〔連載再開〕米国でのBTS人気が浮き彫りにした「男らしさ」の落とし穴
“何でも見てやろう精神”でBTSライブへ
「BTSのライブがロサンゼルスで開かれる」と知ったのは、2021年秋。地元テレビ局のニュースが伝えていました。コロナ禍で中断していた、韓国の7人組男性アイドルグループBTSのライブ活動再開の地として、ロサンゼルスが選ばれたのです。ベテランの白人女性キャスターが「(BTSメンバーの)ジミンに会えるかも」などとはしゃいでいたことが妙に記憶に残っています。
私はロサンゼルスでは“何でも見てやろう精神”で、様々なイベントなどに積極的に参加。BTSのライブも「地元で開催されるなら」という軽い気持ちで行ったのです。
それから1年弱、「私の人生は、BTSに出会う前と出会った後で分かれるといっても過言ではない」と明言できるまでに「沼」にはまりました。アイドルにハマったのは、人生で初めて。
結局、私は21年冬のロサンゼルスと22年4月のラスベガスでの計5回、ライブに参加しました。その際に「アーミー(ARMY)」と呼ばれるファンの言動やBTSをめぐる米メディアの報道を記者の視点で眺めてみたら、ジェンダーや多様性の観点から様々なことに気づきました。
少しBTSから離れ、ロサンゼルス滞在中の状況を振り返ります。
21年は、歌手のブリトニー・スピアーズの成年後見制度をめぐる審理が大きな注目を集めていた時期でした。シングル・アルバムを含めて全世界で1億万枚以上売り上げ、最も成功した歌手の一人であるブリトニーが、なぜ13年もの間、自由を奪われる成年後見制度下に置かれ監視されてきたのか。なぜ世の中は彼女の訴えを黙殺し、嘲笑してきたのか――。
調べてみると、メディアはブリトニーに「男性を誘惑し、もてあそぶ悪女」「育児不適格者」「だらしない母親」というレッテルを貼り、追い詰め続けてきたことが分かりました。ブリトニーは裁判で「誰も自分の言うことを信じてくれない」とも発言。
セックスシンボルとしてブリトニーを消費する一方で、「女性の、母親のあるべき姿」を押しつけて私生活を攻撃してきた過去の報道をみると、米メディアに巣食うジェンダー差別について考えざるを得ませんでした。
しかし、#MeToo後のメディアの自省と変化もあって、今回は報道と世論が追い風になり、ブリトニーは成年後見制度から解かれました。
「男らしさ」が引き起こすのは…
では、#MeTooは「男らしさ」にはどんな影響があったでしょうか。
昨春、ワシントン・ポスト紙のエマ・ブラウン記者が著書『To Raise a Boy』で、「男らしさ」の呪縛がいかに男性を苦しめ、ジェンダー差別をはびこらせる社会の温床にもなっているかを解き明かしました。日本語版は『男子という闇――少年をいかに性暴力から守るか』というタイトルで明石書店から出版されています。
「男らしさ」とは、タフで冷戦沈着、時には危険を顧みないで行動する情熱があり、他者を守れる肉体的な強さを持っていることなどを指します。例えるなら、西部劇でジョン・ウェインが演じた寡黙なヒーローのような男性でしょうか。一方で自分の内面に向き合い、周囲の気持ちを推し量ってケアし、つらさや悲しみを誰かと共有する行為は「女子っぽい」とされます。
『男子という闇』によると、実際にアメリカにいる思春期の少年の10人に8人が、情緒不安定、弱虫、ゲイなどの意味を込めて「女子みたいだ」と侮辱されていることを耳にした経験があるそう。「その結果、我々が女性的だと考えるものを軽蔑し続け、強固で古いステレオタイプから、男であることの意味について影響を受けている若い世代の男性が増えている」とのこと。
さらに少年から大人になる過程で、そういったステレオタイプが「友人、音楽、メディア、また教師、コーチ、保護者を含む、悪意なき大人たちによって強化されているのだ」として、男性を孤独に追いやったり、他者との適切な関係や精神的なつながりができないようにしたりしていると指摘しています。
タフだったり職務に熱心だったり、少々のことで動じない精神的な強さといった資質は、それ自体はポジティブなもの。しかし、その資質に、自分の感情にフタをする行為や他者への気遣いを否定的に見る価値観をひもづけて、「男らしい」というレッテルを貼ると、ジェンダーステレオタイプになってしまうのです。
これまで、男性が危険を顧みず挑戦したり、困難に立ち向かったり、野心をもって仕事に邁進したりすることは、あるべき男性の姿として称賛されてきました。映画「トップガン」(1986年)で、トム・クルーズが演じた情熱に燃える若き戦闘機パイロットのように。
ですが、女性が同じことをやろうとすると、かつては「そこまで頑張らなくてもいい」と抑制されたり、「危ない」と止められたり、「かわいげがない」などと非難の対象となったりしてきました。
それが、いまやタフさや精神的・肉体的な強さを備えた女性は、政治などの現実世界やエンターテインメントの世界でも増えています。映画「アベンジャーズ」シリーズや「ワイルド・スピード」シリーズなどでジェンダーステレオタイプを打ち破る女性たちが登場し、優しさと勇敢さを兼ね備えて活躍しています。今、世界中の中高年を感動の渦に巻き込んでいる「トップガン マーヴェリック」でも、若手女性パイロットが過酷な訓練を乗り越えて特殊ミッションに選抜され、見事な操縦をみせるシーンがありました。「トップガン」の1作目が公開された1986年当時ではありえないことでしょう。
幼い娘と息子がいる著者のブラウン記者も、昨今の女性像について、こう記しています。
「多くの人たちは、娘たちにステレオタイプ的な男子のように振る舞うこと、すなわち、仕事に野心的で、ビジネスや政治の場でリーダーとして活躍し、私が自分の娘に言ったように、強くて無敵であることを奨励してきた」と。
一方で男性は、いまだに「女性らしさ」に付随する「自分の気持ちに素直になる」「人の話を聞く」「気遣いをする」といった資質から距離を置いています。人間関係をうまく築き、自分の気持ちを安定させるのに不可欠な要素であるのにもかかわらず、です。
ブラウン記者も「しかし女性に関連される最高の資質を息子たちが受け入れるように導く、これに匹敵するような社会運動はこれまでになかった」と指摘します。
互いに気を配るBTSの“姿”
ここで本題のBTSに話を戻します。BTSは7人組男性アイドルグループです。
メンバー7人の振る舞いは、感情表現や気遣いなどを大切にしており、感情の抑制や孤独を強いる「男らしさ」とは対極にあるように見えるのです。
BTSは2018年、「自分自身を愛することから真の愛は生まれる」との信念に基づき、ユニセフと共同で「LOVE MYSELF」というキャンペーンを行いました。
2019年のワールドツアーのタイトルは、「SPEAK YOURSELF」。同年にはリーダーのRMが国連でスピーチし、「あなたの物語を聞かせてください。あなたが誰であっても、どこの出身やどんな肌の色、どんなジェンダーであっても、あなたの声を聞かせてください」と呼びかけました。
ネット上には7人の私生活や舞台裏を追った動画が山ほどあふれています。そこでは、笑ったり泣いたりという感情は否定されていません。互いに何を感じ、何に苦しんでいるのかに気を遣い、話をよく聞き、いたわり合っています。ファッションに関心があり、ピアスなどをつけ、スキンケアにも熱心です。そして日々、「ちゃんとご飯を食べている?」「十分に休めた?」と互いに気を配っているのです。
これらBTSの振る舞いは、「男らしさ」への称賛と重圧がある米国で、どう受け止められたのでしょう。
米国にいるBTSファン(アーミー)の声を知る際に、私が最も参考にしたのは、カンザス州の2人の女性、ベサニーとケイラが運営するポッドキャスト「Stanning BTS」です。2018年から始まり、これまでに200近いエピソードが配信されています。リスナーは、10代の学生から60代、70代のシニア世代まで幅広い。そこでの「なぜアーミーになったか」をテーマにした回で、寄せられた投稿内容を聞くと、自ずと米国社会が抱える問題が浮かび上がってきました。
「BTSを見ていると、いまのままの自分でいいのだと肯定された」「彼らがお互いをいたわりあい、大切にしている姿に心を打たれた」――。
工学系の大学院で学んでいた女性は「男性だらけの環境のなかで、『感情を見せることは弱みを見せること。低く評価されてしまう』と自分を律してきた。でもBTSを知って、ありのままでいいんだと学んだ」と投稿しました。中学校教員の63歳の女性は、34年間におよぶ結婚生活に終止符を打ったとき、BTSを知ったそうです。「自分より2回り年下の同僚にBTSの歌詞の意味を教えてもらった。彼らのパフォーマンスの完成度の高さはもとより、メッセージにひかれた。自分を愛し、自分の声を聞くこと、自分を許すこと。私が最も必要していることをBTSは教えてくれた」と振り返っています。
もちろん、全編英語の「ダイナマイト」が、ビルボードで全米1位となるなど、この数年で一気に知名度を上げたBTSに対して、からかいや中傷の声もありました。
「Girly(女の子っぽい)」「Unmanly(ひ弱な、男らしくない)」……。
しかし少なくても私は、「男らしさ」で抑圧された米国社会はBTSを必要としている、と感じました。
「個人活動を優先」に動揺は広がったが…
BTSが私の心をとらえたのは、ジミンの柔らかく包み込む歌声、J-HOPEの完成度の高いダンスと笑顔、ジョングクの力強く伸びやかな歌声といった彼らのパフォーマンスのすばらしさだけではありません。アジア人、ラテン系、アフリカ系、白人など実に様々な年代の人々や人種がスタジアムを埋め尽くすライブ会場の光景も忘れられません。
入場前の行列に並んでいたときには、「一人でテキサス州から来た」という60代の白人女性に話しかけられ、Vの写真が入った手作りのキーホルダーをもらったことがあります。偶然隣の席になったラテン系の女性は「夫と子ども、姪たちなど一家総出でファンになった。特にスピーチなどを聞いてRMのファンになりました」と笑顔で語り、その夫は「ジンの歌声がいいね。最初はメンバーの見分けがつかなかったけど、今では家族共通の話題ができてうれしい」と話していました。
私と一緒にBTSのライブに参加したインド出身の女性は、博士号取得を目指してロサンゼルスで猛勉強中。「早く結婚しろ」という本国の親からのプレッシャーを強く感じていると明かしたうえで、「周りがどうであれ淡々と自分を貫くSUGAの姿に励まされている」。
先日、BTSは個人活動を優先することを発表。そのニュースは世界を駆け巡り、不安や動揺も広がりましたが、杞憂に終わりました。グループとしての活動も継続しながら、各自がソロ活動をスタートし、新たな1面を見せてくれているからです。
8月5日は、世界的なアーティストのベニー・ブランコとスヌープ・ドッグ、そしてBTSのジン、ジミン、V、ジョングクによる初のコラボレーション曲「Bad Decisions」が配信されました。そのミュージックビデオでは、BTSファンを公言するアーティスト兼プロデューサーのベニー・ブランコが、ライブ開始13時間前にBTSグッズに囲まれた部屋で起床してから、メンバーの切り抜き写真などで自前のライブグッズを作り、身支度をして急いで会場に向かうまでをユーモラスに演じています。
「『○○らしさ』の弊害に気づいた」
私は新参アーミーではありますが、今春にイエール大学で多様性とジェンダーをテーマに講演した際に「BTSについて考えていると、私たちを縛っている『○○らしさ』の弊害に気づいた。BTSのおかげで人生がより楽しくなった!」などと、かなり熱く語ってしまいました。国内外のアーミーの友人たちとは、BTSをきっかけに、人生や人間関係についてさらに深い話ができるようにもなりました。
アーミーの間にこんな言葉があります。
「BTSに出会うのは、あなたが彼らを一番必要としている時」
まさにロサンゼルス滞在中の私が、BTSを必要としていたときでした。仕事優先の生活を20数年した後、知り合いがいないロサンゼルスで生活を始めて、自分の人生や人との関係を見つめ直す時間がたっぷりできたから。ロサンゼルスでの日々は楽しくはありましたが、孤独や不安も感じていて、BTSの言葉が心に響いたのです。
これからの「Beyond Gender」では、筆者の1年あまりの米国滞在で得た知見などをいかし、引き続きジェンダー平等や多様性について考えていきます。
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Beyond Genderは原則、月1回更新の予定です。