怒れる女

香港の人々は、なぜあんなに怒っているのか【怒り07】

香港が怒っているーー。ここ1カ月で、デモに参加した人は約200万人。怒りの矛先は、中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案。 知的で親切な印象が強い香港の人々が、これほどまでに怒り続けているのはなぜなの?日本で生まれ育ち、2年前から香港で暮らすフミコさん(女性・48歳)が、香港の人々が怒る理由を綴ってくれました。

●怒れる女〈特別編〉

これまで私は、香港の人々に対して「合理的で、理知的で、激しい感情を表に出さない」という印象を抱いていました。そんな彼らが、この「逃亡犯条例」についてなぜこんなに怒り、一致団結してデモに参加するのか、最初は理解ができませんでした。
彼らに直接話を聞くうちに、やっとわかってきたのです。想像以上にこの問題の奥が深いことが。

10才の男の子を育てる専業主婦のLauさん(48歳)。6月9日(103万人が参加)、6月16日(200万人が参加)のデモに、Facebookのニュースや政治家、友達からの電話がきっかけで、父と2人で参加したそうです。

「都合よく逮捕するための法律を認めることはできない」

「私には、中国政府を批判する人を逮捕しやすくするための法律としか思えない。中国政府を批判したからといって、必ずしも反逆罪にあたるわけではないですよね。そのうえ、条例に反対してデモに参加している無防備な学生や若者に対して、完全武装した警察が怪我を負わせている。香港の制度が徐々に崩壊しているようで、怒りとともに悲しくなりました」(Lauさん)

彼女は淡々と、だが熱く語ってくれました。デモに参加したのは、1989年以来30年ぶりだそう。それだけ、香港の人々にとっては重大な事態なのです。

「言論や宗教の自由、公正な司法制度は、私たち香港人のアイデンティティ。そしてこれは、中国政府にはない、貴重でかけがえのない特徴です。今回の法案は香港人の人権の自由を危険にさらすと思い、行動せずにはいられませんでした」

デモ後、この「逃亡犯条例」は法改正が延期されましたが、まだ人々の怒りは続き、デモの希望は拡大しています。なぜなら、人々がデモで求めた「廃案」が実現していないから。

静かに怒りを語りながら、「香港人が大好きな国の一つである日本の人々に、我々が何と闘っているのかをもっと関心を持って知ってもらいたい、今回の取材は本当に感謝している」とLauさんは語りました。怒りと礼儀正しさと愛は、同居するんだな、と感じました。

「香港の自由を守りたい」ロジカルに、熱く怒る香港の人々

香港に生まれ、現在は会計士として働く女性、Leeさん(39歳)にも話を聞いてみました。

「香港の価値とは『自由』。職業選択も経済的活動も政治への参加も、何もかも私たちが自由に決定できることです。普段政治に関心のない人も、自分自身の自由が奪われるかもしれないから、今回は声を上げてデモに参加し政府に訴えています」(Leeさん)

最初に話を聞いたLauさん同様、Leeさんも、「自由」という言葉を何度も口にしました。日本人の私にとっては当たり前のようにある「自由」。仕事は好きに選ぶことができ、SNSで発信しても政府を批判しても、「自由が奪われるかもしれない」と思うことが、そもそもありません。

「中国政府のことは信用していません。(天安門事件のあった)1989年から2019年まで共産党のやり方が変わっていないからです。『逃亡犯条例』が改正されたら言論の自由がなくなり、ふとした発言でも『政治犯』とみなされたら中国政府に引き渡されてしまう」(44歳会社員男性・Laiさん)

香港では女性も男性も関係なくデモに参加して、女性も堂々と怒りを表明しているのが印象的でした。みんな、「むかつく」「意見が違う」ということで怒っているのではありません。命の危機を本気で感じるからこそ、理知的な香港の人々が、ここまで行動を起こしていることが、ようやくわかってきました。

平和的だったデモが、二極化し始めている

デモが始まった当初、仲間を気遣い、ゴミ拾いをしたり、救急車に道をあけたりする理知的で平和的なデモの様子をネットなどで見た人も多いと思います。でも最近は、一部の過激派が警察と衝突したり、立法会内に突入して怪我人が出たりと二極化しています。自分たちの意見や要望を聞き入れない政府に、感情で怒り始めた兆候のようで、私の心はざわついています。

「香港人は言いたいことは言い、やりたい事はやる!」というLaiさんの言葉が耳に残って離れません。

日本ではデモが成功して、法案が延期になったことを喜んでいる人もいるでしょううが、香港の人にとってはこの法案が「廃案」になるまでは喜べないのです。おそらく廃案になるまで、この抗議活動は冷静に続けられるのだろう、と思います。

日本人だったらどうなのでしょう。初めは怒り抗議をしても、時が流れるとともに忘れ、行動が立ち消えになるパターンが多い気がします。果たして日本人は「自由」のためにここまで立ち上がるのでしょうか?それとも無関心のままなのでしょうか。

【編集後記】
日本で生まれ育った私にとっては、怒りを「デモ」で表現するのはなかなか過激に思えるのですが、フランスをはじめ世界で日々デモが起きていることを考えると、そうした表現方法をしない日本のほうがむしろ異質に見えるのかも、と思いました。
日本人の怒りの発信方法は、「ツイッターの中だけで怒る」もしくは「デモ活動をしても、小規模で世の中を変えるムーブメントにならない」ことがほとんど。なんのために怒るのか。何か現状を本気で変えたいなら、もっと「上手に怒る」方法を、我々は考えたほうがいいのかもしれません。(中釜由起子)

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