さりげないことは正しい?A-CHANに教わったこと

茨城県取手市のふじしろ図書館で開かれた写真家、A-CHANのイベントに顔を出してきました。イベントはニューヨークに在住するA-CHANの一時帰国に合わせて開かれたもの。参加者は自分の好きな本をテーマにレンズ付きフィルム「写ルンです」で自由に写真を撮り、そのコンタクトシートをA-CHANが見て次々講評していくという、小さな図書館だからこそできる(?)素敵なイベントでした。

NYで活躍するA-CHAN、故郷の図書館で写真イベント

ふじしろ図書館のある取手市藤代町はA-CHANが育ったホームタウン。図書館があった場所には昔、幼稚園があり、A-CHANも子どもの頃、ここにあった幼稚園に通っていたそうです。イベントには市の職員も参加し、ほのぼのとした雰囲気が漂っていました。A-CHANはこれまで出版した写真集をこの図書館に寄贈しています。直井徹館長は「ふじしろ図書館は世界で1番、A-CHANの写真集がそろっている図書館です」と笑顔で挨拶をしていました。

さりげない日常生活の中の気づきや発見を、レンズを通してアートにしてしまうA-CHAN。彼女の話は、その作品と同様に、なにげなく語るトークの中にも深さを感じさせます。
「私、何を撮っているのかはっきりしない写真って好きなんです」
「なんとなく撮ったって言ったけど、『なんとなく』って、とても大切なこと。そのとき、心の中でバランス感覚が働いていると思うから」……。

「フィルム写真で作品を撮り続けているのはなぜ?」と質問されると、「私が育った頃も大学で写真を学んだときも、カメラはフィルムの時代でした。だから自分にとってフィルムで撮るのは自然なことなんです」と話していました。

実はカメラや写真の話はちょっと苦手でした。機材や撮影方法などマニアックな話になりがちだからですが、A-CHANの話にはいっさいそういう話は出てきません。たとえば、空の写真を撮るのが好きという話をしたときも、
「でも、太陽の光の採り入れ方がむずかしい。なかなか撮れなくて、ある日、ポラロイドカメラで撮ってみたらうまく撮れた。それから、空を撮るときはずっとポラロイドカメラを使っています……」
要は、自分の置かれた状況と被写体に合わせて、撮れるカメラで撮ればいいんですね。A-CHANは毎朝、今年、生まれた息子さんと公園に散歩に行くのが日課にしていますが、赤ちゃんとのお出かけは荷物が多い。だから重たい一眼レフは置いていくそうです。

うまい、へたではなく「自分らしさ」を基準に―

そんなA-CHANは、参加者が撮影したコンタクトシートを見るとき、全員にこう質問していたのが印象的でした。

「で、あなたはどの写真が一番、自分らしい写真だと思いますか?」
うまい、へたではなく「自分らしさ」を基準に考える――私たちは毎日を慌ただしく生きていますが、こういうことって、こうした普段の生活の中でも、とても大切なことなんだろうな、とあらためて思いました。でないと、ブレブレ、ズレズレになっちゃいますから(A-CHANが、そういうつもりでお話しされていたかどうかわかりませんが……)。

話は横道にそれますが、年配の方にこう言われたことを思い出しました。「正義とか正しいと思うことを大声で振りかざしちゃいけないよ。正義とか正しいことって、いつも、さりげないところにあるんだよ」。ツイッターで自分の意見を「これでしょ?」って発信したり、インスタグラムで「私っていい?」とアピールしたりしてしまいがちな毎日だからこそ、「さりげなさの深さ」は、ちょっと考えてもいいテーマかもしれません。よう知らんけど……(と、なぜか京都言葉です)。

A-CHANの写真集は日本よりも海外で評価されています。ニューヨークで現代写真の巨匠、ロバート・フランクと一緒に仕事をする一方、「世界で一番美しい出版物を作る」と言われているドイツのシュタイデル社をはじめ、海外の出版社から写真集を出しています。次回作はホームタウン、藤代町で撮りためていた作品をまとめた写真集だそうです。