多摩川氾濫で家の前の道が消えた2日後、私は16歳に想像力を学んだ
10月12日の朝、ベランダに出てすぐに「これはヤバい」と思った。台風19号による雨のピークは夜からだと言われているのに、目の前の多摩川はすでに大雨のあとくらいの水位になっていた。
前日、台風に備えて行われた小河内ダムの余水吐きの影響があったことを、この時はまだ知らない。
避難所に向かおうと準備を始めた時、知り合いの編集さんからメッセージが入っているのに気づく。
二子玉川の花火大会の時、一緒にベランダから花火を見た編集さんだった。我が家の立地を心配して「よかったらうちに来ませんか?」と、ご連絡くださったのだ。普段なら恐縮して断るところだけれど、今回ばかりは、お言葉に甘えることにした。
電車が動いているうちにと、気が急く。本を10冊もリュックに詰め込もうとしてもたつく息子を、それどころじゃないと叱り飛ばし、レインコートを着せた。
同じ区域に住むママ友たちとは、その後もLINEやFacebookでやり取りをした。すでに避難した人、様子を見る人、様々だった。安全な友人宅にいても、緊急エリアメールのけたたましい音に何度もびくっとする。
夕方、川の水位が見えなくなって怖いと、同じ川沿いに住むママ友からのメッセージが届く。彼女が過ごすこの夜のことを想像すると、私も息が苦しくなった。
いてもたってもいられず、少しでも情報をとろうと開いたネットで、しかし私はさらに喉元を締められるような思いをする。
そこにあふれていたのは、人々の悪意と、善意に基づく誤報の数々だった。
多摩川決壊。二子玉川完全水没。twitterを検索すると、あとになればデマとわかる投稿と、あきらかに別の場所の写真がセットになって大量拡散されていた。それらはおそらく、もともと善意の情報拡散であったろう。
しかし、それらの写真を引用したコメントには、今思い出しても目の奥がちりちりするような言葉が並んでいた。
セレブ街、ざまあみろ
成金水没乙
自業自得
地価暴落しろ……
言葉を扱う仕事に就くものとして、言葉は刃であることは自覚しているつもりだった。でもこの時、本当に、言葉は人を蝕むと知った。
というのも、その投稿を読んだ私の心の中に、呪いの言葉が生まれたからだ。
そんな心無い言葉を吐くお前の家こそ、水没してしまえ。
思った瞬間、ハッとして、次に吐き気がした。一瞬でもそう思った自分に、ショックを受けた。
しばらく呆然として、次の瞬間、この投稿が今まさに該当地域に残る友人たちの目に触れませんようにと願った。そしてさらに次の瞬間、もうひとつの恐怖が私を襲った。
今回はたまたま逆の立場だけれど、私もこれまで誰かをこうして傷つけてきたことはなかったか。
悪意がなかったとしても、善意のつもりで誤報を拡散し、誰かを追い詰めていなかっただろうか。
それに、それに。この写真……。ここに実際に水没している車があり家がある。「ここは多摩川沿いじゃないし、私たちが住んでいるエリアじゃない」と叫びたくなった私は、実際にそこで被災した人たちのことに思いをめぐらせていたと言えるだろうか。
夜は寝付けなかった。
翌日、13日。
川沿いの家々の泥かきがひと段落した頃、営業再開した二子玉川の蔦屋家電に行く。なにかこういう行き場のない気持ちにこたえてくれる本はないかと探して回った。
いつもより多くの人が楽しそうに買い物している様子にホッとするものの、1時間店内を歩き回って、私が求めているような本には出合えず帰宅した。
天災から身を守る本はあったが、人災から心を守るにはどうすればよいのだろう。自分が人災を起こさずにすむ方法はどこに書いているのだろう。
翌々日14日。
早朝から子どものフットサルの応援に行く。体育館まで向かうバスには、同じチームの子どもたちが続々と乗車してくる。
「お前んち大丈夫だった?」
「俺は朝から避難してた」
「水がギリギリまできてさ、怖かったよ」
「あいつんちは、大丈夫だったかなあ? 心配だよ」
会うなり口々に昨日の様子を話し始める子どもたち。中には深夜ギリギリに友人の車が迎えにきてくれて、なんとか避難できたと話す子もいた。いつもはお互いのちょっとした言葉尻をとらえてふざけて大騒ぎする小2男子の集団だが、今日はみな真剣に話を聞いている。
子どもには今回の台風はどう映ったのだろう。願わくばこの子たちが、あの悪意に触れませんようにと思った時、家の本棚にあるこの本のことを思い出した。
『16歳の語り部』
1年前に買うだけ買って、積ん読になっていた本だった。
この本は、3.11の時に小学5年生だった子どもたち3人が、自分たちが体験したことを、高校生になってから自分の口で語った言葉をまとめたものだ。
読み始めてすぐにわかった。私が今すぐにでも読みたいと思っていたのは、こういう本だった。
そこには、大人の言葉では知ることができなかった、彼らにとっての震災があった。
そして、たくさんの悪意と、自分に芽生えた悪意に立ちすくんでいた私が、求めていた言葉もここにあった。
当時小学5年生だった彼らは、先生から「震災の話はあまりしないように」と言われていたそうだ。転校した子も亡くなった子もいたけれど、そのどちらで席が空いてるのかは、教えてもらえなかった。
しかし震災を風化させないためのシンポジウムに参加して、彼らは衝撃を受ける。「震災のこと、話してもいいんだ」と思ったという。
彼らは、自分のために、亡くなった友達のために、そして私たち“未災者”のために、話すことを選んだ。
「報道ではみんな整列して配給をもらったなどと言われていたけれど、実際は大人が子どもを突き飛ばす場面もあった」
「頑張れというメッセージをもらい、これ以上どう頑張ればいいのと思った。お礼の返事なんか書きたくなかった」
「大人には相談できなかった。大人が大変なのはわかっていたし、同世代にしか話せないこともある」……
丁寧に選ばれた言葉で語られている本音だからこそ、強く刺さる。
3人の中には、「震災のことを語るのはしんどい」という子もいた。自分の言葉が誰かを傷つけるかもしれない、誰かの人生を狂わせてしまうかもしれない。そう感じたからだという。彼女は、当時の担任の先生から「あの時、何もしてあげられなくてごめんなさい」という伝言をもらい、「自分が語ることで親にも先生にも後悔させてしまった」と感じたことを語っている。
その語り手たちの話を聞いた同世代の女の子の話も印象的だった。
東京から東北を訪ね、彼らの話を聞いたその子は、それ以降、遠い国のニュースでも他人ごとには思えなくなったという。そこには多くの人の日常があり、生活があったこと。それを想像するようになったというのだ。
彼女は自分に起こった変化を、こう表現している。
「想像力を働かせること」
私がこの数日間、一番探していた感覚を、ひとことで言語化するなら、これだった。私は、16歳の女の子に、それを教わった。
想像力__。
人間だけが持ち得る能力だ。でも、それを働かせることは本当に難しい。
私自身も、知らない人の顔を想像し思い浮かべ、その心を思い計ることに慣れていない。
しかし、私が今回友人の心と体の無事を願ったように、きっと誰にでも大切な人がいる。自分にとっての大切な人の顔を思い浮かべれば、きっと、それ以外の人にも大切な人がいることに思いを馳せられるようになるのではないだろうか。
少なくとも私は、今回の経験と、そしてこの本を経た体験から、それを強く意識している。今も、私は、この文章を、被災した方やそのご家族が読んだらどう思うだろうと考えながら書いている。
それでもうまくいかないこともあるだろう。人を傷つけることも不快にすることもあると思う。そのときは、いつもこの本に書かれていたことに立ち戻りたい。
想像力を働かせること。それできっと、少しだけ救い救われることもある。
夜が明けるころ、自分の本棚の積ん読ゾーンにあった本を、そっと既読本ゾーンの中の繰り返し読む本スペースにうつした。窓から見える今日の多摩川は何事もなかったかのように流れている。
出合うべきタイミングで出合えたこの本に感謝しています。
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『16歳の語り部』を編まれた編集者の天野潤平さんは、ミレニアル世代。大人と子どもの間を行き来する、誠実で静謐な傑作を何作も手がけられています。樹木希林さんの言葉をもとに内田也哉子さんが取材を進めた『9月1日 母からのバトン』(ポプラ社)もその一冊です。『16歳の語り部』のあとには、ぜひこちらも。
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それではまた来週水曜日に。
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