第九とアンパンマンと、西日本豪雨

西日本豪雨で甚大な被害を受けた広島県。折しも広島を訪れていたライターの田尾圭一郎さんが現地で見たものは――。

 忘れない。ぼくは歯ぎしりするように顔を強張らせると、そう誓った。山あいに向かう道の途中である。

 その日はジリジリと暑く、押し流され路上に放たれた土砂が、カラカラに乾いてアスファルトを覆っていた。あちこちの道が封鎖された結果、通行できる道に車が集中し、慢性的な渋滞に陥っている。照り返しの陽炎を見ながら何十分と立ち往生することもざらだった。あとで振り返れば、通常では30分あれば着く場所に、3時間かかった。

災害を忘れないためのイコン

 あたりは何事もなかったかのように緑の木々が茂り、羽虫が顔のまわりを飛び交う。ただ、目の前にある、山頂に向かう道の様子だけが違っていた。そこには、丸ごと流されて道路を塞いでいる電信柱と、それにぺしゃんこにつぶされた軽自動車が転がっていた。場所は、広島県熊野町。今回の西日本豪雨の災害にあったエリアだ。

広島県熊野町の一角。電信柱に軽自動車が潰されていた

 2018年7月12日。たまたまこのタイミングで広島に行く機会があり、災害の爪あとを見て回った。6月の大阪北部地震の矢先に起きた今回の豪雨災害を受けて、つくづく日本列島の自然災害の多さにずしりと重い気持ちに襲われている。今年に限らず、2017年の大分県の台風被害や2016年の熊本地震、そしてもちろん2011年の東日本大震災など、大規模な自然災害が繰り返される。その一つひとつに「忘れない」ことが求められ、その災害が起きた日には追悼イベントが行われている。

「夏の第九」にこめられたメッセージ

 その日の夜、広島市内のコンサートホールで、「夏の第九」と称される演奏会が開催されていた。演奏は、広島交響楽団。指揮は広上淳一だ。平和へのメッセージとされることも多いベートーヴェン交響曲第9番。日本では通例年末に演奏されるが、広島においては、原爆投下や終戦の日の記憶と重なる夏に企画されていた。

 広上氏によって国際的に活躍する演奏家たちが集められ、オーケストラというチームプレーのなかで個を際立たせていた。
1945年8月6日に当てはめれば、「広島交響楽団:被害者」という意味合いに対して、「アメリカのオーケストラからの参加者:加害者」がおり、他にもヨーロッパ各国から様々な国籍の演奏者が加わることで、日米の二項関係のみでなく、諸国による第二次世界大戦の関係図が擬似的に再構築され、平和という意味に複層性を与えていた。

 これは、ベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統一した1989年、20世紀を代表する指揮者レナード・バーンスタインが第九を演奏した際に、第二次世界大戦で中心となった各国から演奏家を集め、東/西(ドイツ)という二面性を超えて複層化させた試みがなぞらえられている。

アンパンマンと広島と、平和と

 第九を聴いた2日後の7月14日。この日から、ひろしま美術館で「やなせたかし展」が開催されていたので、前から彼の活動に関心のあったぼくは、空き時間を利用して行くことにした。
 デビューからの作品を振り返ることで、代表作「アンパンマン」に限らず、通底してやなせ氏が戦争という体験を経て重くリアルな平和を希求してきたことを示す、素晴らしい展覧会だった。特に絵本『チリンのすず』は、戦争における人間の原罪に迫った名作であることを知ることができた。それもやはり、広島で鑑賞したことに起因しているだろう。

 展示された作品のなかで、アンパンマンの顔はいつも軽やかに取り替えられていた。バイキンマンという悪は殲滅されず、まるで鏡合わせのように共存を前提にして、「○○マンを守る」「○○国を救う」といった回ごとの起承転結を、次の週も、その次の週も繰り返している。やなせ氏が善悪の是非ではなく、その喜劇性をこそ描こうとしていることが感じられた。

平和や自然災害への思いを、普遍化するもの

 初演から200年近く経った2018年、第九には新たな意味が加えられた。西日本豪雨を受けて、亡くなった人々と未だ行方不明の人たちへの鎮魂と無事を祈り、広上氏の呼びかけとともに黙とうがなされた。

 当初想定されていた国際的な平和に加え、日本で繰り返される自然災害の慰霊という意味が加わることを、彼は「第九が再生[rebirth]される」という言葉で表現した。
ベートーヴェンの意志を超えて“今”が演奏されるとき、込められた平和への願いが、第九をより普遍的なものにしていく。広島で聴く夏の第九は、ぼくにそのことを気付かせてくれた。

 日本列島は、地震や豪雨といった自然災害から宿命的に逃れられない。被害の大小はあれど、それは去年も今年も、そしておそらく来年も繰り返される。

 その一つひとつの具象を、「忘れない」という個人的ではかない誓いに頼るのではなく、音楽(第九)や寓話化された絵本(アンパンマン)などの抽象的な表現によって、人々の記憶に刻んでいく。それらは何度も再生[rebirth]され、かたちを変えながら残されていくだろう。それこそが、「ニュース(そこには他者的なニュアンスが含まれてしまっている)」としてのど元を過ぎ、消費・風化されないための手段のひとつなのではないだろうか。

改修工事が行われている広島平和祈念資料館本館

 奇しくも、ひろしま美術館のすぐ近くにある広島平和記念資料館本館は、改修工事が行われていた。建築家の丹下健三が創造したこの「平和の象徴」もいま、新たな意味を持って“再生”されようとしている。

1984年東京都生まれ。雑誌やwebを中心に現代美術の事業を展開する「美術手帖」にて、編集業務、地域芸術祭の広報支援、展示企画、アートプロジェクトのプロデュースに携わる。