Beyond Gender#10

クリステン・スチュワートが命を吹き込んだ「ダイアナ」~映画「スペンサー ダイアナの決意」

#MeToo後の米国社会の多様性やジェンダー平等について約1年、休職してロサンゼルスで研究していた朝日新聞の伊藤恵里奈記者が帰国、復職し、再開したBeyond Gender。今回は伊藤記者がロサンゼルス滞在中に頻繁に見かけたクリステン・スチュワートが主演の映画「スペンサー ダイアナの決意」を取り上げます。
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先月8日にエリザベス女王が死去し、チャールズ皇太子が新国王になりました。女王死去から新国王の即位、国葬などの英国王室に関する報道の中で、チャールズ新国王とカミラ妃について見聞きするにつけ、ダイアナ元皇太子妃を思い出します。
1997年、交通事故で36歳で亡くなったダイアナをリアルタイムで記憶していない世代も、一連の報道で、ダイアナが英国王室や世界に与えた影響を知ったのではないでしょうか。

そんな中、日本では映画「スペンサー ダイアナの決意」が10月14日から公開されます。

観客の質問に気さくに答えるクリステン・スチュワート=2022年1月、米ロサンゼルス

主演は“ハリウッドの演技派”

主演は、生まれも育ちも米ロサンゼルスのクリステン・スチュワート(32)。映画「トワイライト」シリーズのベラ役で有名ですが、シリーズが終了した10年ほど前から、様々な役に挑戦し、現在では“ハリウッドの演技派”としての地位を固めています。

多くの先輩俳優からも一目置かれる存在になっています。
ニコール・キッドマンは1月に配信された米映画誌『バラエティー』のオンライン対談で、クリステン・スチュワートにこう語っています。「2010年の映画『パニック・ルーム』で母娘役で共演するはずでしたね(キッドマンはケガで降板し、ジョディ・フォスターが主演)。その当時から、あなたは『将来大物になる』と業界でうわさされていた。ずっとあなたが出る映画に注目してきました。大作映画から作家性を重んじた映画まで、いろいろな映画に出演している姿勢も素晴らしい」
そのスチュアートが、あのダイアナ元皇太子妃を演じます。

しかも、監督はチリ出身のパブロ・ラライン。ナタリー・ポートマン主演の「ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命」(16年)で有名ですが、私はベルリン国際映画祭で銀熊賞を獲得した「ザ・クラブ」(15年)が強烈に印象に残っています。過去に犯した許されざる罪のせいで、海辺のへき地に送られた聖職者たち。彼らの静かな共同生活が、新参者によって乱されていく過程を描いた作品は、激しい暴力シーンなどないのに、鳥肌が立つような薄暗くて不気味でした。残念ながら日本で劇場公開されていませんが…。
そのラライン監督とスチュワートが組むのですから、ダイアナの単なる伝記映画や、彼女の悲劇を強調するだけの映画にはなりません。果たして、どんな化学反応が起きているのでしょうか。

ラライン監督は「スペンサー ダイアナの決意」について、「王妃の座を捨ててでも、自分のアイデンティティーを確立しようと決意したプリンセスの物語です(中略)最終的に自分のためだけではなく、子どもたちのためにも自由を確保しようと決断する彼女の姿を描きたいと思いました。このプロセスは、ダイアナの生涯のほんの一部かもしれませんが、彼女の人生を大きく変えた時間だったと言えるでしょう」と語っています。
舞台は、1991年の冬。英国王室のメンバーとして過ごした最後のクリスマス前後の3日間が描かれています。ダイアナは当時、夫チャールズ皇太子とカミラの不倫関係に悩み、パパラッチに追われ、摂食障害を煩っていました。

「スペンサー ダイアナの決意」の一場面、Pablo Larrain撮影、©2021 KOMPLIZEN SPENCER GmbH & SPENCER PRODUCTIONS LIMITED 10月14日(金)、TOHO シネマズ 日比谷ほか全国ロードショー、配給:STAR CHANNEL MOVIES ※トップ写真も

ダイアナに関するあらゆる映像を見たスチュアート

この映画は、2021年夏にベネチア国際映画祭でお披露目された直後から大きな話題を呼び、ダイアナを演じたスチュアートは自身初となるアカデミー賞主演女優賞のノミネートへの期待が高まりました。
私が暮らしていたロサンゼルスでは、秋から冬にかけて各映画賞の投票権をもつ俳優などの映画人向けの業界イベントがたびたび開かれ、その年の賞レースで受賞が有力視されている映画に関わった俳優や監督などの映画人が世界中から集まり、作品をアピールします。
知り合いに誘われ、こうしたイベントに参加する機会を私も得たことで、ハリウッドスターの中でスチュワートを最も頻繁に見かけることになりました。クールなイメージが強いですが、地元の映画館のイベントでは、Tシャツにジーンズのロサンゼルスらしいラフな格好で登場し、笑顔で観客との質疑応答を楽しんでいました。その際のスチュワートの発言をかいつまんでお伝えします。

どのイベントでも聞かれる「なぜダイアナを演じたのか」、「どうやって英国のアクセントを習得し、ダイアナのしぐさを身につけたのか」という質問に対するスチュワートの答えはいつも同じ。
「特別なことはしていません。とにかくダイアナに関するあらゆる映像を集中的に見ました」

若くして即位した故エリザベス女王の苦悩や葛藤を描いたNetflixで話題の配信ドラマ「ザ・クラウン」も当然、見たそう。「最初の3シーズンを3日で一気にみました。ダイアナに関するリサーチの中では、とりかかりやすい部類でしたね(笑)。ドキュメンタリーも6、7本は見ました。とにかく多くの人がダイアナの人生を語りたがっているかが分かりました。あまりに多くの映像作品があるからこそ、自分の視点から彼女の内面を深く掘り下げて考えることができました」
ダイアナの話し方や視線、所作については、専属の発音指導コーチとの特訓の成果もあり、「完璧」と評されるほどマスター。単なる物まねではなく、スチュワートの演技は、内面からダイアナとシンクロする深い感情が引き出されていて繊細でした。

ハリウッドスターであるスチュワートとダイアナ妃との置かれた環境の共通点を「スポットライトを浴びる」という観点から聞かれることもありましたが、スチュワートの答えは「私とダイアナは似て非なるもの」。
「常に誰かに監視され、周りから勝手に評価される点では、ダイアナと私は似ているかもしれません。でも私はいつも利己的で、自分の欲望を探求しています。映画制作の現場であれ、プライベートであれ。世間は私には道徳的であることをそんなに期待しないでしょう(笑)」
「しかし、ダイアナに寄せられた期待は違います。22歳という若さで、英国王室のプリンセスになり、みんなの理想を体現するように求められた。おとぎ話のように美しいと思った世界で、裏切りや失望、孤独を味わった。本当につらかったと思います。私は何からも逃げていないけど、彼女は本当の自分を取り戻そうとして、豪華な鳥かごの中から逃げだそうと必死だった。だからダイアナと私では置かれた環境が全く異なるのです」

話を「スペンサー ダイアナの決意」に戻します。
クリスマス前後の3日間を描いたこの作品は、ゴシック調のホラーであり、スタンリー・キューブリックの名作「シャイニング」を思わせるような不気味な描写もある映画ですが、ホッとできるシーンも。
映画に登場する大人のなかでダイアナが唯一心を許していた、イギリスの名優サリー・ホーキンズが演じる衣装係のマギーとの友情もその一つ。
私が印象に残ったのは、ダイアナと幼い息子2人が寝室で語らうシーン。米メディアによると、この場面の多くが即興で演じられたそう。
その中で親子3人が、本当のことしか話せない「真実を答える」ゲームをする場面があります。弟のハリー王子が「王になりたいか」と尋ねると、「なるしかない」と言い切る聡明な兄のウィリアム王子。この場面は少し切なくなりました。そして続くのはウィリアムがダイアナに「女王になりたいか」と聞くシーンです。ダイアナは果たしてどう返答したのか――。ぜひ、映画館で確かめてください。

米ロサンゼルスの映画館で上映後、トークイベントに登壇したクリステン・スチュワート=2022年1月、米ロサンゼルス

その後の悲劇を知っていても…

ダイアナを演じきったスチュワートですが、彼女は昨年、長らく交際してきたパートナーである脚本家のディラン・マイヤーと婚約しました。左手薬指に婚約指輪が光っていたのを、私もこの目で確認しました。

あるイベントでスチュワートは、2月7日のアカデミー賞ノミネート発表の朝を振り返っていました。発表はロサンゼルス時間の朝5時台でしたが、スチュワートはわざと目覚ましをかけなかったそう。「私は映画に出ただけだよね、と彼女(マイヤー)に言ったんです」。そして起床は朝7時ごろ。主演女優賞に初めてノミネートされた彼女のスマートフォンには、たくさんの祝福メッセージが既に届いていたとのこと。スチュワートはその時、「彼女に向かって『やった!』と言っちゃいました。冷静を装っていたけど、興奮していたんですね。シュールな瞬間でした」。私生活をあまり語るタイプではなかったスチュワートが、さらりとパートナーの存在を紹介する光景が、ほほえましかったことを覚えています。

さて肝心のダイアナの行方ですが、彼女は1991年のクリスマスが終わった頃、つまり映画の終盤で、離婚を決意して……。
「撮影中、ダイアナがもう死んだことを忘れてしまう瞬間があったんです。でも彼女にその後何が起こったのか、彼女がこの世に残していった大切な人たちを思い出し、本当に何度も胸が張り裂けそうになりました」とスチュワート。この映画の中では、ダイアナは必死に生き、自らを縛る鎖から解き放たれました。
その後の悲劇を知っているのに、映画を見終った際に「ダイアナに幸あれ」と願わずいられなかったのは、スチュアートが役に命を吹き込んだからなのでしょう。

「スペンサー ダイアナの決意」は10月14日、TOHOシネマズ日比谷ほか全国で上映されます。

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Beyond Genderは原則、月1回更新の予定です。

〔連載再開〕米国でのBTS人気が浮き彫りにした「男らしさ」の落とし穴
朝日新聞記者。#MeToo運動の最中に、各国の映画祭を取材し、映画業界のジェンダー問題への関心を高める。
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