見えそうで見えない。AV女優紗倉まなさんに学ぶ恥じらいの美学
●本という贅沢52『働くおっぱい』(紗倉まな/KADOKAWA)
今年に入ってからワタクシさとゆみは、大変重要な任務を拝命し、AVを観まくっておりました。くる日もくる日もやわらかそうな女体を見ているうちに「あれ、私、この女優さんすごく好きかも」と思ったのが、紗倉まなさんです。
テレビをまるで見ないので、彼女が日本でもっとも人気のあるAV女優さんの一人であることは、のちに知りました。
5月のこのコラムのテーマは「美」で、と言われたとき、頭の中にまっさきに思い浮かんだビジュアルが、紗倉まなさんのおっぱいです。ふかふか。
数年活躍すれば長寿と言われる(らしい)AV業界で、長くトップ女優として愛され続ける彼女の美しさは、どこに由来しているんだろうなあ、私は彼女にどこに惹かれたんだろうなあと思っていた矢先に、出ました。どん。
その名も「働くおっぱい」。
紗倉さんがご自身の仕事を通して感じた、女性が働くこと、そして生きることについて書かれたエッセイです。
ファッションやメイクとの付き合い方、友人やお酒や生理との付き合い方、さらには性産業を生業にすることや、あえぎ声の出し方から、果ては世界各国と比べた日本女性の立ち位置まで……。
あんなに可愛くて、しかもこんなにキレキレの“おもエモ”(おもしろくてエモいの略)文章を書かれるのか。
いやはや。神様。ちょっと能力配分偏重しすぎじゃないですかね、って思いながら読んだのですが、途中くらいから、ちょっと気づいたことがある。
多分、なんだけど、紗倉さんの女優としての美しさや愛らしさと、この“おもエモ”の文章は、同じところからきてるんじゃないかなってこと。
なんというか、紗倉さんの書く文章には、全編を通して“恥じらい”があるのです。
多分、世の中で働く女性の中で、もっとも身体そのものや内臓をさらけ出しているにもかかわらず、最後の門は奥のほうで閉まっていて開け渡されていない感じ。その門の存在が、とてつもなく色っぽい。そしいてその一方で、強固に見える奥の門ですら、ときどき揺れて見える、その揺らぎもやはり色っぽい。
どんな仕事をしていたって、生きてることって、それ自体、ちょっと恥ずかしいところがある。ありますよね。
生きることに開きなおっちゃうと、人はエロくなくなる。生きることに、確信を持ってしまうと、人は不感症になる。
その“恥じらい”こそが、彼女の作品に漂う色気だし、“揺らぎ”こそが、彼女の文章に漂う気品みたいなものにつながっているんじゃないかなと思った。
それからもうひとつ。これもやっぱり想像なんだけれど、彼女は自分の身体はもちろんのこと、自分の心をすごく大切にしている人なんだろうなと思った。
自分の心の声を丁寧に聴いていて、私たちが取りこぼしてしまうような、ささやかな違和感や心の動きを、そっと拾い上げている。
そこで拾い上げられた、さざなみのような小さな震えが、胸に迫る文章になっているように感じた。
これもきっと、鍛え抜かれたアスリートのように、日頃から体を研ぎ澄まし、身体で自分と他者を会話させる仕事をされているからこそなんだろうと思う。ちょっとした空気の揺らぎに、心も身体も敏感に感応させる方なのだろうな。
自分に敏感な人は人にも優しい。
これだけ赤裸々に書かれた文章なのに誰のことも傷つけない紗倉さんの言葉は、きっと、戦うためにあるのではなく、異物の侵入や自分とは違う思想を“やわす”ためにあるのかもしれない。そんなことを思った。
さすが、働くおっぱいだとおもう。あっぱれ、働くおっぱい。
女として生まれたからには、紗倉さんのような、やわらかいおっぱいを持って生きていきたいものです。
恥じらいながら。自分の声をもっと真剣に聴きながら。
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すっかり紗倉まなさんの魅力にハマってしまった私は、いま、小説『最低。』(角川文庫)を読んでいます。
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それではまた来週水曜日に。