【Dr.尾池の奇妙な考察19】失恋が死ぬほどツラい理由
●Dr.尾池の奇妙な考察 19
そもそもなにに惹かれるのか
私たち人間は誰かを好きになった時、なぜその人のことがとても知りたくなるのでしょうか。どんな食べ物が好きなのか、どんな音楽を聴くのか、そしてどんな人が好きなのか、根掘り葉掘り知りたくなります。
人間以外の動物はシンプルです。「あ、好きかも」が交尾に直結しています。しかもそれは短時間に終わります。ひとめぼれと交尾の間に相手を知ろうとするコミュニケーションがほとんどありません。話せないからしかたがないという見方もできますが、逆に人間はなぜそんなに余計な情報を知りたがるのかという疑問も生じます。
それくらいに私たちはひとたび恋をしてしまうと、持てる限りのボキャブラリーとコミュニケーションを駆使して相手を知ろうとします。多くの動物にとってもっとも重要な外見が、人間にとっては単なるきっかけにすぎず、外見や印象を引き金に私たちの中にワクワクやドキドキやムラムラといった巨大なエネルギーが湧き上がり、その人の中身をとことん知りたくなります。
そんなこと大げさに語らなくても、好きになった相手を知りたくなるのは当然だと言われそうですが、問題はその目的です。多くの動物にとって恋愛の目的とは交尾です。しかし私たちが恋をした時に生まれる巨大なエネルギーは、交尾や子育てという想定内の行事とはどうも釣り合わない気がします。また、一緒に暮らすと楽しそう、と言う表現でもまだ足りない気がします。それほどに大きい恋のエネルギー。私たちはたぶん、交尾の先の、共同生活以上の何かを感じています。
得体の知れない高揚感には覚えがある
「交尾以上の何か」。そのヒントもやはり、恋の巨大なエネルギーにあると思います。発熱と発汗を伴うあの強烈で独特の高揚感。胸の奥から湧き上がってくるワクワク感。締め付けられるようなドキドキ感。あるいは下腹部あたりの熱を伴うムラムラ感。
この独特の感覚、恋愛以外でも感じることがないでしょうか? 私の場合は、ふと何かを思いついて、実験で確かめてみようと準備している時にとてもよく似た高揚感を感じることがあります。
具体的には、足と足の間、股間の中央、丁度脊髄の真下からぞわぞわと浮遊感のような感触が上方向に下腹部をせり上がってきます。もちろん実際に体が浮くわけではありませんが、その浮遊感が激しい時は股間がもぞもぞして立っていられなくなり、近くのイスを探して座り込むくらいです。それは交尾程度の期待感では感じられない程に強いものです。
これはたぶん私だけじゃなく、他にも感じている方が多いのではないかと思います。たとえば勝てそうな試合の開始前とか、とびきり上手くできた模型の完成直前とか、料理の新しいレシピに気が付いた時とか。私みたいに股間からせり上がってくる感覚でなくとも、自身の恋愛で経験した時に似た高揚感です。
思いついたアイデアや、勝利、模型、味といった「想定内の期待」にはとどまらない、期待というよりも、予感に近いような「得体のしれない」感覚が襲います。
これはおそらく人類共通の感受性で、アルキメデスは風呂に入ったとき、上昇する水位を見て「ユーリカ! ユーリカ!!」と二度叫んだそうです。そしてニュートンは木からリンゴが落ちたのを見た時、やはり同じように興奮で立ち上がるか、飛び上がるかしたはずです。
彼らは目の前で起きている現象だけに興奮したわけではありませんでした。アルキメデスは上昇する水位の向こうに、密度計算の新たな世界が急激に広がるのを感じ、ニュートンはリンゴの向こうに、実は同じように落ちている月を発見し、万有引力という新しい世界観が急激に広がっていくのを目撃しました。
私たちを襲う高揚感もたぶん同じ。目の前の現象だけに興奮しているわけではない。その高揚感の向こうに、圧倒的に新しい世界が迫ってくる予感を感じている。目の前のその人の中身に、まだ経験したことがない圧倒的に新しい世界を感じてしまう。だから、知りたくなる。
失敗は成果だが、失恋も成果である
ある時ふと、素敵な人に出会う。湧き上がる高揚感。迫りくる経験したことのない世界観。あの人となら何かが生まれるかもしれない。
そして告白。答えは、ごめんなさい。大きかったエネルギーの分だけ、落胆は大きい。目の前は曇り、期待していた「何か」は影も形もない。頑張れば思い出せるかもしれないけど、もともとつかみどころの無い、何となくの予感だったので、幻のように手からこぼれ落ちそうになる。
でもいまこの年齢になって、強く思います。ドラえもんのタイムマシンがあれば、あの時の自分に言ってやりたい。両思いがゴールなんじゃない。
たしかにショックかもしれない。かなりの衝撃で見失なってしまったかもしれない。でも思い出してほしい。何かすごい世界を覗いてしまったってことだけは覚えてるはずだ。
恋と一緒にそれまであきらめるなんて、ない。だって、もしそれが簡単に説明できるようなものなら、たぶんそんなに楽しいことじゃない。すぐに想像できることなんて、すぐに退屈になるに決まってる。その経験したことのない世界のヒントは、あの人を通して見ることの出来たあなたの中にしかない。結果を得られるまで何度でも実験を繰り返すのは科学の基本。「失敗は成果だ」とはロケット開発の父の糸川英夫の言葉ですが、「失恋も成果である。」と私は付け足したい。何度告白してもいい。次こそはうまく説明しよう。なぜあなたと一緒にいたいのか、もっと知りたいと思ったのか。それは、新しい世界を感じてしまったからだと。
それでも受け入れてもらえなくても、失恋が死ぬほどツラいということは、あなたが見た新しい世界がとんでもない価値を秘めていたと言うこと。それはかならず、これからのあなたを幸せにするヒントになる。
今回のまとめ
恋をしたとき、私たちを襲う巨大なエネルギー。それは単なる交尾や共同生活のような想定内の何かではなくて、想定外のとびきり新しい世界を感じているから。失恋が死ぬほどツラいのは、その新しい世界がとんでもない価値を持っていた証拠。そのツラさはいつかきっと、あなたを幸せにするヒントになる。
<尾池博士の所感>
こんなこと書いてますが、僕は若い頃、ほんとうに情けなくて、だいたい、1回フラれたらあきらめてました。。ショックが大きすぎて。
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