レズ風俗店オーナー橘みつさん「高学歴なのに、双極性障害で会社をクビになった私が、落ちこぼれた自分を認めてあげられるようになるまで」(前編)

一流大学を卒業し、エリートとして新卒入社を果たしたにもかかわらず、双極性障害を理由に3カ月でクビになってしまった、橘みつさん(27)。銀座でホステスとして働いたのちに「女性向け風俗」の世界へ。現在は対話型レズ風俗店『Relive(リリーヴ)』を経営しています。今もオーナー兼キャストとして働く橘さんが、2020年5月に自身の半生を綴った『レズ風俗で働く私が他人の人生に本気でぶつかってきた話』(河出書房新社)を上梓しました。 前半ではレズ風俗を通して他人の人生に本気でぶつかっている橘さんの半生を振り返ります。

「自己開示」が苦手だった私が「自己受容」できるようになるまで

――橘さんはレズ風俗*の経営という仕事にたどり着くまでに、どんな人生を歩まれてきたのでしょうか。

橘みつさん(以下、橘): 書籍でも書いているのですが、紆余曲折の人生でした。人生で初めての大きな挫折が、新卒採用で入社した会社を、たった3ヶ月で解雇されてしまったこと。仕事中には気絶するような眠気に襲われて、終業後はハイテンションに夜遊び……結局病院では、双極性障害の診断を受けました。決まった道を外れることは、自分でも全く受け入れられなかったですね。

*女性客のもとに女性キャストが派遣され、性サービスを提供する業態の俗称。女性同士であることから、本来は性指向を表すレズ(ビアン)の語が便宜的に使われ、普及している

――仕事環境で身体や心を壊してしまう人も、たくさんいます。振り返ってみて、橘さんの体調不良の要因とはなんだったのでしょうか。

橘: 単純に、自分に合う働き方を勘違いしていたというか……自分と向き合わずに就職したことが大きな原因です。

就職活動の時、自分の進む道を自分で選んで決めているようで、そうではなかったのだと気づきました。就活って、自分の興味のあるものから探すんだよと言われて始めるけれど……私が選んだ道は、ある程度みんなの中で“無難”なルート。会社員以外の道を選ぼうとは思えなかったし、もともとの視野が狭すぎて、本当に自分に合うものを選べませんでした。

学生時代から、人に何かを相談するのが苦手だったんです。両親の仲があまりよくなくて、子どもの頃から苛烈な言い争いもずっと見てきました。私に対しても放任だったので、進路や就職は、事後報告をするだけ。自分で決めて進んでいくことが当たり前だという思い込みも強かったのかもしれません。

――自分のことを話すのが苦手な原因は分かっているのでしょうか?

橘: なんとなく感じていた「生きにくさ」を掘り下げるのが怖かったし、自分のダメな部分を認めたくなかったんです。新卒入社した会社を退職して、本格的に体調を崩した時に、臨床心理のカウンセリングに通いはじめました。そこで初めて、自分の認めたくなかったことをカウンセラーと一緒に向き合ってみて、初めて自分のことを受け入れることができるようになりました。

ずっと、自分がなぜ人に相談できないのか、自分の話ができないのか分かりませんでした。でも、カウンセリングでは、泣いても取り乱しても、私の言葉をじっと待ってくれて、一緒に向き合ってくれました。今では少しずつ、自分も受け入れられるようになったし、人にも話せるようになってきました。

 

自分を認めてあげることで、天職を見つけられた

――自分でも気づかないさまざまなミスマッチに、身体が悲鳴を上げてしまったんですね……。退職後は、水商売の道に進まれたそうですね。

橘: その頃は一人暮らしをしていたこともあって、まずは稼がないことには生きていけません。それでも身体が動かせない、まともに働けないことに、一度は絶望しました。結局ホステスとして働くことになった時は、いい大学を出たのに、“落ちこぼれてしまった”ように思ったこともありました。業務自体というより、そういった働き方に対して内心では偏見を持っていた自分に気づき、二重にがっかりしたというか……。順当にキャリア形成していくことが当たり前だと思っていたので、来月の収入も定かでない職に就くということに抵抗がありました。

でも、もうこれしかできないと思い、自分に合うお店を懸命に探しました。今度はミスマッチのないように、と。

――水商売は一生稼げる仕事ではないので、将来が不安な女性も多いと思います。でも、一度は男性客を接客するお仕事をされていたんですね。

橘: 接客は好きでしたが、男性客を相手に仕事をすることは、あまり向いていなかったと思っています。というのも、ホステスという肩書で、お客さんとフラットで良好な関係を作ることが難しかったのです。ドレスにハイヒールの姿で話している場では、お互いの性別や役割に強烈な「らしさ」を求められがちで…心の通った関係性を作ることができませんでした。

――それが理由でホステスを辞めて、女性向け風俗店で働いたのですか?

橘: 男性が苦手だったからというよりも、女性との方が素直に話せるからという理由が大きかったです。仕事で成功して、夜の街で遊んでいる男性たちは、私の目には”男社会で虚勢を張らなくてはいけない人たち”に見えました。建前で話すので、その人が頑張っているところしか見せてくれない。その上、私も自分のことを話すのが苦手。お互いに本音を話せないから、仲良くなりようがなかったんです。
女性に接してみると、自分の悩みなどの繊細な部分を、誰かに話したいと思っている人が多いように感じて。けれどどこで誰に相談していいかわからない、という人がいると思いました。かつての私がそうだったように。

――キャストとして女性向け風俗店で働くことになった時も、ホステスを始める時のような複雑さはありましたか?

橘: それはありませんでしたね。キャリアはもう自分でも受け入れられていたので。

そもそも高校時代に女性とお付き合いもしたことがあったし、大学時代よく遊んでいた夜の街には、風俗業の知り合いも多くいました。いろいろ身近だったこともあり、風俗業そのものへの偏見はなかったです。

それに、永田カビさんの『さみしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』を読んだことも大きかったです。あの本がなかったら、自分のやりたかったコミュニケーションが、レズ風俗という業態でできるということに気づかなかったかもしれません。

学生時代はジェンダー学を専攻していたこともあって、女性が性について話す場が少ない、当たり前に話せる場が必要だとも感じていました。だからもう「これしかないな」と思って自信を持ってレズ風俗で働き始めたんです。

>>後半では、実際に橘さんがレズ風俗で働き始めてから感じた、風俗という業界のこと、そこに来る女性たちのことをうかがいます。

 

●橘みつさんのプロフィール
1993年生。対話型レズ風俗「Relieve」オーナー兼キャスト。新卒で就職するも3ヶ月で職を失う。銀座のクラブ、百貨店販売員など転々とした後、レズ風俗店で働き始める。18年2月独立し現店舗を開業。

1992年生まれ・フリーライター。広告業界で絵に書いたような体育会系営業を経験後、2017年からライター・編集として独立。週刊誌やWEBメディアに恋愛考察記事を寄稿。Twitterでは恋愛相談にも回答しています。
熊本県出身。カメラマン土井武のアシスタントを経て2008年フリーランスに。 カタログ、雑誌、webなど様々な媒体で活動中。二児の母でお酒が大好き。