Beyond Gender#11

韓国人俳優・ジン・デヨンさん。苦難を経て「ドライブマイカー」に出演 “お遍路さんのおかげ”

#MeToo後の米国社会の多様性やジェンダー平等について約1年、休職してロサンゼルスで研究していた朝日新聞の伊藤恵里奈記者が帰国、復職し、再開したBeyond Gender。今回は「ドライブ・マイ・カー」への出演で話題になった韓国人俳優の“これまで”と“これから”を取り上げます。
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読者のみなさんは、トップ写真のこの方に見覚えがありますか?
米アカデミー賞で国際長編映画を獲得した映画「ドライブ・マイ・カー」(濱口竜介監督)で、演劇祭の韓国人スタッフ・ユンス役だったジン・デヨンさん(41)です。映画とはだいぶ、雰囲気が異なりますよね。

「ドライブ・マイ・カー」は、村上春樹さんの短編小説を原作に、舞台俳優で演出家の家福(かふく)悠介が喪失を抱えつつ、愛車のドライバー・渡利みさきらと過ごす中で再生していく物語。作品では、デヨンさん演じるユンスは、西島秀俊さん演じる主人公をスタッフとして支えていました。

演出方法を巡って家福と一部の出演者が緊迫した状況になる中でも、冷静に全体を見渡して、トラブルに対処するユンスの様子が私は印象的でした。

「日本の食べ物は何でも好きです」と話すジン・デヨンさん

夢を追う姿に刺激を受け…

滑らかな日本語で「日本のドラマや映画をよく見ます」と話すデヨンさんは今年から東京を拠点に、俳優活動を始めました。「好きなドラマは、『1リットルの涙』(フジ系)『妻、小学生になる』(TBS系)『共演NG』(テレ東系)『コントが始まる』(日テレ系)、俳優では西島秀俊さん、岡田将生さん、長澤まさみさん、石田ゆり子さん、中井貴一さん、役所広司さん」と語り出したら止まりません。

出身の韓国・釜山は、BTSのジミンとジョングク、「トッケビ」のコン・ユ、ドラマ「二十五、二十一」のナム・ジュヒョクなど数多くの才能が輩出した、ソウルに次ぐ韓国第2の都市です。「そもそもは人を笑わせるのが楽しくて、幼い頃から俳優やコメディアンになるのが夢でした。そして、なにより有名になってお金を稼ぎたかった」とデヨンさん。
2007年に釜山を離れ、ソウルの料理店で調理の仕事をするようになりました。「母が釜山で食堂をやっていたので、私も料理が得意でした。でも俳優の知り合いができて、夢を語っている姿に刺激を受けた。江南の高層ビルディングを見ていたら俳優として成功したいという気持ちが復活しました」。

知り合いの紹介で、ソウルの劇団に所属。「彼女を信じないでください」「李舜臣」といった舞台やミュージカルなどに出演。しかし、夢を追う生活は楽ではなく、飲食店でバイトをして生計を立てていました。「イタリアンも、刺し身を除く和食も作れます」

料理が得意なジン・デヨンさん。日本の友人宅で韓国料理を披露した

独学で日本語を習得

デヨンさんの演技は、韓流演劇ファンの日本人女性らの目をひきました。彼女らは「いいお芝居は言葉を超えて伝わってくるものがある。何より俳優とファンとの距離が近いのもいい。直接声をかけたりハイタッチできたりする」といった理由で、ソウルに通っていたのです。デヨンさんは「共演していたイケメンの俳優に日本のファンがたくさんできた。そのおかげで私も一緒に応援していただけた」と謙遜しますが……。

韓国語はあまり分からないが、韓国の演劇は好きという日本人ファンらと交流を重ねるうちに、「日本語で話したい」と願うようになり、YouTubeなどをみて、独学で日本語を習得。「応援してくださる方々と電話で話したり、その方々を訪ねたりしているうちに、日本がもっと好きになりました」

四国八十八カ所霊場を巡って、俳優としての成功を祈願したデヨンさん=提供

四国八十八カ所を1カ月かけて!

俳優を志して10年経った18年には、四国八十八カ所霊場を巡りました。その頃は俳優として活動する時間より、バイトをする時間の方がずっと長かった時期。「将来について悩んでいました」。

そんな時に韓国人女性作家チェ・サンヒさんの『韓国女子 涙と絆の四国八十八ケ所参り』(邦題)というお遍路体験記を読んで、四国へ。「『海が美しい日だったから、その日のプラン変更して、海辺にテント張って寝て過ごした』とあり、憧れたのです」
18年4月から、八十八カ所を1カ月かけて回りました。出会った人に四国に来た理由を聞かれ、「俳優の仕事がうまくいかないから」と答えると、「頑張って。いつか日本のテレビに出てね」と励まされたり、優しい言葉を掛けられたりしたそう。「とても幸せな時間で、まだ夢をあきらめてはいけないと思った」とのこと。

20年にソウルに戻り、条件に「日本語が話せること」とあった、ある日本映画のオーディションを受けることに――。「応募した段階では、どんな映画で、誰が監督なのかも全く分からず、友達からは『詐欺だよ』と注意されたくらいでした」

「ドライブ・マイ・カー」に出演中のジン・デヨンさん。ひげをそって、髪形をオールバックにして役作りをした=提供

オーディションを受けた作品こそ…

その作品こそ、カンヌ国際映画祭をはじめ世界の映画祭で高く評価されることになる「ドライブ・マイ・カー」でした。
オンラインで行われた20年2月の1度目のオーディション。日本からは、濱口監督や共同脚本の大江崇允さんらが参加したそう。「できる演技を何でもいいから見せて」と言われ、かつて舞台で演じた場面を韓国語で再現。「日本語ができる理由や、得意なことについての話もしました」

約1週間後に呼ばれた2回目のオーディション。このときはオンラインではなく、監督らがソウルに来て行われました。事前に作品の脚本の一部を渡されていたデヨンさんは、自分なりに役について考えて、ひげをそってオールバックの髪形にして挑んだそう。
そこで演じたのは自身の家に、家福とみさき(三浦透子)を招待して、一緒に食事をする場面。役を分析して臨みましたが、「『何もする必要はない。ただ読んでください』と言われました」。感情を込めて読もうとすると、「たた読むだけで、お願いします」と監督らから念押しされたといいます。

これこそが実は「濱口メソッド」とも呼ばれる独自の演出方法――。リハーサルでは、俳優たちに感情を排してセリフを読むことを求めます。しかも、俳優は自身の分だけではなく、共演者全員のセリフも完璧に暗記できるくらい、繰り返します。感情を乗せて台詞を発するのは、撮影本番が初めて。
そうすることで、本物の感情が表れる、という考えに基づいています。

国際的に評価された「ハッピーアワー」(15年)や「寝ても覚めても」(18年)で既に、この演出方法を濱口監督は採っていました。
しかし、よく知らなかったデヨンさんにとっては驚き。「ロボットみたいに読めばいいのでしょうか、と質問したくらい。うまくできた手応えがまったく感じられませんでした」。しかし数日後、最終面接の連絡が来ます。
濱口監督らの狙いは、ユンスの妻・ユナを演じる俳優のパク・ユリムさんと最終面接で引き合わせて相性をみることでした。ユナは聴覚障害の設定のため、夫婦のコミュニケーションは韓国手話。20分の時間が与えられ、ユンスがユナに告白する場面を創作したそうです。「手話はよくわかりませんでしたが、気持ちを込めて創作しました」

米アカデミー賞授賞式でオスカー像を手にするジン・デヨンさん=提供、1枚目も

幅広く様々な役を演じられる

その2日後、採用の知らせがきました。「四国遍路のおかげだと思っています」

「ドライブ・マイ・カー」の撮影現場を「和やかな雰囲気だった」と振り返るデヨンさん。緊張していたときには、主演の西島さんが積極的に話しかけてくれたとか。「『サムギョプサルが好きです』とか、気軽な会話で私をリラックスさせてくれました。現場での立ち振る舞いも本当に格好良かった」。俳優役で出演した岡田将生さんは、「頼れる兄貴のような存在だった」。デヨンさんより実際は年下だが、頼りがいがあり、ノリの良さにも助けられたと話します。

この作品での活躍もあり、東京の芸能事務所の所属となったデヨンさん。10年以上応援するという大分県のファンの女性は「ユーモアがあり、とても優しい。コメディーからシリアスな役まで、幅広く演じられる俳優さんです」と魅力を語ります。
日本でも活躍する韓国出身の俳優には、映画「息もできない」や「あゝ、荒野」のヤン・イクチュンさんや、映画「新聞記者」のシム・ウンギョンさんなどがいます。日本の映画やドラマで、さらなる活躍を見られる日は近いのではないでしょうか。

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Beyond Genderは原則、月1回更新の予定です。

クリステン・スチュワートが命を吹き込んだ「ダイアナ」~映画「スペンサー ダイアナの決意」
朝日新聞記者。#MeToo運動の最中に、各国の映画祭を取材し、映画業界のジェンダー問題への関心を高める。