Ruru Ruriko「ピンク」

1人でいるってダメなこと?私には私のペースがある

ちょっとモヤモヤした気持ちになったとき、読んでみてください。いい意味で、心がザワザワするフォト&エッセイ。「内向的」でも「外交的」でもあるRuru Rurikoさんが1人で過ごす時間について考えます。

●Ruru Ruriko「ピンク」16

1人で過ごす時間、周りを気にせずただ好きなことができる。読書に熱中したり、観たかった映画やドラマを一日じゅう観たり、気になることを調べて観たり。私は1人の時間が大好きだし、1人でもワクワクしたりエキサイティングなことが起きたり、世界が広がったりする。
でも1人でいることを「部屋にこもってばかり」「おとなしい」「シャイ」などという言葉でくくられれてしまうことがあります。なんだかネガティブなイメージを押し付けられて、「自分が悪い、変わらなきゃいけない」といった気持ちにさせられる時があります。

私は内向的? 外交的?

人の性格を表す言葉に、「内向的」「外交的」という言葉があるけれど、私はどちらにも当てはまると思います。普段の私の生活を見たら多くの人は私を「内向的」、時には「シャイ」だと思うだろうし、実際にそう言われることが多いです。普段は自分の部屋で過ごすことが多いし、仕事後に友人とディナーに行くことも、人と出会って自分から連絡先を聞くことも、遊びに誘うこともあまりありません。
一方で、海外旅行にはよく行くし、海外留学やボランティアなどもしてきたので世界中に友達がいます。週末はナイトクラブへ行って朝帰りすることだって珍しくありません。そんな私は「内向的」でしょうか、「外交的」でしょうか?

私は周りの友達が好きだし、人と遊ぶのも好きだけれど、私にとって他人と関わるということは、かなりのエネルギー消耗になります。だから1週間に1、2回は1人になりたいし、一日誰とも話さずだらだらしていたい。「外交的」な人にとって、他人と関わり楽しい時間を過ごすことがエネルギーになるらしいけれど、「内向的」な人にとっては1人の時間こそがエネルギーになるのです。

そんな「内向的」な私にとって、大人数のグループや、知り合ったばかりの人と話すのは大変な作業。だから中学、高校は本当にしんどかった。多くのことがチームで行われる学校は、本当に疲れる場所です。もちろん、チームワークが大切なのはわかる。でもチームプレイがどうしても苦手な子どもがいることもわかってほしかった。友達がたくさんいて、毎日多くの友達に囲まれている人が理想とされている中で、なかなか作りたくても友達ができない、作るのが下手くそな子どももいるし、仲良しな子が数名いればいい子どももいるのです。

2000年代に子ども時代を過ごした私には、ラッキーなことにインターネットというものがありました。中学生の頃、周りに外国文化に興味を持っている人がいなかったので、My Space(今のFacebook的なもの)に登録し、下手くそな英語で海外の同い年の子ども達とメッセージを送りあいました。日本に住む、趣味が合う子ども達ともつながりを見つけ、後に実際に友達になりました。

SNSがなかったら私はどうなっていただろう?今仲良くしている友達の多くも、SNSを通して知り合いました。ファッションやアートといった共通点がある人と出会うのは大学生になってから。美大に入るまでは友達を見つけるのは難しかったし、フェミニズムやジェンダーという共通の興味を語り合える人とも、その多くはSNSを通じて知り合いました。

部屋にこもってちゃダメ?

最近フランスに引っ越してきて、正直友達を作るのがすごく大変だと感じているし、自分が面白くない人間だからだとかいろいろ考えさせられます。新しい環境、新しい言語の中ですでに疲れ、週末は1人になりたい一方、「友達をつくらなきゃ」と焦る日々。でも友達って焦ってつくるものだっけ? 私には私のペースがあるのに、他人から「部屋にこもってばかりじゃダメだよ」とか「シャイにならないで」って言われると私が悪い、上手にできていないような気持ちになって泣きたくなる。そんなこと言われるまでは全然気にしていなくて、1人で楽しかったのに。

人にはそれぞれペースがある、自分が何をしたいのかがわかっているなら、社会の理想や他人からのコメントに落ち込む必要はないはず。私は自分が何をしたいのか、何が好きで、何が私をハッピーにするのかはわかってる。私には私のペースがあるんだと毎日自分に言い聞かせて、今日も過ごします。

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18歳の時にイギリスへ留学、4年半過ごす。大学時代にファッション、ファインアート、写真を学ぶ中でフェミニズムと出会い、日常で気になった、女の子として生きることなどの疑問についてSNSで書くようになる。