【新連載:皆川玲奈の人生S字クランク】限界を超えるまでアクセルを踏み込んだあの頃のこと
●皆川玲奈の人生S字クランク #01
はじめまして、皆川玲奈です。
みなさんはじめまして、TBSアナウンサーの皆川玲奈です。
この度telling,でコラムを連載させていただくことになりました。
これからよろしくお願いいたします!
私はSNSを一切やっていないので、自分のことをお話しする機会がほとんどありませんでした。どんなことを話したら、読者のみなさんに興味を持っていただけるかな、と連載のお話をいただいてから自分の人生を振り返ってみました。
簡単な自己紹介から。
29歳、東京生まれ、長女(8歳下の妹と11歳下の弟がいます)。体育会自動車部、車を見るのも運転するのも好き。ハード系の噛みごたえあるパンが大好き。あいみょんと小沢健二が好き。コーヒーと甘いものを食べるのが至福の時間です。
撮影現場の空気感が忘れられず、マスコミの世界へ
よく「学生時代からアナウンサーを目指していたのですか?」という質問をいただくことがあります。全くそんなことはなく、目指している職業は何もありませんでした。でも強いて言うならその道のプロになりたい、と思っていました。
12歳で芸能活動を始めるきっかけがあり、メディアの世界に入りました。これまで代表作と言えるものはありませんが、雑誌やテレビの現場でスタッフさんや出演者みんなでひとつの作品を作っていくチームプレーに、おもしろさを感じていました。
ドラマの撮影では、脚本が、本読みやリハーサルを経て、人の言葉になっていく過程や大勢のスタッフの中で緊張しながらリハーサルをし、本番にそれまでを超えるものができ上がったりと、あの空気感がたまらなく好きで、芸能事務所を退所後も漠然とそんな現場に携わりたいと思っていました。
それでも大学生の頃の私は、体育会自動車部に熱中していて、全国大会で1位をとるぞ!としか考えていなかったのです。地方のサーキット場で練習するにもお金が結構かかり、早朝からパン屋やカフェでアルバイトをしてから、練習着(ジャージ)のまま大学の授業へ。
授業後にガレージに行き、つなぎに着替えて車の整備をする。大学のある表参道の街をよくもジャージで歩けていたなぁと。今思うと恐ろしい……いや周りが見えないくらい夢中だったということにしましょう。そんなわけで自分の大学の文化祭すら行ったこともないですし、アナウンススクールにも通っていません。
父に尻を叩かれようやく火がついて、就職活動を始めた時に、マスコミの中でも採用試験の一番早かったアナウンス試験に「まずは」と思い応募しました。エントリーシートには「報道」や「バラエティ」などの志望を書く欄がありましたが、私は全てのジャンルを書きました。全てやってみたい気持ちがありましたし、自分に何が向いているかなんてやってみて続けてみないとわからないですよね。自分がやりたいことと自分に合うものは違うかもしれない。適正は誰かが見出してくれるかもしれないですし。
アクセルとブレーキを踏む覚悟
赤坂・日枝神社に毎日通い、絵馬に「合格しますように」と神頼みで入社したテレビ業界は、思い描いていた通り「みんなでひとつのものを作る」やりがいのある場。現在社会人7年目ですが、思えば今までの「こんなことが?」が社会人経験に活きていると感じることがあります。
自動車部はチームスポーツです。試合中、車の中には私一人、エンジン音以外に聞こえる音はありません。ヘルメットをしているので視界も狭くなります。一方で車が壊れないように安全に整備してくれる仲間がいるから、プレーヤーは走り出せます。応援してくれる人の思いを乗せて勝つために走るのは、とても胸にくるものがあります。
サーキットでは、「アクセルを床まで踏め」と言われていました。アクセルをベタ踏みすることで車が最高速度に達しますが、それはほんの数秒。その後に待っているのは、減速してコーナーを曲がるという道筋。いつブレーキをどのくらい踏んで、何速までギアを落とせばいいのか。車の性能を最大限生かしながら、より早くゴールを目指すのですが、唸るエンジン音やタイヤが滑る音、ギアチェンジに失敗した時のギャッという金属音、普段の運転では顔を出さない、車の本性と向き合うのですごく怖いです。
練習通りにいかないことはあるし、想像よりもうまく走れていたことはほぼありません。途中で横転するかもしれない、無茶をしたらガードレールに衝突するかもしれない、車の中でひとり考え、孤独な戦いでもありますが、自分がやってきたことを信じるしかない。どんな状況でも「よし、いくぞ!」と自分を奮い立たせる心構えは、生放送や取材の時にも生きています。
例えば、取材相手に問題の追及をしなければいけない時、遺族にお話を聞く時、ごく短い時間で芸能人からエピソードを引き出したい時、どこから切り出したらいいのか、どんな話の展開になるか分かりませんが、相手の声に耳を傾けて瞬時に判断してく。私も毎回悩みながらですが、ひとつひとつ壁にぶつかり乗り越える度に、自動車部での活動は無駄じゃなかったんだと思わせてくれる。自分で自分を認めることができる、大切なバックグラウンドです。
私は車で例えるなら、ひとつの部品
アナウンサーというと、みなさんはどんな印象をお持ちでしょうか。私は「番組の中のひとつのピース」だと思っています。視聴率が0.1%でも上がるとうれしいですし、いいVTRができると私自身が出ていなくても達成感があります。番組の名前でSNS検索をして、「このコーナーがおもしろかった」なんて書かれていれば、スクリーンショットを撮ってスタッフと共有してしまいます。
アナウンサーは1人では何もできないんです。「こんなネタやりませんか?」と提案もしますが、自分の好き嫌いよりも誰に届けたいか、見てもらいたい理由は何か、アナウンサーとしてはどんな言葉で伝えるかをすごく考えます。
精度を高いものを出すために皆で議論していくのが、今はすごく楽しいです。気がつけば後輩も増えてきて、本当はもっと「余裕のある先輩」でいたいなぁとも思うのですが、なかなかそうもいかず、生放送が始まる数十秒まで、いや放送中もドタバタと駆け回っています笑 一緒に仕事をしてきた多くの先輩の背中を見習って、後輩たちがのびのびと仕事ができるよう、立ち振る舞いたいです。
以前、ラジオでピンチヒッターをすることになり、たった1回だけの担当なのに、私に引き継ぎのため、と長峰由紀アナウンサーから手紙をいただきました。あの時は先輩の偉大さが心に染み、手紙を読む手が震えました。
引き継ぎというと事務的なことが主だと思うのですが、ほぼラジオの生放送をやったことがない私にもわかるように、担当するにあたっての心構えが温かい言葉で細かく書かれていました。
今の私は新人の頃の気持ちもまだ記憶に残っていて、少しは経験を積んで周りが見えるようになってきた立場にあります。「皆川がいてくれてよかった」と思ってもらえるような仕事がしたい、それがもっぱらの課題です。
そして、簡単な言葉で伝えるな、これも長峰さんから教わったもので大切にしています。
telling,世代のみなさんはどうでしょうか?
最初から随分と真面目な話になってしまいましたが、みなさんに少しでも共感していただける話ができたらと思っております。ぜひみなさんのコメントも読みたいので、記事の下にあるコメント欄に書いていただけるとうれしいです。
人生悩みごとは尽きないですが、これからも皆川玲奈の「人生S字クランク」にお付き合いくださいませ。
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