私と母の「飛鳥Ⅱ」体験記 04

母の秘密 

いつまでも元気だと思っていた親も、段々年を重ねて、心配なことが少しずつ増えてくる。ゆっくり話をしたり、親孝行したりするために、親子で旅行に行ってみたいと思っている方は多いのではないでしょうか。親孝行とはほど遠い生活を送ってきたtelling,編集部員(37)が、60代の母と、大型客船「飛鳥Ⅱ」で母娘二人旅に出かけてきました。

●私と母の「飛鳥Ⅱ」体験記 04

前回記事 母と、“お伊勢さん” ―私と母の「飛鳥Ⅱ」体験記 03はこちら

 伊勢神宮ツアーから戻り、お昼はまた和食を食べた。船は、夕方まで鳥羽港に停泊し続ける。ツアーへの参加は任意なので、船内で思い思いの行動を楽しむ人もいれば、個人で上陸して散策する人もいる。私たちは、ツアー以外は船内でゆっくり過ごすことにした。

 朝から暑い中を歩いて少し疲れたのか、母は「ちょっと休む」と言って、ベッドに横になった。そして、ライブラリーで借りた五木寛之の本を読み始めた。

 私は「少しだけ仕事したいから」と、部屋を出た。船内が広いので、おのおの好きなことを何の苦労もなくできる。少人数で旅行をしたときの、ちょっとだけ息がつまったり、やりたいことについて意見が食い違ったりするというストレスとも無縁だ。

 ラウンジに向かい、私は少しだけパソコンを開いて仕事をした。せっかくなので、パソコンルームに行ったり、

 和室で寝転がってみる(仕事は全然進まないが贅沢な気分)。

 ちなみに、国内クルーズだからということもあるだろうが、ほとんどの時間、携帯の電波は入っていた。3カ月の世界一周など長期クルーズで電波が届かない海上でも、衛星通信サービスを別途申し込めばネットは使えるし、部屋から電話もかけられるらしい。

出港

 数時間、別行動でおのおの過ごしたあと、17時、鳥羽を出港するときに再びデッキで合流した。

 鳥羽市観光局がチャーターしたという船が飛鳥Ⅱの前に現れていて、トランペットのソロ演奏と、赤いハンカチを振る粋なセレモニーが始まった。

出港セレモニー

 乗客はそれぞれの家族がリラックスして過ごす時間が長い船旅だったが(三世代で参加している家族がとても多かった)、こうしたプチイベントが私はとても楽しかった。セレモニー用に配られた赤いハンカチを、私はポケットにしまった。

鳥羽の赤いハンカチ

「暑かったから、今度はアイス食べよう」と、母は食い意地がはっている。
「夕食は19過ぎから」と、カフェへ移動。飛鳥オリジナルのアイスと一緒に船上で人気のハンバーガーも頼んだ。

「リドグリル」名物の飛鳥Ⅱ・ドライカレーバーガー

 旅が終わって体重計に乗るのが恐ろしい。だが、まあいい。母とハンバーガーを半分ずつ食べて、次は「縁日」に向かった。場所はプールサイド。船の上でお祭りまで……。感動すら覚える、イベントの充実ぶりだ。

 準備よく浴衣を持ってきているお客さんもいて、さながらクルーズ船がお祭りの中にワープしたようだった。

 盆踊りの後、夕焼けを見に行った。夕日は、惜しいところで雲に隠れてしまったけれど、ぽかんと浮かぶ船から見る夕日は、やはり美しかった。東京に出てきてから、海をゆっくり見ることもなかったな、としみじみ眺める私を、母は少し離れたところで見守っていた。

 そうだ、実家は海まで車で5分の街。海辺の夕日は日常でもある。でも、この船の上ではそういう一つひとつのことが、何となく貴重なのだった。

「明日の朝はもう終わりだね。日にあたって疲れたから、もう寝るが」。

 ベッドに入ったが、なんとなく二人とも寝つけなかった。下船は朝9時。明日、目が覚めたら、もう横浜近くまで戻っているはずだ。あっという間に、23日の旅が終わろうとしている。

 短かったけれど、この2日間で私は母についてたくさん発見をした。

 よく食べること。ディスコで楽しそうに踊るおちゃめな一面があること。しょっちゅう感動すること。早朝からストレッチの体操イベントに参加するほど、アクティブなこと。そして、キャビンアテンダントになりたい、という夢を持っていたこと。

 船上最後の夜、母はベッドの中で言った。

「お母さんは、スチュワーデスになりたかったの。英語が得意だったし、海外に行けるから飛行機に乗って旅したくてね。でも、『女に職業はいらない』って、ばあちゃんに反対されてね。それでも、高校卒業後に、一年だけ大阪で働くことを許してもらってたんだよ。

 経理の仕事で就職して、毎日お茶を汲んで、当時はまだ手渡しだった給料を、封筒に入れてたねえ。親の言うことは聞かないといけない、と真面目に思ってたから、1年経ったら鹿児島に帰って、少し仕事をして、お見合い結婚したんだよ」。

 母は、主婦の鏡のような人だと思っていたから、バリバリ働きたかったという夢を聞いてびっくりした。

「だから、ゆきちゃんが東京の大学に行きたい、って言ったときに反対できなかったんだよね。東京で仕事をして一人で子どもも育てて、頑張ってるよねって思う。ありがとうね、忙しいのに、連れてきてくれて」。

 親子なのに、私はこれまで驚くほど母を知らなかった。

 2人で旅行をすることは、しばらくないだろう。でも、私は夜の波の音を聞きながら、この飛鳥Ⅱでの旅を、きっと夏が来るたびに思い出すだろう、と思った。船は、私たちが眠りにつくまで、優しく揺れていた。

取材協力: 郵船クルーズ株式会社

telling,創刊編集長。鹿児島県出身、2005年朝日新聞社入社。週刊朝日記者/編集者を経て、デジタル本部、新規事業部門「メディアラボ」など。外部Webメディアでの執筆多数。