【Dr.尾池の奇妙な考察10】性器から政治を考える
●Dr.尾池の奇妙な考察 10
政治と性に無関心を装う日本人
突然不謹慎だとは思いますが、政治と性器はとてもよく似ていると思います。
今月7日、統一地方選挙の前半戦が実施されましたが、41道府県議選の平均投票率が戦後最低の44.08%を記録しました。しかも無投票当選者の割合も26.9%と過去最高でした。
この政治への無関心が、私には性への無関心に重なって見えるのです。
特に日本人は政治と性の話をできるだけ避けようとします。私はこの無関心さ(あるいは無関心を装う姿勢)こそが、女性が働きやすい社会の実現を阻んでいる根本的な原因だと思います。しかし当たり前なアプローチでこの長年の悪癖が無くなるとはとても思えません。だから誰もが「どうせ変わらない」と言うのでしょう。
私も政治はよく分かりません。しかし誰も考えそうにない視点を見つける作業については少しだけ経験があります。袋小路を感じても、それはまだ突破口が見えていないだけ。新たな突破口はかならず思いがけない方向にあるはずです。いま私の直感が、政治と性器の類似性に何かヒントがあるかもしれないとささやきました。
政治も性器も手の届くところにある
自分の性器に手が届くことを不思議に感じたことはあるでしょうか。私はあります。自分のものを掴んで、なぜこんなにちょうどよい位置にあるんだろう、と感心しました。しかも小刻みに動かす可動範囲までちょうどいい。可動範囲のクリアランスのことを俗に「遊び」と呼びますが、まさに遊びにちょうどいい遊びです。他の生物はどうでしょうか。鳥、馬、魚、セミ。皆、届きそうにありません。なぜ私たちは届き、彼らは届かないのでしょうか。これは私の仮説ですが、おそらくコントロールしなければならないからだと思います。
政治も性器も大きな力を持ち、時に手に負えなくなり暴走することがあります。しかしどちらも私たちにとって必要不可欠なもので、必ずコントロールできるはずのものです。暴走するのは、それ自体が危ないわけではなく、私たち自身がコントロールを誤っただけ。車と同じです。では何によってコントロールするのか。理性と自制心です。まさに、政治と性器は似ています。
さらにどちらも他者を相手にしていることも共通しています。広辞苑で政治を開くと「人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み」とされています。これは性行為にもそのまま当てはまります。他者ではなく自分だけで行えばそれはマスターベーション(自慰行為)です。政治も他者と共に行う営みがなければ、それはマスターベーションになってしまい何も産み出しません。
意味不明な古い社会をぶっ壊そう
政治と性器の類似性が教えてくれること。それはコントロールするために手が届く位置にあるということ。そしてそれは新たな秩序の形成を他者と共に行える巨大な力を秘めているということ。暴走を怖がって避けるなんてもったいない。せっかくだからその巨大な力を手に入れて、意味不明な古い社会をぶっ壊そう。
女性が一番忙しい朝がゴミ出し時間って何?有休になんで理由がいるの?通勤路の歩きたばこ、かっこいいからやってるの?ベビーカーへの配慮のなさは男性には永遠に分からない。男性目線の女性が働きやすい社会はいらない。女性の社会は女性が決めます。ついでに男性目線の女性らしさもいらない。
なぜ声が政治に届かないと感じるのか。それは普段使っていないからです。政治と性器は常に手元にある。使いこなすかどうかは自分次第。自分の性器を握りながらつくづくそう思いました。下を向いている場合じゃない。顔を上げて、前を向いて行動しよう。その先にしか未来はない。今こそ、立て! 立つんだ!
今回のまとめ
性器と同じく、古い社会をぶっ壊す巨大な力もすでに手元にあります。意味不明なシステムを壊せるかどうかは私たち次第。あなたが働きやすい社会を実現するために立ち上がった立候補者を応援しましょう。統一地方選挙の後半戦は21日が投開票です。
<尾池博士の所感>どうせ変わらないという声を時々聞きますが、逆です。めちゃくちゃ変わります。
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