心に刺さり続ける母の呪文。燃え殻さんが小説に込めた「普通でない人」への思い

SNSから人気に火がつきベストセラー小説となった『ボクたちはみんな大人になれなかった』から4年、待望の小説第2弾『これはただの夏』(新潮社)が発売されました。本作では、小学生の明菜、知人の披露宴で出会った優香、仕事先の先輩で何となく気が合う大関、そして周囲とあわせることが苦手な主人公のボク、の4人の短い夏が描かれています。自身も「普通にして」という母親の呪文にとらわれてきた燃え殻さんに、小説に込めた“普通”になれない人への思いをうかがいました。
燃え殻さんが考える、別れとは?「本当に大切な人とは、心の共有量でつながっている」

言われた“痛い言葉”は覚えている

――新作『これはただの夏』と『ボクたちはみんな大人になれなかった』の主人公「ボク」。燃え殻さんを思い浮かべながら読みました。

燃え殻さん(以下、燃え殻): 内容は僕の物理的な経験というよりも主人公と性格はめちゃくちゃ似ていますね。あの性格と似ているというのは、まずいと思うのですが(笑)。

――どのあたりが似ていると感じますか?

燃え殻: 全くもって人の気持ちが分からないあたり、かな。

――作ってもらった料理にいきなりラー油をかけて怒られるシーンがあります。人の気持ちが分からなくてあのシーンが書けるのでしょうか?

燃え殻: そもそも、人の気持ちが分からないからラー油をかけるんだと思います。過去にそういうことがあったんでしょうね、きっと(笑)。「作ってもらった料理を食べる前にラー油をかけてはいけない」と教科書に書いておいた方がいいですね。

――女心を随所に散りばめる技にも心をつかまれました。

燃え殻: 実際は、女心が分からない人の技がすごかったんですけどね。

――普段から言われているから、思い出すことがあるのですか?

燃え殻: 「これは怒られるだろうな」という感じは分かるんです。でも結局は治らないですよね。

――言われたことをメモに取っているのですか?

燃え殻: 全く取らないです。ただ、言われた痛いことは覚えているのかもしれないですね。痛い痛い痛い……嫌すぎる、みたいな感じで。自分が好きだった人に言われて、いいことと悪いことだったら、断然悪いことを覚えています。いいことってあまり覚えていない。こういう状況が幸せだったなと絵では覚えているけれど、言われたことって強烈じゃないですか。

――確かに心に刺さりますね。

燃え殻: 刺さってもう取れないですよ、一生。嫌なトゲみたいな。「痛いけど取れねえ」って。

――それを取ろうとはしないんですか?

燃え殻: どうやら無理っぽいですね。

――男女差はわかりませんが、私は取ってしまうと思います。ずっと刺さっていたら嫌ですよね。

燃え殻: 女性は過去のトゲは取れるのかな。僕はそういうのだけは忘れられないんです。小説の中で子どもの頃の話がぽっと出てくるのも、全然過去になっていなくて、地続きなんですよ。ドアが開きっぱなしで。

――どちらにも行き来が自由にできるということですか?

燃え殻: 帰ってきているかどうか分からないです。行っているだけかもしれない。すぐに忘れられる方が生きやすくていいですよ。僕は生きづらくて生きづらくて、もうマジで最悪です。

 

世の中の真ん中じゃないところで生きているリアル

――どのぐらいのことまで覚えているのですか?

燃え殻: 香水とか香りがスイッチになることがあります。もっと言うと体臭も覚えていませんか?

――そうですね。その香りをかいだ瞬間にいろいろなことを思い出します。

燃え殻: 一度、電車の中でうわって思い出が蘇ったことがあって。体臭か香水かわからないのですが、それがおっさんだったんですよ。「おっさん、いい匂いすんじゃねえか」みたいな。
一瞬で昔付き合ってた女の子の匂いを思い出してしまって……。

――その見知らぬ男性から甘い香りがしたのですか?

燃え殻: 甘いっていうか、プールみたいな匂いがしましたね。昔、プールみたいな匂いがする女の子がいたんですよ。それもどうかと思いますけど(笑)。匂いの記憶っていうのはすごくデカいですね。

――音や音楽の記憶に触発されて過去の思い出に戻る印象を受けたのですが、どのようなこだわりがあるのですか?

燃え殻: 場面場面で、自分にとって「この曲がかかってほしいな」という曲がかからない感じがすごくリアルでいいなと思っていて。例えば昔、女性と別れる時に大相撲中継が流れていたことがあったんです。大相撲中継の音の中で別れ話するのは、すごく嫌ですよね。それは、中華料理屋を選んだ僕が悪い。ただ、「世の中の真ん中じゃないところで自分たちは生きてるんだね」と思いながら別れていく感じがすごくよくて、悲しい時に悲しい音楽は流れない、みたいな感じがすごくリアル。

――確かに、ドラマのようにはいかないですよね。

燃え殻: この間、新宿紀伊國屋ビルにあるカレー屋の「モンスナック」が閉店するから、最終日に行ってみたらすごく並んでいて。こんなに並んでるのに、カップルが「今度さー、温泉どこ行く?」みたいな話をしながらカレーを食べてるんですよ。モンスナックでする必要なくない?最終日に。並んでいるサラリーマンも2人を睨みつけていて。でも、その場違いな感じがリアルだなと。ちょっとしゃれたラウンジで温泉の話をするカップルよりも、ヴィレッジヴァンガードをぐるぐる回りながら「なんか温泉行きたいね」「でも金なくね?」「そうだね」と言ってる方が、僕にとってはすごいリアルなんです。そういう感じで音楽も小説で使っています。いいところにいい音が鳴るよりも、場面としてこの音楽でいいのかな?という音が鳴っているのが、リアルさを増すんじゃないかと思います。

 

「普通にして」という母親の呪文

――主人公のボクは、「普通とは」を考えて悩んでいます。「普通の人生を送る幸せ」の難しさは、性別も年齢も関係なく感じることだと思います。

燃え殻: 「普通にして」というのは、うちの母親から実際に言われつづけていました。もはや呪いの言葉に近くて……。昔、僕はラジオ番組にラジオネームをつけてハガキの投稿をするのが好きで、読まれた投稿の録音テープを母に聞かせると、「もういいから、普通にして」と言われました。
そういう目立ち方じゃなくて、校内のテストで1位になったとか、応援団を頑張ったとか、なぜそういうことができないのか、なぜラジオネームをつけるのかって。
そして、今もまた「燃え殻」とペンネームをつけていますが(笑)。本当に普通にできないんですよ。病気なんです。

――「普通」のレベルが高すぎて、「普通の呪い」から逃げたくなりますね。

燃え殻: そうなんです。レベルが高すぎて。普通に大学に行くとか、僕は何もできないわけです。就職もできない。結局よくわからないところで、アルバイトをしていました。普通にすると、どこかかゆくなってくるんです。だからといって、それができる人をうらやましいとも思わない。ただ、このままだと生きていけないなと思いながら、「どうやって折り合いをつけていこうか」と考えながら生きてきました。

多少はできたとしても、みんなもっとできるじゃないですか。ローンでマンション買ったとか。僕はローンとか組んだことないですよ。カードも持ったことない。カードの作り方が分からない。今は免許も持っていなくて、TSUTAYAで自分を証明するものがない。「免許がなければ、パスポート持ってきてください」と言われても、パスポートも持っていないんです。

――自分を証明するものがないと困りますね。

燃え殻: 自分で自分を証明できないなんて……。ペンネームをつけるし、もう自分が誰だか分からないまま生きてるようなもの。普通にすることが自分の中ではトラウマになっていて。

「友達だったあの子ね、消防士になったよ、地元で。夏に御神輿担いでたわ。その御神輿の上に乗ってたのが息子さんだったのよ。うわー、もうお母さんびっくり」とか言われるんですよ。「あなたに欠けているものを全部持ってた」と言われて、それが本当に嫌で。

――その言葉も刺さりますね。

燃え殻: それをずっと言われるわけです。さらにうちの父親は社会的に普通にちゃんとしている。二重苦です。じゃあ書こうということで、この小説を書きました。

――優香が「普通に最悪」というシーンも印象に残りました。とことん最悪感が伝わってきて。

燃え殻: 普通のことができない人たちが、あるひと夏、家族みたいなことをしたり、大人ぶってみたり、お母さんぶってみたり、ちょっと普通をやろうとして、でも結局できない。一度トライしてみたら、それでもうよくね?という感じは、自分も含めてあるのかもしれないですね。一度やったら、何もやらなかったのとは違うような気がするんです。

そして、やっぱり自分たちの居場所はここじゃなかったと、それぞれの巣に戻っていく。普通にしろという呪文への答えとして、自分の中にはあったのかもしれません。
普通に生きられなくても、不幸には直結していないから。多様性ほどでかい話ではなく、そのあたりのグラデーションの人たちも生きやすくなってほしいと思っています。

――多様な生き方や働き方と言われますが、それを押しつけられるのも、息苦しく感じてしまいます。

燃え殻: そうですね。1回フリーズしちゃう。ほとんどの人からすると「んー、なんだっけ」という話ですよね。みんなそれぞれ、少しずつデコとボコで違う。それはしょうがないよねという確認作業でいいんじゃないかなと感じます。デコを削るわけにもいかないし、ボコに何かで埋めるわけにもいかなくて。

 

■燃え殻(もえがら)さんのプロフィール
1973年生まれ。小説家、エッセイスト、テレビ美術制作会社企画。WEBで配信された初の小説は連載中から大きな話題となり、2017年刊行のデビュー作『ボクたちはみんな大人になれなかった』はベストセラーに。同作は2021年秋、Netflixで森山未來主演により映画化、全世界に配信予定。エッセイでも好評を博し、著書に『すべて忘れてしまうから』『夢に迷って、タクシーを呼んだ』『相談の森』がある。

『これはただの夏』

著者:燃え殻
発行:新潮社
価格:1,595円(税込)

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燃え殻さんが考える、別れとは?「本当に大切な人とは、心の共有量でつながっている」
年間70回以上コンサートに通うクラオタ。国内外のコレクションをチェックするのも好き。美容に命とお金をかけている。
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。 コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。