翻訳家・古屋美登里さん「翻訳家なのに英語は専門外。それが私の武器になりました」(後編)
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周囲の声で気がついた「自分の資質」
――古屋さんはもともと英語ではなく「日本語」を専門的に学ばれていたそうですね。どうして翻訳家になられたのですか。
古屋美登里さん(以下、古屋): 大学では教育学部に入り、日本語と国文学を専攻しました。本が好きで毎日読みふけっていましたが、それもあくまで日本語。英語の成績はというと「落ちこぼれ」でした。まさか私が翻訳家になるなんて、その頃は誰も思わなかったでしょう。
卒業後は『早稲田文学』という文芸誌の編集者をやっていました。そこにはいろんな人が出入りしていて、「書評を書いてくれ」とか「この本の概要をまとめて」とか、ちょっとした仕事を頼まれることも。
20代半ばのある時、「英語を翻訳した文章をきれいな日本語に直してほしい」という依頼を受けました。いざ読んでみると、どうにも整合性のとれない部分が出てくる。おかしいなと思って原文と照らし合わせてみたら、明らかに翻訳が間違っていました。じゃあここは訳し直さないと、って。
そんなことをしていたら「なんだ、英語読めるんじゃないの」と、実力以上の評価を受けてしまったんです。次に渡されたのは、ロマンス小説の翻訳をするという仕事でした。
――それでいきなり、本の翻訳ができるものですか。
古屋: できないですよ(笑)。もちろん最初はきっぱりお断りしたのですが、相手もなかなか引き下がらず「きっと読めるよ、大丈夫!」と。きっと訳者が足りていなかったのかもしれませんね。それでふと、「とにかくやってみよう」という気になったんです。
それからは、がむしゃらに勉強しました。英語の辞書や文法書をたくさん買い揃えて、基本的にはすべて独学です。世に出ている翻訳書の日本語を原文と見比べて「なるほど、actuallyはこうやって訳すのか」といった具合にひとつずつ学んでいきました。『英和翻訳表現辞典』(研究社)に出会えたことも大きかったですね。
苦労しながらどうにか、ロマンス小説のシリーズを4〜5冊くらい翻訳したところで、それがとある編集者の目にとまりました。「今度出版する本は、日本語のうまい人でないと訳しきれない。やってくれないか」と言われた時は「えーっ、なんで私に!?」と思いましたね。
その本が『日曜日のコンピュータ読本』(ダイヤモンド社)です。この本が売れました。当時はコンピュータのことなんて誰も知らなくて、触ったこともなかったんです。
――初めての大仕事が成功したのですね。
古屋: 編集者が「見事な翻訳だ」と絶賛してくださいました。こんなに褒められたのは人生で初めてっていうくらい(笑)。
きっと国文学出身で、日本語を専門にした翻訳家というのが珍しかったのでしょうね。翻訳って基礎的な英語力はもちろんですが、「日本語力」のほうもとても重要であることがわかりました。その後も頼まれるままに引き受けて夢中で訳して、気がついたら翻訳家としての人生が始まっていました。
伝えたい「言葉」を見つけるための専門知識
――専門的な内容の本を翻訳する際は、語学だけでなく、その分野についても勉強するのですか。
古屋: 前提として、業界ごとにある専門用語や独特の言い回しを自然に使ってはじめて、文章に「リアリティ」が生まれます。たまたま詳しい人に教えてもらえたとしても、自分に知識がなければ、それが本当にしっくりくる言葉かどうか判断できない。だからコンピュータの本に取り組んでいた時期は、近くに詳しい人がいたこともあり、コンピュータのことをかなり勉強しました。
ほかにも、たとえば「医学書」の時は、医療関連の文献を読んで知識を詰め込みましたし(『予期せぬ瞬間』みすず書房)、「イラク戦争」を経験した兵士の本の依頼が来たら、戦争の動画をひたすら見たり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)について調べました(『帰還兵はなぜ自殺するのか』亜紀書房)。「ロックフェラー失踪事件」の本を訳していた時は、ニューギニアの地図を見ただけで、どの川にワニが生息していそうかがわかるようになりました(『人喰い ロックフェラー失踪事件』亜紀書房)。
――古屋さんのように、特定のジャンルにこだわらず次々と新しい本を手がけるのは、大変なことだと思います。
古屋:大変ですが、翻訳家として、どんな作品でも訳すというのが私のスタンスです。もう、雑学ですよね。もともとが雑な性格だからできています(笑)。
なかにはおもしろい本もありました。『モテる女になるためのラブ・ルール』(ソニー・マガジンズ)という本では、いろいろな「ラブグッズ」を紹介するのですが、私には使い方がさっぱりわからない。そこで若い編集者に「これ通販で買ってみない?」とすすめたりして……。いろんなことに詳しくなって、でも翻訳が終わったらすべて忘れての繰り返しです。
作品への理解を底上げする「チューニング」のスキル
――その一方で、同じ著者の文学作品を訳し続けられています。イギリス出身の作家、エドワード・ケアリーの翻訳作品については、読者から「古屋さん以外の訳者は考えられない」「奇跡の組み合わせ」など絶大な支持を得ています。
古屋: ケアリーを発見できたのは、本当に奇跡だったと思います。今から20年ほど前、彼のデビュー作を初めて読んだ時に「この人は天才!」と直感しました。世界観からストーリーの組み立て、言葉の選び方まで、何もかもすばらしかった。それなのに当時、母国イギリスでの受賞歴はひとつもなく、書評すら書かれていない。つまり誰にも注目されていなかったんです。
私はエージェントを介してケアリー本人にメールしました。「日本で翻訳をしていますが、このような想像力を刺激する文章には出会ったことがありません」と、必死で伝えて、作品の中で1番気に入った印象的な場面について書きました(『望楼館追想』)。
間もなくケアリーから返事が来て、「ミドリが挙げてくれた場面は、ぼくが最初に思いついて書き始めたところです」と。とても分厚い本の、真ん中くらいにあるエピソードですよ。これは運命の出会いに違いないと思いました。それ以来、ケアリー作品の翻訳を続けています。私は彼の文章がとにかく大好きで、読んでいると次にどんな文章が来るか、なんとなくわかってしまうんです。
――文章を通して、著者と「つながる感覚」があるということですか。
古屋: 私はこれを「チューニング」と呼んでいます。自分を本の世界に同調させるイメージ。フィクションでもノンフィクションでも、翻訳するうえではこれが不可欠です。ケアリーの場合は一瞬にしてピタッと合わせることができました。
「言葉への情熱を次の世代へ」
――今年2020年の秋からは、新たに「翻訳塾」を始められると聞きました。
古屋: 翻訳家を志す人たちに向けての実践講座です。私にとって初めての挑戦で、まずは半年間の講座からスタートして、5年後には受講者の方が1冊の本を訳せるようになるのが目標です。
「講座をやってほしい」と以前から言われていたのですが、私自身、誰かに翻訳を教わった経験がなく、なかなか気持ちが向きませんでした。それが最近、母の介護が終わったこともひとつのきっかけで「私もいつ何があるかわからない。今のうちに伝えられることは伝えておこう」と考えるようになりました。
――講座ではどんなことを教えるのですか。
古屋: 「翻訳の秘訣」なんていうのはそもそも存在しません。「言語センス」だって、少しのことでは変わらない。でも「技術」なら伝えられる可能性があります。
たとえばsurprisedという単語について。受験英語だと「びっくりした、おどろいた」とイコールで覚えますが、本来は文脈によって何十通りものとらえ方ができます。たとえば「子どもが何かを踏んだとき」のsurprisedと、「親しい友人が秘密を打ち明けてきた」ときのsurprisedはまったくの別物。それをどうやって日本語に反映していくのか。言葉の選び方ひとつで、受ける印象は軽くも重たくもなります。短篇を訳しながらそういうことをいっしょに考えていけたらと思っています。
――お話を聞いていると、古屋さんが圧倒的な「言葉への情熱」を持って仕事に臨まれているのが伝わってきます。
古屋: 1冊の本を訳すには、とんでもないエネルギーと体力が必要です。私の場合、原稿が上がって印刷所で仮刷りをする段階になっても、できたものを原文と突き合わせて注意深く読み返します。最後のぎりぎりの瞬間に「やっぱりこの言葉を使おう」というのが見つかったりするんです。
そこまでやるからこそ、翻訳した本が「うちの子」になってくれます。大事な子たちを、自信を持って送り出すのが翻訳家としての務めです。
●古屋美登里(ふるや みどり)さんのプロフィール
翻訳家。1956年、神奈川県生まれ。早稲田大学教育学部を卒業後、文芸誌『早稲田文学』の編集に従事。独学にて翻訳を学び、実用書や専門書、文学作品など幅広いジャンルの翻訳を手がける。主な訳書にエドワード・ケアリー『おちび』(東京創元社)、イーディス・パールマン『蜜のように甘く』(亜紀書房)、デイヴィッド・マイケリス『スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝』(亜紀書房)など多数。
『その名を暴け―#MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い―』
著者:ジョディ・カンター、ミーガン・トゥーイー
翻訳:古屋美登里 価格:2,365円(税込)
発行:新潮社