怒れる女

怒りは権利。でも、無理に怒らなくてもいい。

女が怒ると、笑われる。客観的に見るとすごく不思議だけど、日常の中でよくある風景だと思う。そんな場面を頻繁に見ると、「あれ?怒ることって恥ずかしいことなの?」と考えるようになってしまう。でも、自分が不当に扱われた時に怒るのって悪いことでも、恥ずかしいことでもないはず。男性と法律婚したレズビアンで、フェミニストのこはなみみこさんが、女性と怒りについての思いを綴ってくれました。

●怒れる女

怒りは、権利である

怒りを表明すること。
それは私が大人になってから自力で獲得したことのうちのひとつです。

過干渉な毒親の元に育った私は、母親から「不機嫌な顔をすること」と「怒ること」を禁じられてきました。母は私が自分の思い通りのリアクションをしないと半狂乱になって泣き叫ぶような人なので、私はずっと怒りの感情を表に出したことがないまま生きてきました。
しかし夫と出会い結婚をして、「私が不機嫌や怒りを表明しても夫は離れていかないし、私の居場所はなくならないんだ」ということが分かると、次第に「怒りを表明する」ということが出来るようになりました。

怒りは「私はいま感情的になっています」と示すサインではなく、自らの尊厳を傷つけられたときに、その撤回を求めるために私たちに与えられた当たり前の権利だと私は考えています。

怒ると笑われ、怒らないと侮られる

でもその当たり前の権利を行使するとき、怒る女は、笑われます。
では怒らない女は尊重されるかというとそんなことは決してなく、怒らない女は侮られます。どちらにせよ不快な思いをさせられるなら、私は自分の尊厳を守るために怒りを選びたいと思っています。

「怒っていい」「怒ることは当然の権利」。
そうは言ってもいままで怒りを表明する方法すら知らされず、「女の子なんだからカリカリ怒ったりしないでニコニコしてなさい」と言い含められてきた私たちにとって「怒る」ことはハードルが高いかもしれません。

だからせめて、親から、教師から、テレビをはじめとするあらゆるメディアから、またそういった価値観を内面化した他の女性たちから「男性を脅かさない存在でありなさい」「男性より弱く、劣ったものとして振る舞いなさい」と繰り返し刷り込まれてきた私たちは……そうして刷り込まれていることにさえ中々気付けないほど……正しい「怒り方」も教えられず、「怒」という「喜怒哀楽」のうちの重要なひとつを、ずっと奪われつづけているのだということを知ってほしいと思います。

あなたに怒る体力がないなら元気な私が怒っておきます

「怒る」のにはとても体力を使います。
私だって日々あらゆる女性蔑視や弱者への搾取に怒り倒していますが、できれば怒りたくないです。これは本当に。だって疲れるから。

私がなぜ怒るかというと、そこに女性蔑視などの「尊厳が傷つけられている」と感じる出来事があるからです。精神が安定して健やかな状態のときは、その事象を見聞きしたらすぐ感情が「怒り」へまっすぐ向かうのですが、気持ちが弱っているときは「自分の怒り」にたどり着く前に「尊厳が傷つけられている」「こんな酷いことが起きている」というその部分にのみ必要以上にフォーカスしてしまい、とても辛くなってしまいます。みなさんもどうか無理はしないでください。自分のメンタルを守るために、怒るべき事象から目を背けてしまうことがあっても誰もあなたを責めません。元気な私が怒っておきます。

私は「こんなことが起きているのに怒らないなんて女としておかしい」「女なら全員私と同じように怒るべきだ」等と言うつもりは毛頭ありません(「フェミニスト」はそういうことを言うものだと誤解している方は大勢いると思いますが)。

ただ、私が日々怒っている様々な事柄……セクハラくらい軽く流せるのがいい女、とか結婚に逃げられるから女は楽でいいよな、とか、仕事も家事も出産も育児も全部、女が誰にも迷惑をかけずにやれ、と言いたげなあらゆる制度とか……を目にしたとき「なんかそれはおかしくないか?」と思った人、そしてその中でも、その問題を直視しても辛くならない、むしろ腹の底からその理不尽に対する憤りが力として沸いてくるような感覚になる人、もし良かったら、私といっしょに怒ってみませんか。

続きの記事<ポールダンサーの私が性暴力に断固NOと言う理由>はこちら

レズビアンだけど男性と法律婚したフェミニスト。毒親育ちのADHD。全ての人が自分らしく、楽に生きられたらいいなと思って文章を書いています。
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