世界の女性たち

現代に生きる私たちとセクシュアリティ @ノルウェー

ノルウェー在住(21歳) telling,では、街頭でのインタビューを中心に、ミレニアル世代をはじめさまざまな世代の女性たちから話を聞き、“リアルな声”を伝えています。でも、日本だけじゃなく、世界のもっといろんな場所の皆んなのことも知りたい。毎回ドキッとさせるフォト&エッセイを連載中のRuru Rurikoさんが、ノルウェー女性のイザベルさんにインタビューし、“女性とセクシュアリティ”について記事を寄せてくれました。

●世界の女性たち @ノルウェー

 メディア、ポップカルチャー、SNSで見かける多くの女性たちがどう表現されているか、そして女性たちがどう自分たちを表現しようとしているか。私はみんな一人一人自分のスタイル、例えば洋服やセクシュアリティー、を選び表現する権利があると思ってる。

 私はノルウェー人だから私の意見は欧米的な視点だし、主にヨーロッパ、アメリカの文化の話になるけれど、時々、雑誌やミュージックビデオ、そして一部の女性たちを見ているとどうして性的な表現をすることがこんなに人気なんだろう、と思う。

“セクシーだらけ”に感じた違和感

 最近あるデンマーク人のフェミニストグループのインスタグラムを見たのだけれど、そこにはトゥワーキング(ダンスの一種。欧米では女性がするセクシーなダンスとして知られていて、ミュージックビデオなどによく出てくる)やセクシーなポーズや服装の写真ばっかりで、セクシーでもフェミニストになれる、と主張していた。

 でも、もし彼女たちが伝えたいことが「女の子だって好きなように自分を表現していいし、好きな格好をしていい!」ってものだとしても、そのページがセミヌードやセクシーな写真ばかりだったら……。それを見た若い女の子たちが、違う解釈をしてしまう可能性も十分にあると思う。

 私はセクシーな表現をしたり、外見を主張したような写真じゃなくても、そうしたメッセージは伝えられると思う。Bea Miller(アメリカ人歌手)のミュージックビデオ S.L.U.Tがいい例。

Bea Miller - S.L.U.T. (Official Video) より引用

 歌詞は、「女性はどんな格好をしようと見た目についてコメントされる」ことをうたっている。タイトルのSlutは尻軽女という意味だけれど、歌詞には”Sweet little unforgettable thing(可愛くて忘れがたいもの)”とある。彼女は通常はネガティブな意味で使われる言葉を、ポジティブな意味で使っている。歌詞とミュージックビデオに出てくる様々な見た目のタイプの女性たちの姿は、Bea Millerが「どんな体型でもいいんだ」というメッセージを女性に伝えようとしているのが伝わってくる。

  • 歌詞一部
  • ”I love myself I wanna see it, when I turn around look in the mirror, and if you don’t like it you can leave it, cuz it’s my own and I keep owning it.» and «Imma do just what I want on the regular, and it’s really not my fault if you're scared of a Sweet Little Unforgettable Thing”
  • (日本語訳)

    私は自分自身が好きだし、鏡に映っている姿も見たい。もしあなたが文句をつけたいんなら見なきゃいい、だってこれは私の体だしこれからも私のものなんだから。私は私がやりたいことをやるし、もしあなたがそんなSweet Little Unforgettable Thingが怖くっても私のせいじゃないのよ。

女性の自立を、なぜ外見やセクシーさで強調するの?

 私たちは自分たちでも気づかないほどにポップカルチャーに触れていて、その中、特にミュージックビデオにはセックスや性的なものが男女関わらず「力」の証明として使われている。多くの女性アーティストが女性が男性から物として見られることに疲れた、自分たちにも「力」があると証明するように力強くセクシーなビデオを作っている。例えば、ニッキー・ミナージュの「Anaconda」、ビービー・レクサの「I Got You」、リトル・ミックスの「Touch」、ジェニファー・ロペスの「Booty」……。

 でも自立や力がこのような性的な形でばかり伝えられると、女性=身体という考えが保たれてしまうん気がするし、私はそれは良いやり方ではないと思う。セクシーに着飾ったりする女性たちを批判するつもりはない。でも、女性の自立について話すときに、セクシーさや、外見だけを強調すると考えのバランスが悪くなっちゃうんじゃないかな?  知性、自分自身を認めること、知識、失敗や完璧じゃないことを恐れないこと、自信を持つことなど、内面的な部分も同じくらい強調されるべき。

 アーティストはヌードや性的な意味を持つコンテンツを自由に表現し、それを発表する権利がある。映画などを使って、日常にある性被害などをストーリーで伝えたり、人々が信じ込んでいる典型的な外見の美に反対したりすることもできる。でもその表現の自由には責任もついてくるべきだと思うんだ。

表現の自由と責任

 TVや写真、ミュージックビデオ、ゲーム、ポルノなどには性的なコンテンツが溢れていて、それが消費者に多くの影響を与えている。日常的にそうしたメディアを目にしている若者は、セックスや男女の役割において典型的なイメージを持ち、それが現実だと思ってしまう。

 だからこそ、多くの女性アーティストがセクシーなビデオを作ったり、そうした態度ばかり見せているのは違和感を感じる。若者はそれがお手本で、みんなそうであるべきかのような考えになってしまうんじゃないかな、と。

 現代に生きる女性として、私は自分自身のセクシュアリティに、大切な一部として向き合いたい。でも公の場でそこだけにハイライトを当てることはしない。さっきも言ったように、他にも同じくらい大切なことはあると思うから。メディアにはいい面もあるけれど、常にこれはこう! とうのみにせずに、疑問を持ちながら使うことが大切だと思うんだ。

  • 欧米のフェミニズムでは近年、セックスポジティブ(女の子だって性欲があるし、楽しむことは悪いことじゃないと言った意味)などの言葉が流行るように、女性の性の解放に向けてセクシーな写真をSNSに投稿したり、そうした態度、発言をする女性が強く、自立した女性と見られることが多い。

18歳の時にイギリスへ留学、4年半過ごす。大学時代にファッション、ファインアート、写真を学ぶ中でフェミニズムと出会い、日常で気になった、女の子として生きることなどの疑問についてSNSで書くようになる。