【ナリ心理学ナリくん】「コンプレックス」、僕の場合。 by ナリくん
●意識、どんどん下げてこう。by ナリくん24
僕とコンプレックス
自分には、自分で選んでいないけどそうなっているものがたくさんある。
それが、良い働きをした場合「才能」と呼ばれ、悪い働きをした場合「コンプレックス」と呼ばれるのだろう。
僕も物心がついた時には、もう太っていた。そして身長も小さなかった(中学入学したときは138センチだったのを覚えている)それが理由で、小学生のときに上級生にいじめられていた。それはもう、ひっどいあだ名で呼ばれてた。これ、恥ずかしくて今まで誰にも言ったことないけど、20年ぶりに自分のために発表させてくだい。
そう、僕は「お肉なーり」と呼ばれていた唯一の人類である。
発音は、「おにっくっ!なっーり!」である。
ひどいあだ名でしょ? 小学生のとき、学校の廊下で上級者に会うたびにそう呼ばれるんだよ。恥ずかしくて恥ずかしくて仕方なかった。同級生が横にいるときに呼ばれたらそれはもうほんとに、傷ついていた。
そのときに僕が感じたことは、
太ってるからいじめられる。ほかの子はいじめられないのに、僕だけいじめられる。僕はほかの子と違って、「普通に生活してるだけでいじめられる存在なんだ」ということだ。
すると次は、普通に生活してるだけじゃダメなんだ!いじめられないようにしないと!いじめられないような「強くて!なんかできる人」にならないと!と決めることになる。
当時の僕にとって「いじめられないために、強くてなんかできる人」っていうのは、休み時間にみんなの輪の中心になるとか、ドッジボールが上手くなるとか、少年野球が上手くなるとかだった(勉強できる人!とはならなかった)。
そして、中学生になっても「僕は存在してるだけでいじめられるのだ」という前提意識は変わらず、やはり「いじめられないように、強くて、なんかできる人」になりたかった。
中学生のときも矛先は勉強には向かず、休み時間に面白い話ができる!とか、友達が多いとか、球技大会で活躍する!とか、そう言った方に進んでいった。
高校生になっても「いじめられる前提」は消えず、実際高校生のときも先輩にいじめられた(いじめられるという前提意識を持ってる人は、やっぱりいじめられる。このことは、心理学を学んでやっと気付いた)。
高校生のときも、ヤンキーの友達が多いとか、輪の中心になるとか、あと雑学に詳しいとか、そう言ったもので、自分を守っていった。
そして、この「僕は存在してるだけでいじめられるので、何かできる強い人にならなくてはいけない」という感覚は、心理学を学んで理解するまで、25歳くらいまで続いた。
そして、その思い込みに気づいたときに驚愕した。そうか、あんな子供時代のころから、僕は「強くならないとダメだ」と自分にプレッシャーをかけていたのだな!と。
ただ、そのプレッシャーのおかげでよかったこともある。それは、社会に出てからの強さとは、「友達が多いこと」でも「輪の中心なこと」でも「運動ができること」でもなく、「仕事ができること」だったからだ。
僕はそのまま、いじめられないために仕事ができるようになろう!と自分に思い込ませ、そのおかげで、仕事は順調に進んでいった。
だから今は、太っていたというコンプレックスに感謝すらしている。
(ただ、「お肉なーり」と言ってきたあいつは許さない)。
これは結果論ではあるし、僕個別のパターンだということは認識している。実際、26歳でナリ心理学を設立して27歳で法人化して、今とても順調に進んではいるが、正直23歳くらいまでは、地獄だった。
コンプレックスに感謝はするが、もう二度と戻りたくないとは思う。「コンプレックスは天からの贈り物だ」と言われたら、ふざけんな!と思う。が、コンプレックスのおかげで今の人生を手に入れられたことには、感謝はしている。ただ、あいつは許さない。
「コンプレックスからも学べるところがある」は、少し同意する。ただ、あいつは許さない。
「あいつは許さない」は正直ギャグ。あいつのことなど今は1ミリも考えてない。今回、5年ぶりとかに思い出しただけだ(笑)。
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