Dr.尾池の奇妙な考察 21

【Dr.尾池の奇妙な考察21】人間の弱さ、ウイルスの強さ

化粧品の開発で、それまで縁のなかった「女性の美」について考えるようになった、工学博士であり生粋の理系男子である“尾池博士”。私たちを悩ます心の弱さを、ウイルスの強さから読み解きます。

●Dr.尾池の奇妙な考察 21

自分に感じた圧倒的な弱さ

たぶん多くの方々と同じように私も自分のことを強いと思ったことはなく、勝つことよりもどうやったら無様な負けを晒さずに済むのかという綱渡り思考の毎日です。人前で足が震えたり、予想しなかった展開に動悸がすごいことになったり、喧嘩を売られて言いたかったことがすっ飛んでしまったり。

私が自分はどうやら弱い存在らしいと気付いたのは小学1年生の時でした。幸い、いじめのような凄惨な事件ではありませんでしたが、授業中、教室でおもらしをしました。いつまでも口を開けてぼけーっとしている子供だったので、たしかめんどくさいというだけの理由でおしっこを限界ぎりぎりまでがまんしていて、ずっとトイレに行かず、授業中気が付くとイスが滴っていました。後ずさりする隣の女の子が視界の端の方にあって、それから宇宙人のように無言でトイレに連れていかれました。

それからもぼけーっとしているのは変わらず、勉強は中の下あたりで、スポーツは下の下。自分を強い人間と思える要素はゼロで、自分は弱いと結論づけてました。ただ、唯一と言えるかもしれない才能の片鱗はその当時からすでにあり、教室で失禁という大惨事を引き起こしたにもかかわらず、やはりトイレに行くのがめんどくさく、どうにか尿意を引き延ばせる方法はないか熱心に毎日研究しました。その結果、へその横あたりの横腹をグーでたたくと、あら不思議、尿意が弱まることを発見しました。それに気が付いてからは小学校卒業するまで尿意を感じれば横腹を叩いていたので、周囲の人はさぞ不気味だったと思います。(どうかマネをされないようにお願いします。するわけありませんが。)

ウイルスの圧倒的な強さ

自身の弱さに悩みながら時々強さについて考えつつ、ヒーローものや傭兵やヤクザ映画など見ていましたが、なんだかそれが強さにはあまり見えてきませんでした。むしろ弱さ故に、過剰に武装しているように見えてしまうのです。心の弱さを解決する糸口はなかなかつかめず、たまに気にしすぎないようにして上手くいくことがあっても、今度は上手くいった理由がよく分からない。そしてまた元の木阿弥で疲弊していき、弱さを再確認してしまうことになる。

しかし大学の授業でついに、圧倒的に強い存在を見つけました。それはウイルスでした。

人類が歴史を通してずっと戦い続けているもの。それは飢えと病いであり、どちらも敵は微生物です。飢えとは微生物との栄養素争奪戦(腐敗)であり、病いとは微生物からの侵略戦争(感染)です。特にウイルスの侵入方法は巧妙で、私たちの体内のリガンドに変装し、リガンドの彼女のレセプターを騙して侵入するものまでいます。
記事はこちら:「結婚適齢期」は化学反応論的に間違っている

リガントに扮したある日の尾池博士ロボ

しかしそれほど賢いウイルスなのに、なぜ感染した人を殺すことがあるのか不思議でした。共存すればもっと増えることができるのに、なぜ殺してしまうのか。でもそれは「その人」しか見ていないことによる誤解でした。たとえ「その人」が死んだとしても、ウイルスが全体として増えているのであれば戦略的に何も間違っていないからです。一部の結果よりも、全体の結果を優先する。考えてみれば当たり前のことです。

これに気が付いた時、人間の危うさを感じてぞっとしました。私たちはつい、世間体や常識に囚われがちです。たとえば誰しもが産まなければならないといったような。しかしある人ひとりだけを見て「なぜあの人は産まないのだろう?」と感じてしまうセンスは、戦略的にウイルス以下です。その人が楽しく生きていて、その結果社会全体が楽しくなれば人口は必ず増えるからです。その世間体や常識はたぶん、戦略的に陳腐化しています。そもそも少子化は産みにくい環境が原因です。ちゃんと増えやすい環境を見つけて増えているウイルスは、産みにくい環境を放置している人間よりも圧倒的に強いと言えます。

その弱点は本当に弱点か

しかしウイルスはその強さとは裏腹に、地球上で最も小さい微生物です。ウイルスが生物かどうかは議論が分かれますが、細菌よりもさらに小さいことだけは確かです。小さい故にメカニズムが単純すぎて自己増殖できません。これは弱点のように見えます。しかも小さいと薬剤の影響を最も受けやすくなります。水道水の塩素濃度基準0.1ppmは、小さな微生物は増殖できず、大きな人間には影響が少ないように設定されています。つまりウイルスは人間よりも脆弱なのです。

それなのに、なぜ圧倒的に強いのか。

私たちは弱点を克服しなければならないと考え、それを利用する場合も「逆転の発想」と大げさに表現します。しかしウイルスはそもそも「弱点」という概念すらないようです。小ささをいかに利用するか。それだけ。小ささとは侵入しやすさであり、変異しやすさであり、見つかりにくさ。小ささが強さに直結しています。

心の弱さも本当に弱点なのでしょうか。私たちの中には強い人もいれば弱い人もいます。強い人に助けられることもあれば、弱い人に助けられることもある。心の強さとは抵抗力の強さ。心の弱さとは感受性の高さ。それぞれが多種多様な力を発揮してこそ、ウイルスとも、暴力とも、対等に渡り合えることができる。人類が多様性を失った時、それは人類の敗北を意味します。

高すぎる感受性はたしかに耐えがたい衝撃をもたらします。それを耐える方法も必要かもしれません。しかしその高感度センサーでなければ拾うことができないSOSがある。衝撃に耐えながらその微弱なSOSを拾い、実際にその人を助け、この社会がより楽しいものとなった時、その弱さ、と思っていたものは、私たちの社会に必要不可欠な戦略的に最強の武器になる。おもらしをしたり、横腹を叩く不気味な僕をなぜか理解できる理解力や、からかいといじめから守ってくれた人たちの不思議で緻密な防御力のように。

横腹を叩く尾池ロボ少年

今回のまとめ

ウイルスが強いのは自身の小ささを、侵入しやすさ、変異しやすさ、見つかりにくさという強さに直結させているから。そもそも弱点という概念すらない。私たちの弱さも本当に弱点なのか。人類は多種多様な力によってウイルスや暴力と対抗してきた。強い人が助けるべき人もいれば、弱い人が助けるべき人もいる。心の弱さは耐えがたい衝撃をもらたすが、それは感受性が高いから。その感受性が誰かの微弱なSOSを察知して助けたとしたら、それは社会にとって必要不可欠な最強の武器となる。

<尾池博士の所感>
私はとても恵まれていたと思う。すくなくとも、凄惨ないじめには発展しなかったのだから。今度は私が守る番なのだと思います。

工学博士/1972年生まれ。九州工業大学卒。FILTOM研究所長。FLOWRATE代表。2007年、ものづくり日本大賞内閣総理大臣賞受賞。2009年、PD膜分離技術開発に参画。2014年、北九州学術研究都市にてFILTOM設立。2018年、常温常圧海水淡水化技術開発のためFLOWRATE.org設立。
イラストレーター・エディター。新潟県生まれ。緩いイラストと「プロの初心者」をモットーに記事を書くライターも。情緒的でありつつ詳細な旅ブログが口コミで広がり、カナダ観光局オーロラ王国ブロガー観光大使、チェコ親善アンバサダー2018を務める。神社検定3級、日本酒ナビゲーター、日本旅のペンクラブ会員。
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