【Dr.尾池の奇妙な考察08】いつエロくなるのか
●Dr.尾池の奇妙な考察 08
このままでは、社会はどんどんエロくなる?
1月、大手コンビニがエロ本販売からの撤退を発表しました。
エロ本といえば、私は中学生の頃(1980年代)を思い出します。
当時は今ほど堂々とエロ本は売られておらず、書店では片隅の人目につかないところに並べられていました。友人間ではエロ本をまるで麻薬のように闇取引していました。
しかしそんなエロくない社会に挑戦するかのようにヘアヌード、Tバック、愛人バンク、ツーショット、出会い系、無修正ビデオと中学生の想像をはるかに超えるエロが次々と繰り出されてきたのです。
社会は当然反発しました。「このままではヤマトナデシコが失われる」という声を聞くこともありました。(いま聞くと冗談にしか聞こえませんが)
そして私は冷静な観客を装いつつ、エロい社会がやってくる予感にわくわくどきどきしていたのです。もしかしたらグラビア写真のような女性が町を闊歩するようになるのではと妄想が止まりませんでした。
ところが、私の期待を裏切り、エロい社会はいつまでたってもやってきませんでした。かつての名残でコンビニにはあいかわらずエロい本があふれています。それなのに、社会はちっともエロくなりません。そして冒頭で紹介したとおり、ついにコンビニはエロ本からの撤退を発表してしまいました。国破れて山河あり、です。一体これはどうしたことなのでしょうか? しかし冷静になって考えてみるとこの現象は今に始まったことではないのかもしれません。江戸時代の若者たちも春画を前にきっと私と同じ夢を見たのでしょう。
そしてようやく気が付きました。エロにもホメオスタシス(恒常性)があるのかもしれないと。
社会のエロ化を相殺するホメオスタシス
ホメオスタシスとは、体外の変化に対して体内の状態を一定に保とうとする働きのことです。具体的には体外の気温の上昇で体温が上がり暑くなった場合、汗をかいて体内の体温を下げようとする作用のことなどです。
そして私たちの社会も、どうやらそれに近い均衡を保っているようです。エロにも過剰な変化を相殺するホメオスタシスがある。だからエロい社会はいつまでたってもやって来なかった。そのように考えることができます。
存在が実証された「エロスタシス」
しかし私たちの体と違って人間のエロ社会化では人為的な法規制が無視できません。法規制とホメオスタシス(エロスタシス)。いったいどちらがより強くエロの維持に関わっているのでしょうか。
それを知るチャンスは意外と早く訪れました。インターネットです。
それまでに登場したエロ(ヘアヌードや過激なビデオ)はすべて法規制の下で検閲されていましたが、インターネットの登場で法規制の目が届かないところで過激なエロが一気に手元にあふれる事態となりました。
もし法規制だけが社会のエロを保ってきたのであれば、法規制と無関係に流入する過激なエロによって社会のエロバランスは崩れるはず。
一方、もしエロスタシスが存在するのであれば、エロの増大を打ち消すかような力が自然に働き、エロバランスは保たれるはずです。
実験の結果はどうだったか。グラビア女性が歩き回る事も、裸の男性が歩き回ることもありませんでした。エロスタシスは存在したのです。
今回のまとめ
法規制を無視してエロが流入しても、私たちがエロくなることはありません。同じように私たち自身が変わってしまうかのように主張される「同性婚」や「ジェンダーフリー」「女性躍進」を推進しても私たちが変わることはありません。「セクシャルスタシス」や「フェミニスタシス」が均衡を保つでしょう。その心配も多様性に寛容な未来から見ればきっと冗談にしか聞こえなくなるはずです。「2010年代、同性婚を認めると問題が起きるかのように心配されていた」と。
〈尾池博士の所感〉工学博士に口を足すとエロ学博士。