レインボーパレードで思い浮かんだ“地方の息苦しさ”。故郷を帰りたい街に
「故郷を帰れる街にしたい」「ここにもいるぞ!」
今年5月、盛岡市が同性カップルを公的に認める「パートナーシップ制度」を導入したのを記念して、パレードが行われました。東北6県だけでなく首都圏からも当事者らが集まり、プラカードやのぼり旗がはためくなか、「誰にとっても生きやすい場所にしたい」「性的マイノリティーが地方にもいることを知ってほしい」といったスローガンを掲げて、町中を歩いたのです。
自身や家族をよく知っている人たちに囲まれた濃い人間関係の中で、声を上げることがいかに勇気のいることか――。「しがらみのない大都市とでは異なる闘い方がある。じっくり時間をかけて周りに分かってもらうよう努力することが必要」と口にした人もいました。
毎年渋谷でおこなわれるレインボーパレードは、大企業がスポンサーに名を連ね、参加者の人数も多く、会場も大規模です。しかし盛岡でのパレードは、こぢんまりとしてアットホームな雰囲気でした。沿道で手を振ってくれる人もいる一方で、パレードに向かって「LGBTQ反対」とわざわざ大きな声で叫んだグループも……。
この記事が出た2023年6月当時、島根、福島、宮城の3県だけが、市町村単位でも県単位でも「パートナーシップ制度」を導入していませんでした。その後、島根では10月に県としての導入を始めました。福島県では伊達市が、宮城県でも仙台市が、全国20ある政令指定都市として最後となる導入を発表しました。仙台市は1990年代から当事者団体の活動が始まっているのに、そこから遅れること「ようやく、やっと」といった感じです。
この記事を書くにあたり、宮城県の全市町村の担当部署に電話で問い合わせしました。なかには「パートナーシップ制度を実施してほしいといった要望はない」という担当者もいました。都会同様、性的マイノリティーはどこにでもいます。でも地方では見えない存在のようです。
そうさせているのは何なのか。
ALLYの存在も力に
岩手のパレードから約半年後、11月19日に仙台市で開かれた「みやぎ にじいろパレード」も取材しました。スローガンは「隣さ生ぎでっけと何すや? MAKE OUR FUTURE」です。地元で生きていく、という強い覚悟とプライドを感じる言葉です。
「その辺にいる普通の人なんですよ、っていうところを一番知ってほしい。パートナーシップ制度があること自体が、ここで暮らしている人たちにとって『自分たちの存在が少しは認められてきたのかな』と思えるきっかけにはなる」
「別に特別なことをしてほしいわけじゃない。マジョリティーの人が普通に使える制度を、同じように使えるようにしてほしい。同じように安心して生きていけるようになってほしいと思っています」
そう語ったのは、パレード実行委員会の共同代表の松井しおりさん(34)でした。松井さんは「自分には関係ないなって思われる方も沢山いらっしゃると思う。でも、パレードをみんなに見てもらうことで、実際に宮城にも当事者がいて、支援したいと思っている人もいっぱいいることを知ってほしい」とも話していました。
宮城県だけでなく、東北各地や東京からの参加者もありました。当事者ではないものの、LGBTQの人を理解し支援するALLY(アライ)を掲げた人も。200人ほどになったパレードは、仙台市の青葉通や商店街の中心部を進んでいきます。
あらかじめ寄せられたメッセージが拡声器を使って読み上げられていきます。「私がまるでいないかのように物事が進められていくことがないように、自分でできる範囲で無理せずやっていきたい」「差別はなくせないかもしれないけど、一息つく場所を増やしたい」
道行く人たちの反応は様々でした。物珍しそうに眺めていた子どもたち。その親たちが笑顔で大きく手を振ると、それに釣られて子どもたちも手を振っていました。「この人たちは何をしているんですか?」と記者に声をかけてきた仙台市の60代女性は、パートナーシップ制度について「知らなかった」といい、「性的マイノリティーがここにもいるんですね」と驚いた様子。福島県国見町から買い物に訪れた50代の女性2人組は「結婚をするかしないか、パートナーが同性か異性かで、法律や制度で差をつけられるなんておかしい。応援しています」とエールを送っていました。
パレード終了後、参加者が次々とスピーチをしました。
「こんなに多様で魅力的な人たちが宮城に生きている。本当に東北を心から愛している私としては胸がいっぱい」
「つらいことはたくさんあるかもしれません。でも今日こうして周り見てわかるように、すごく多くの仲間がいるとわかった。幸せな気持ちです」
「この『隣さ生ぎでっけど何すや』のスローガンのように、この先ももっと力強く堂々と、私たちの手で社会を変えていきたい」
東北や北陸各地から来た人たちが笑顔で祝辞と決意を語りました。
「私は生まれた時の性が女性で、性別適合手術を受けて、今は戸籍上の男性として生活しています。トランスジェンダー男性です」と語ったのは、仙台市の市民団体「にじいろCANVAS」共同代表の小野寺真さん。「今日歩いたのは、私にとってはいつもの道です。子どもの頃、周りの対応に苦しみ、学校や家に居場所がなかった時があります。その時は一人で泣いていました。多分この中にも同じようにそうやって泣いていた人がいると思います」
「誰かのことを『違う』と思っても否定しないでください。いい距離感で生きていくことも、多様性なんじゃないかと思います。もし傷つけてしまったら素直に謝り、『ごめんね』と言う。そんなシンプルなことを忘れない人でありたい。来年も力を貸してください」とボランティアや協賛してくれた企業、運営に関わった全ての人たちに感謝を述べていました。
拍手に包まれた会場は、祝祭感に包まれていました。住み慣れた場所だからこそ、周囲の重圧や偏見、しがらみを感じ、自分らしく生きられなかった。そんな場所を、少しずつ変えていった人たちのパワーとプライドが感じられました。
近くの屋内会場では「うぢらで虹かけっぺし会場」では、多様性について考える大学のサークルや同性婚を進める団体のブースが設けられていました。宮城県司法書士会のブースでは、「自認する性にあった改名ができないか」といった相談が寄せられたそうです。こうした当事者を支援するALLYたちも、当事者同様「私たちはここにいる」と声をあげていたのです。
東北の地から見えてきたいびつさ
筆者は閉鎖的な田舎がとても嫌で、大学進学と同時に東京に出て、その後の人生の大半を大都市で過ごしてきました。この数十年間で、欧米諸国はジェンダー平等にむけて大きく前進しました。一昨年から1年間あまり過ごしたロサンゼルスでは、報じる側も報じられる側にも女性の姿をあたり前に目にする日々。
ですが、東北に赴任して、日本の、特に地方の風景は、自分が故郷を出た四半世紀当時とさほど変わらないようにみえました。たとえば人口減少や少子化問題への対策を話し合う会議や、役所や企業の会合に取材にいくと、出席者の大半が中年以上の男性たちで占められています。首都圏でも意思決定権のある場にいるのは男だらけという風景は常ですが、それがさらに極端な地方の現状を目の当たりにして、改めてその「変わらなさ」に絶望すら感じました。
そんな私に活を入れてくれたのが、「変えるため」に行動をしている東北の人たちでした。岩手や宮城でのレインボーパレードに参加して、性的マイノリティーの権利向上を訴えたり、たとえ列に加われなくてもメッセージを寄せるなどして、社会をよくするために何かアクションをおこしたり……。「記者である前に、一人の市民として、自分は何かを地域を変える行動をやってきたのだろう」と自問させられたのです。
私の家族は今も故郷の街で暮らしています。「自分だけ運良く東京に進学でき、運よく就職できた。逃げ出せた」と心のどこかで、いつもうしろめたさを感じていた気がします。ですが、逃げ出したと思った先のメディア業界も、ジェンダー平等とは言い難い環境でした。
ちなみに全国メディアでは地方転勤が多いです。ですが、私の勤務先だけでなく同業他社を見渡すと、入社したての若い記者は別として、地方報道での中心的役割を担う中堅以上の記者のほとんどが男性です。それは、メディアがワーク・ライフ・バランスの観点が欠けた長時間労働になりがちであり、専業主婦が働く夫を支え子どもを育てるという家庭のあり方を前提とするなど、旧態依然の働き方を真剣に改善してこなかったことが原因です。結果として、地方発の報道にジェンダーバランスが欠けてしまう状況になっているのだと、私は肌で感じています。
そうした報じる側のジェンダーバランスのいびつさもあり、地方のジェンダー問題は東京よりもさらに光が当たらず、当事者の声はあまり届いてきませんでした。もちろん地方に拠点を持つメディアにも、特に若手の女性記者でジェンダー問題に真剣に取り組もうとしている人は増えてきていますが……。大げさかもしれませんが、私は地方に転勤になったことで、「自分がここにいてやるべきこと」を見つけた気がします。
今後の連載では、折をみて皆さんに「東北だからこそみえる日本の現在地」について、お伝えしていきたいと思っています。