ダメな夫の本音―野村克也「会話がなくても、ご飯を作ってくれなくても…」
心地よかった適度な距離感
野球選手は、春のキャンプがはじまってからは一年の半分は家にいない。キャンプや遠征のとき、沙知代から電話がかかってくることはほとんどなかった。子どものことなど、トラブルはいろいろあったはずだが、そんなときでも彼女は私に何かをいうことはなかった。私が野球に集中できるようにするためだったのだと思う。
私のほうからは、寝る前には必ず電話を入れるようにしていた。これは、ふたりのあいだの唯一のルールだった。
といって、特段話をするわけではない。
「おーい、おれだ。生きてるか?」
「生きているわよ。おいしいもの食べた?早く寝なさいね」
「ああ、じゃあな」
たったそれだけ。でも、それだけでよかった。
彼女が電話に出ないこともあったが、そんなときは出るまでかけ続けた。とくにおたがい老いを自覚するようになってからは、「風呂場やトイレで倒れているんじゃないか、階段から落ちて動けなくなっているんじゃないか」と最悪の事態を想像してしまうからだ。
監督を辞めてからも、夫婦の関係は変わらなかった。
「あんたとはいつもいる部屋が違う。家庭内別居やな」
私は沙知代によくいったものだ。
家にいるときの私は、いつもテレビのあるリビングにいて、そこから動かない。沙知代も、いる場所は決まっていた。ふたりとも家にいても、朝食は別々。一緒に食事をするのは夜だけだった。
「いるかいないか、わからないくらいの距離感を保っていたほうがうまくいく」
彼女はそう考えていたようだ。
料理も得意だったが、つくってくれたのは結婚して数年ほどの間だけ。それからは「面倒くさい」という理由で、次第にしなくなった。新婚当時によく食べたローストビーフを作ってくれと頼んでも、「手間がかかる」といって拒否された。とくに晩年はまったく料理はしなかった。
「手が込んでいるから愛情を感じるんだ。愛情がなくなったんやな」
私は悪態をついたものだが、まあ考えてみれば朝から晩まで角付き合わせていれば相手のアラばかりが目につくようになるし、鬱陶しくなってしまう。その意味では、適度な距離感だったのだろう。のべつまくなし一緒にいなくても、会話がなくても、同じ屋根の下にいるだけで安心する。それが心地よかった。
そういえば、白州次郎・正子夫妻もそういう感じだったらしい。沙知代はご夫妻と面識があり、正子さんとは私も対談をしたことがあるのだが、沙知代によれば、白州夫妻はつかず離れずの距離をとりながらおたがい独特の個人主義を貫いたそうだ。おたがいを思いやりながらも決してベタベタせず、老いてからもそれぞれが好きなことをとことん追求した。次郎氏は夫婦円満の秘訣を訊かれて、こう答えたという。
「一緒にいないことだよ」