自分を変える、旅をしよう。

海外は怖いと思っていた。旅にハマったきっかけは、猿岩石が作った道を歩くために訪ねた卒業旅行のカンボジア

旅によって人生が変わった人や、旅を通した生き方をリーマントラベラーの東松寛文さんが紹介する「自分を変える、旅をしよう。」。13回目に登場するのは、IT企業に勤務する30代女性。旅に出る前は、海外が怖くて行きたいと思わなかったそう。旅にハマったカンボジアから魅せられ続けているものとは?
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●自分を変える、旅をしよう。#13 ゆっきぃ(30代)前編

リーマントラベラーの東松寛文です!今回お話をうかがうのは、卒業旅行でカンボジアに行き、アンコールワットを見た瞬間から東南アジアにハマり、旅を続けているゆっきぃさん。インスタグラムにアップしている旅先の写真も美しくて印象的です。ゆっきぃさんは今までどんな旅をしてきたのでしょうか?

リーマントラベラー東松(以下、――):ゆっきぃさんは過去にHIS運営の女子旅コミュニティ「タビジョ」のオフィシャルトラベラーを務めていたり、さまざまな媒体でご自身の旅を発信していますね。ゆっきぃさんが最初に旅をしたのはどこでしたか?

ゆっきぃ: 初めての海外旅行は12歳の時。複数家族のグループで行ったグアムです。グアムを選んだ理由は、親が子どもでも行ける海外という観点で決定したようです。その時は、英語にチャレンジしようとしましたが、思いのほか、グアムは日本語が通じることが分かり、日本語で会話をしていました。親や友人家族もいっしょだったので、安心感があり国内旅行の延長くらいの感覚でしたね。

――確かにグアムは日本から近くて、日本語が通じて、それだけで安心感もありますね。旅にハマる前は、どんな考え方をしていたのですか?

ゆっきぃさん(以下、ゆっきぃ): 旅にハマったのは、大学生の時に行ったカンボジア・ベトナムの卒業旅行。それまでは正直、海外は怖くてあまり行きたいとは思っていなかったですし、ほぼ興味がありませんでした。ハマる前は、友人と遊ぶ時間が1番大切で、バイトで稼いだお金は、生活費だったり、洋服を買ったり、友人との時間に費やしていました。旅行は行っても国内。ただ、写真を撮ることは好きで、出かける際はデジカメを持ち歩いていました。

――ゆっきぃさんのインスタの写真がきれいなのは、そういう理由があったんですね。その頃に感じていた悩みや気にしていたことは?

ゆっきぃ: 周りには世界一周に行く友人もいましたが、それに対して私は客観視しかできませんでした。海外が怖かったので、「1人で世界一周するなんてすごいなぁ……私にはできない」と思っていました。一方で、私にはない勇気をもっている友人をうらやましく感じていたのも事実です。語学に関しては、英語に力をいれている高校に行った影響で逆に嫌いになってしまい、大学で中国語専修を選ぶぐらい(笑)。英語を話したいと思うのに、嫌気がさしてしまい、勉強することからひたすら逃げていました。

アンコールワットへの道

――旅にハマったきっかけにもなった「カンボジア・ベトナム旅」ですが、印象的なエピソードはありますか?

ゆっきぃ: カンボジアを選んだきっかけは、小さい頃「電波少年」で、猿岩石さんが「アンコールワットへの道」という道路を舗装しながら、アンコールワットへ辿り着く企画を見たことです。「いつか猿岩石さんが作った道を通ってアンコールワットに行きたい!」という気持ちがあって、友人も賛同してくれ、行くことになりました。
せっかくなので2カ国周りたいと思い、ベトナムとセットになっていたツアーで行きました。

――猿岩石!おもしろいきっかけだったんですね。その道は歩けましたか?

ゆっきぃ: 結局アンコールワットへは馬車で行きました(笑)。でも、角を曲がって眼前に広がったアンコールワットを見た時、心が震え感動したのを今でも覚えています。
ガイドさんの話を聞きながらアンコールワットの中を巡る時、歴史や遺跡はどのようにして作られたのか教えてくれたのですが、感動が止まらずほかの遺跡も行ってみたいと思いました。でも、この灼熱の東南アジアで遺跡をめぐるには体力が必要だと気づき、若いうちにまずはアジアの遺跡を中心に旅をしたい!!と強く思ったんです。

――本当に東南アジアは暑いですからね。その後、いろいろな国を旅したと思いますが、今までに一番印象に残っている旅先はどこでしたか?

ゆっきぃ: ミャンマーです。卒業旅行のカンボジア・ベトナム旅の帰りに、ベトナムの空港で飛行機を待っている時、そこに貼ってあったポスターを見て、瞬間的に「私、ここに行かなきゃ」という不思議な感覚に襲われました。これどこだろうとポスターをよく見てみると、ミャンマーのヤンゴン市街にある「シュエダゴン・パゴダ」でした。

――不思議な出会い!行ってみてどうでしたか?

ゆっきぃ: それから6年が経ち、転職を決めて有休消化でようやく長期間休暇が取れることになったので、ミャンマー旅を決意。一緒に行ってくれる人もいなかったので1人で行くことになりました。1人旅はまだ2回目だったので、旅行代理店を使って、現地のガイドとドライバー、宿と飛行機など全て手配してもらい行くことにしました。
渡航する6月はミャンマー最大の雨季。しかも私は雨女で、下手すると旅程の大半が雨の可能性もありました。ところが、実際に行ってみると奇跡の連続!行きの飛行機で母国出張のミャンマー人の方と出会い、日本語でいろいろ教えてもらい、現地の空き時間でヤンゴンを案内してもらったり、ご飯をごちそうになったり……。
1番驚いたのは、雨。ドライバーさんや現地の人の話で分かったのですが、私が到着する前や私が移動した後には雨が降っているのに、私がいるエリアはずっと晴れていたのです。

導かれるように旅することになった「シュエダゴン・パゴダ」

――おお、すごいですね。実は晴れ女なんじゃないですか?

ゆっきぃ: なかでも落ちそうで落ちない「ゴールデンロック」で有名なチャイティーヨーの当時の乗り合いトラックは、雨が降ったり、人が集まらないと出発せず、屋根もなく危ないため、観光客は最後まで乗せてもらいえないのですが、晴れたおかげですぐに出発。しかも、23日間ずっと雨だったのに、この日はようやく晴れた日だったそうです。
翌朝もホテルを出るまで雨だったのに、外に出たらいっきに霧も晴れ、ゴールデンロックにつく頃には晴れ渡る奇跡。その後訪れたバガンやインレー湖でもほぼ雨に降られることもなく、旅行中の9日間で雨が降ったのは20分程度。それも休憩している時だったので、雨に濡れることはありませんでした。
ガイドさんからも「ミラクルラッキーガールだ!」と呼ばれてしまったほど。それ以来不思議なことに晴れ女になりました!
その4年後、縁あって2回もミャンマーを訪れる機会がありました。計3回もこの地を訪ねましたが、結局、私が呼ばれている答えは見つかっていないので、きっとこれからもまた答えを探すためにミャンマーに行くような気がしています。

  • 後編もお楽しみに!

「私は世界で生きている78億分の1」新型コロナウイルスで世界一周の旅に出発できなかったけれど、前向きでいられる理由とは? コロナ禍にインスタで出会った旅好き仲間。収束したら、みんなとヨルダンに行きたい。
平日は激務の広告代理店で働く傍ら、週末で世界中を旅する「リーマントラベラー」。2016年、毎週末海外へ行き3か月で5大陸18か国を制覇し「働きながら世界一周」を達成。地球の歩き方から旅のプロに選ばれる。以降、TVや新聞、雑誌等のメディアにも多数出演。著書『サラリーマン2.0 週末だけで世界一周』(河出書房新社)、『休み方改革』(徳間書店)。YouTube公式チャンネルも大好評更新中。
リーマントラベラー

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