Dr.尾池の奇妙な考察

【Dr.尾池の奇妙な考察07】好きって言ってって言ってって言われて

化粧品の開発で、それまで縁のなかった「女性の美」について考えるようになった、工学博士であり生粋の理系男子である“尾池博士”。失恋で受けた傷を細胞の化学反応で癒やしていた時期に、忘れられない夢を見たそうです。

●Dr.尾池の奇妙な考察 07

失恋で気がついた、失敗がとがめられない平和な化学

こんにちは、尾池です。研究をしてまして、工学博士です。
しかし研究が手につかないほど落ち込むこともよくあります。その最大のものは失恋です。

すぐに整理がつかないので、頭の中でいつまでもぐるぐる考え込んで疲れ果てます。そんなとき化学の教科書を開くとほっとすることがあります。なぜならそこには私たちに負けないほど多くの物質がそれぞれの立場で忙しく立ち回り、しかも一切争いが生じていないからです。

たとえば細胞1個の中では、毎秒数万個という猛烈なスピードで新しいたんぱく質が合成されています。その半分以上は合成に失敗するのですが、その失敗がとがめられている様子はありません。それぞれがそれぞれの役割どおりに淡々と反応しつづけます。なんてすばらしい世界なんだろう、と落ち込んでいた時に、見た夢があります。

「好きって言ってって言って」

目の前にキレイな湖畔が広がっていて、女性と2人で立っていました。その女性は、初めて会うのか、どこかで会ったことがあるのか、よく分からない女性でした。
そして彼女がこう言いました。

「好きって言ってって言って」

何を言っているのかよく分からなかったので、意味を考えるため頭を働かせようとしたとき、目が覚めてしまいました。そのフレーズは鮮明に覚えていたので、頭の中で反芻しました。

『好きって言ってって言って』

よく考えれば分からなくもない。「好きって言って」と言って、と言っているのだから、好きと言いたいのは彼女の方なのだろう。しかし自分から進んで好きと言いたくはない。まずは私の方から「好きって言って」と頼まなくてはならない、という意味なのでしょう。

しかし、とっさに理解して気の利いた返事なんてできるはずがなく、すぐ返事ができないからといって責められる筋合いもない。夢の中の彼女が失恋相手と重なって腹立たしく思え、もしとっさに返事ができるドラマのような男性がいいなら、そちらにいってもらってかまわないなどと思いました。

人付き合いも化学反応も同じ

夢というのは本当にすごい、と思いました。「好きって言ってって言って」なんて、覚醒している脳では到底思いつかないフレーズです。おそらく、振られ続け振り回され続けた女性に対するいら立ちと、化学の教科書から得ている癒し。この2つの相反する経験が無意識に結実したフレーズなのかもしれません。

まず女性に対する私の自己中心的ないら立ち。こちらは素直に気持ちを伝えているのに、なぜ知らないふりをしたり、はぐらかしたり、受け止めたかと思ったら拒否したりするのだろう。一方でそれとは相反する、素直でスムーズな化学反応。

化学反応と人付き合いとは違う、という反論もありそうですが、細胞の中の化学反応だって体内で暮らす住人との共同作業。先ほどのたんぱく質合成もそうですが、もっとぴったり当てはまるのは「ミトコンドリア」です。ミトコンドリアとは、私たち人間の細胞内に寄生している別の生命体です。母親の卵子を通じて受け継がれる女系の生命体であり、祖先をさかのぼれば共通の女性である「ミトコンドリア・イブ」にたどり着くと考えられています。

細胞内に住むミトコンドリア(仮に彼女、とします)は日々、膨大なエネルギーを生産しています。しかし彼女は私たちのためにエネルギーを生産しているのでしょうか。おそらくそうではないでしょう。彼女は私のことなんて考えていない。自分のために、私を利用しエネルギーを生産している。同様に私もふだん彼女のことなんて考えて食事なんてしていない。自分のためだけに食事をしています。

お互い意識はしていませんが、依存しあっています。どちらかが欠けても生きていくことはできません。この命のサイクルが、そもそも誰の要請で始まり、どちらがどちらのために回しているのか、教科書には載っていません。彼女のことを意識してみたいと思うことはあっても、その想いが伝わることはありません。

そんな風に考えていると、「好きって言ってって言って」というフレーズが、急に何か意味のあるメッセージのように感じられてきました。あの時の彼女は「ミトコンドリア・イブ」だったのかもしれない。

もう一度彼女に会ってみたい。
そして会えたなら、勇気をもって彼女の気持ちに応えたい。

「好きって言ってください」

そして彼女はきっとこう答えるだろう。

「え? ごめん、ちょっと何言ってるのかよく分かんない」

今回のまとめ

全身の細胞が猛烈な頻度でたんぱく質合成を失敗しています。失恋、失敗、誤解、すれ違い、言い間違い。どれもつらいことですが、細胞内80億のたんぱく質合成の成功率もたったの25%。人間だって世界人口70億全体のサイクルからすればまったく想定内のできごとです。

だから、失恋が何だって言うんだ。全身で毎秒失敗し続けている生命体。それが私たちです。

〈尾池博士の所感〉「なに言ってるのかよく分からない」とよく言われます。

続きの記事<いつエロくなるのか>はこちら

工学博士/1972年生まれ。九州工業大学卒。FILTOM研究所長。FLOWRATE代表。2007年、ものづくり日本大賞内閣総理大臣賞受賞。2009年、PD膜分離技術開発に参画。2014年、北九州学術研究都市にてFILTOM設立。2018年、常温常圧海水淡水化技術開発のためFLOWRATE.org設立。
イラストレーター・エディター。新潟県生まれ。緩いイラストと「プロの初心者」をモットーに記事を書くライターも。情緒的でありつつ詳細な旅ブログが口コミで広がり、カナダ観光局オーロラ王国ブロガー観光大使、チェコ親善アンバサダー2018を務める。神社検定3級、日本酒ナビゲーター、日本旅のペンクラブ会員。
Dr.尾池の奇妙な考察