映像制作会社事務(31歳)

将来は子どもを3人産んで、アメリカで暮らしたい。

映像制作会社事務(31歳) 6年間の留学後、英語を生かして働く。 表参道のAppleストアの前のベンチに腰かけていた彼女。服装から、「休日に買い物に来ているのかな」と思って話しかけてみると、会社の昼休みにiPhoneを新しくしたところだという。

 職場はすぐそこで、今はお昼休憩中です。

 映像制作会社の事務をしています。20人くらいの小さい会社で、半分近くが外国人。イギリス、中国、オーストラリア、アメリカなどいろんな国の人がいて、オフィスでは英語で会話しています。服装も厳しくないところが気に入っています。

山形の田舎から、念願の海外留学へ

 出身は山形です。海外留学は、高校の頃からの夢でした。きっかけは、ちょっと恥ずかしいんですけど、中学くらいでハマったバックストリート・ボーイズです。

 田舎だったので、周りで留学している人なんて全然いなくて。はじめは親も消極的だったのですが、最終的には「この子は頑固だから仕方ない」と言って認めてくれました。

留学しなかった自分は考えられないな

 きっかけがバックストリート・ボーイズだったので、海外留学の行き先は当然アメリカ。カリフォルニア州のサンタバーバラ語学学校に行った後、同じくカリフォルニア州のサンノゼにある大学に行き、ソーシャルサイエンスを学びました。勉強の他にも、バイトを3つ掛け持ちしたり、クラブに行ったり、いろんなことを満喫しました。一番好きだったのは国立公園に行くこと。とても充実した留学生活を送ったのですが、勉強以外のこともしすぎて、卒業に6年かかってしまいました。

 向こうでは学生はシェアハウスが一般的で、私も常にだれかと暮らしていました。メインのアルバイトは当時アメリカで流行し始めていた豚骨系のラーメン屋さん。私はウエイターをしていたのですが、アメリカ人のお客さんは必ず「センキュー!」と言ってくれるし、チップもくれるので、気持ちが良かったです。駐在している日本人のお客さんもよく来ましたが、アメリカ人に比べると、お客さんとして態度が大きくてつっけんどんな人が多かったです。こんなところからも国ごとの価値観の違いを感じました。

「留学しなかった自分は考えられないな」というくらい、留学の影響は大きいです。山形の田舎にずっといたら、考え方が今と比べ物にならないくらい狭かっただろうなと思います。

 実は、留学する前、山形の高校から一度仙台の大学に入ったんです。でも、「合わない」と感じ、1カ月で「もう行かない」と決めてしまいました。入学金と前期の学費、合わせて50万円以上払ったところだったのに……。我ながら親不孝者だったなと思います。私、決断が早いときは本当に早くて。でも、うまく決断できなくて、だらだらしてしまうこともあります。それが、27歳で帰国したときでした。

早く決断できるときと、なかなかできないときがある

 アメリカのゆるい雰囲気の中で6年も過ごしたので、帰国しても、日本の会社のルールの中で働ける自信がなくて、実家の山形で2年ほどふらふらしていたんです。もとから海外で働きたいとずっと思っていたこともあり、山形や日本での就職に踏み切れずにいました。

 就職サイト経由で知った、テレフォンオペレーターの仕事をマレーシアにアウトソーシングする日本企業の面接に合格し、「来月からマレーシアに来てくれ」と言われたこともあったのですが、そこに行けば同僚は全員日本人。「それは自分のイメージとは違うな」と思い、お断りしました。その後、縁があって今の会社に採用され、上京しました。働き始めてもうすぐ1年になります。

 今の会社は、職場の堅苦しい上下関係もなくてフラットなところが好き。海外ではないけれど、日本っぽすぎない。「今の職場もいいな」と思っています。でも、山形とアメリカと東京だったらやっぱりアメリカが一番好きですね。

 海外暮らしでは、お互いに細かいところを気にしなくていいところが楽でした。日本人同士だと気を使い合って、逆に疲れちゃう。結婚相手も外国人がいいなって思います。それか、海外経験があるなど、視野の広い日本人。思ったことははっきり言って意思疎通するアメリカの作法の方が、私は性に合うし、価値観が合うと思うから。

 今まで付き合った人は1人なのですが、その人もアメリカ留学中に出会った日本人でした。

将来は子どもを3人産んでアメリカで暮らしたい

 10年後どうなりたいか、ですか? そうだなあ、日本じゃないところに住んでいたいなと思います。多分アメリカかなあ。結婚して、子どもが3人いるといいなと思います。

 最近、バイリンガル3兄妹(yucgram)というアカウントのインスタグラムが好きで、よく見ています。日本人のお母さんと、アメリカ人のお父さんと、子ども3人のファミリーなんです。私もなんとなくそうなる気がしていて。3人産むとなると、そろそろ結婚も考えたほうがいいのかもしれないけれど、急いで結婚して、その後離婚や不幸な結果になるよりは、焦らずにいようと思っています。

表参道にて

東京大学卒業後、大学職員となるが、「書くことを仕事にしたい」「自分の女性性への違和感を見つめたい」との思いから27歳で退職。水商売、レンタル彼女、作家のアシスタント等を経て、現在はライター・エッセイスト。
フォトグラファー。岡山県出身。東京工芸大学工学部写真工学科卒業後スタジオエビス入社、稲越功一氏に師事。2003年フリーランスに。 ライフワークとして毎日写真を撮り続ける。