦しみにはおののく。
できればいいとこ取りしたいとか思う自分には、神はやってこないのだろうとも思う。

ただ、今回この本を読んで得た発見がひとつあって、それは、自分が残念ながら天才でなかったとしても、こうやって書籍を読むことで、その天才の人生のいくばくかは享受できるということだ。
こんなふうに優れた本を読めるのだったら、別に、何者にもならなくてもいいんじゃないか。なんてことも思った。

人生は自分の人生“だけ”を生きてるわけじゃない。
誰かが誰かの人生を描いてくれるなら、今生、何度でもいろんな人生を生きられる。そんな希望をもったなあ。

もちろん、自分の人生で人生を生きるのが一番濃いだろうし、
次に濃いのは、誰かの人生を自分で書くことだろう。
でも、誰かの人生を読むことができたら、だいぶ薄くはなると思うんだけど、無限の人生を生きられるよね。

そんなことを思いながら読んでいました。

・・・・・・・・・・・・・・
『人間失格』が読みたくなります。
又吉さんの文章のなかでは武田砂鉄さんとの共著、『往復書簡 無目的な思索の応答』が好きです。
・・・・・・・・・・・・・・

それではまた来週水曜日に。

佐藤友美(さとゆみ)さんの「本という贅沢」をもっと読みたい方はこちらから

ライター・コラムニストとして活動。ファッション、ビューティからビジネスまで幅広いジャンルを担当する。自著に『女の運命は髪で変わる』『髪のこと、これで、ぜんぶ。』『書く仕事がしたい』など。