ジェーン・スーさん「社会を変えるには、私みたいなのがしぶとく生き残ることが大事」(後編)

2月に発売された『揉まれて、ゆるんで、癒されて』(朝日文庫)の著者でコラムニストのジェーン・スーさんへのインタビューも、今回で最終回です。世の中にはまだまだ「女性だから」という理由で理不尽なことや、やるせない出来事に直面することもあります。ジェーン・スーさんはそんな時、どうしているのでしょうか。

理不尽なふるまいには、不快感をきちんと示す

――先日、Twitter上でスーさんがファンの方とコスメの話題で盛り上がっていたら、男性ファンが拗ねてリムーブ(フォロー解除)するという状況を見かけました。正直、「スーさんのファンで“すら”、まだこんなことに直面しなくちゃいけないの!?」とショックでした。

ジェーン・スー(以下、スー): あはは、「女同士で盛り上がってろよ、フォローをやめます」というのと、「(コスメの話をするのは)性差別ではないんですか?」というリプがきましたね。テレビに出れば「テレビに出るなら化粧をしろ、化粧をしてからモノを言え」なんて言われたりね。「……してるけど」という感じですが。こういうの、私は少ないほうじゃないでしょうか。

残念ながら、「女は無条件に自分の機嫌をとってくれる」と思っている男性は一定数いる。相手が男性だったらしないような振る舞いを、女性に対してする人もいます。インターネット上のそういう人たちには不快感や違和感をきちんと示すことで、私は充分だと思っています。糾弾したり、吊るし上げたりまではしたくないんですね。あとツイッターに関しては、こちらの反論が相手のツイートの養分になるような人はスルーしてますね。変えていかなきゃいけないのは社会であって、その人個人にかまっている時間はないから。

――無礼な人一人を責めるだけでは根本的なところは変わらないということですね。

スー: 無駄とは言わないけど、私は徒労感を持ってしまいます。じゃあ、どうやって社会を改善していくか。一つは、「私みたいなのがしぶとく生き残る」ということなのかなと思っています。

現実社会での理不尽な仕打ちには毅然とした態度で「ノー」を突きつけることで、女の人を軽々しく扱ってはいけないとわかるような実例を作っていく。ゴールは遠いですけど。

そして、私たちが自分より下の世代の女の子たちをフックアップすることも大事だと考えています。
排水溝に溜まる落ち葉のように、古い価値観の中でぐるぐると同じところを回り続けているような人を横目に、我々は前に進むということですね。

「おばあちゃん」を憑依させて相手を黙らせる

――それは「大人な対応をする」ということでしょうか?

スー: うまくかわす、という意味での大人な対応ではなく、「ふてぶてしさを身につける」ことでしょうか。強くなるなんてもんじゃなく、ふてぶてしくなる。紆余曲折あって、必要なのはそれだと思うようになりました。

失礼なことを言う人に対して、ぎょっとした顔を平気ですれば、向こうはオロオロする。そこでガツン!と怒るよりも、効果があったりします。

私がよくやっているのは、全然違う属性を自分に「憑依」させて、相手の想定を超えたリアクションをする。だいたいうまくいきますね。

――どういうことでしょうか。

スー: ナメられたり軽口を叩かれた時に「なんでそんなこと言うんですか!ひどいじゃないですか!」と返しても向こうの想定内。そういう女のリアクションは創作物でもたくさん見てきたでしょうし。「これだから女は感情的だ」などと返されてしまう。

ところがそこで「おじいちゃん」とか「おばあちゃん」のような反応をしたら……? たとえば「女は論理的に話ができない」なんて言われたら、おばあちゃんの口調で「あんた、まだまだ勉強が足りないんだねぇ!」と言ってみる。相手は一瞬キョトンとするでしょうが、そうさせたいんですよ、相手が考えるから。いろいろ言ってくる人の想像を上回る返しをすると、相手は二の句がうまくつげなくなる。

自分のスペックをずらすことで、相手に予定調和のセリフを言わせないのは手だと思います。女だからナメられるんだったら、相手の想定する女の枠から出るんです。

主語を大きくする前に、よく考える

――近年、「#Metoo」をはじめ、女性の社会への向き合い方は「うまくいなす」ではなく「声をあげる」方向にシフトチェンジしているように思います。ただ、声をあげ続けることに疲れてしまう時もあります。それでも今が過渡期、ここで折れてはいけない!と、葛藤してしまいます。

スー: 体力がいりますよね。そんなときは、自分に降りかかった出来事を社会構造のバグとして認識し、「これは私個人の資質の問題ではないのだ」と客観視できると少しは荷が軽くなるかもしれません。社会VS自分、と考えてしまうと、足がすくんで立ち向かえなくなる人もいるでしょう。

ぶつかった問題を俯瞰で見て、世の中という全体像の中で捉える。その結果として必要であれば、社会に問うのも非常に有意義なことだと思います。これは私個人だけが抱える問題ではないのではないか?と。

同時に、深い考察を経ずに「会社」「社会」「世間」と主語の大きい話にしてしまうと、自分が望まぬ対立を生んでしまう可能性もあります。

もしかしたらそれは個々人のコミュニケーションで解決できるんじゃない?というものもあるかもしれない。

また、主語を大きくすることで自分の中で怒りが倍増することもあるから、そこの見極めは必要だと思います。

――どう見極めていけばよいのでしょうか。

スー: 自分でよく考えることですね。

たとえば会社に「女は楽でいいよな」なんて言ってくる人がいるとする。その時に同じ土俵に上がって「これだから“男”は!」と一気に主語を大きくしてしまうと、そうではない男性たちも含めて戦いのリングにあげてしまうことになります。

たまたまその男性が偏りがちな思考を持っていたり、男のプレッシャーを過度に背負っていたり、単に自分との相性が悪いだけかもしれない。想像力が乏しく、女ならぜんぶ同じだとみなしてしまっているのかもしれない。そんな風に一度立ち止まり思考するだけで、その後の対処の仕方も変わっていくと思います。なにが悪いか、相手に懇切丁寧に教えてあげるってことではないですよ。さっきの例で言うなら、わかり合いたい相手でもない限り「今度お母さんにもおんなじこと言ってごらんなさいよ」と、考え方を変えるきっかけを与えるくらいで、私は十分だと思います。繰り返しになるけど、違う視点を持とうとする気のない人にかまっている時間はないから。

フェミニズムにも持続可能性が必要

――なんでも「この怒りは世の中に訴えるべき問題だ!」と早々に結論を出すべきではないということですね。

スー: 時と場合によります。女性学研究者の田嶋陽子先生が「フェミニズムには、たとえば“マルクス主義フェミニズム”や“エコロジカル・フェミニズム”など既存の学問から発生したものが様々あるけれど、自分の権利を守り、誰にも自由を侵されず自分らしく生きていくためにフェミニズムがあるのであって、フェミニズムという言葉が先にあるのではない」というようなことをおっしゃっていました。

私は、はたして私のなかにあるこの怒りは、私を私らしく、生きやすくするのに必要なのか?とは、随時立ち返るようにしています。

――自分らしく生きるためのフェミニズム、ですか。

スー: 声を上げるのは必要なことだし、シスターフッドのように女性同士で助け合っていくこともすごく大事。ただ、疲れてしまわないように、自分のペースで。流行りの言葉で言うなら“サステナブル“な、持続可能な範囲で自分の信条を持ち続けるようにしています。続けいくとのほうが重要だと私は思うから。

ガーーーっと戦って、ブツン!っと切れてしまっては、やってきたことが積み重なっていかない。傷付きますしね。そうなると、次の若い世代にもバトンを繋いでいけず、彼女たちも同じように疲れてしまう……これを繰り返してしまわないことが、私は大切だと思っています。

取材後記:
30代に突入し、「ここは私が頑張る番!」と言わんばかりに息巻いて、時には衝突したり傷ついて心が折れそうになったり。ちょっぴり疲れてきた時に伺ったジェーン・スーさんのお話。「サステナブルな、可能な範囲で信条を持ち続ける」の言葉がずしんと来ました。
なにかとモヤモヤする社会をなんとかして変えたいと思っている人、社会とまではいかないけど、半径5mが今よりももう少しだけ生きやすくなればと願う人。
みんなの頑張りをきっとスーさんが肯定してくれる。
サステナブルに、できる限りでいいから…そのおまじないを胸に、それぞれの“持ち場“でやっていきましょう。
そして時には、“揉まれて、ゆるんで、癒されて“乗り切っていきたいなと思いました。

『揉まれて、ゆるんで、癒されて 今夜もカネで解決だ』

著者:ジェーン・スー

出版社:朝日新聞出版

定価:682円(税込)

「いざ行かん、地上の楽園へ!」。大ざっぱだけど超絶技巧のアジア系マッサージから謎のセレブ客御用達のヘッドスパまで。もまれながら考えた、女性が働くこと、癒やされること。疲れた体と凹んだ心をグイッともみほぐす、マッサージ放浪記! 文庫オリジナルルポ収録。

大学卒業後、芸能事務所のマネージャーとして俳優・アイドル・漫画家や作家などのマネージメントを行う。その後、未経験からフリーライターの道へ。
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。 コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。